気持ちの落としどころを見つけられないでいます | 名古屋栄・東京自由が丘 きれいはカンタン!リンパケアsalon-de-NATSUKO

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ゆる〜い呼吸でリンパケア。整体の要素のあるエステのようなリンパケア施術です。 2020年7月から三重県桑名市でおウチサロンになりました。〜名古屋栄・東京自由が丘も〜

mago4人初顔合わせで、気持ちが紛れて、忘れられるかな…

と期待してたのですが、

 

気持ちの落としどころが見つけられないでいます汗

 

当時、悪性黒色腫において、主治医は、日本のトップだったのです。

 

 

悪性黒色腫生存34年目 奴間(ぬま)泰惠です

詳しくはこちらに書いています。 & 夏子の栄養学

 

 

悪性黒色腫…メラノーマともいいます。

いわゆる ほくろの癌 です。

当時の悪性黒色腫の手術は、例えば 足の裏にあった場合、足首の上から切断します。

私は、右の腰・ウエストラインにありました。

右の腰で、足切断級の手術を受けています。

医療・福祉では放り出されてしまったので

歩き続ける為に、独学での体の勉強を積み上げまとめています

 

 

 私が、悪性黒色腫になったのは、もう33年も前で。

 

当時は、ホクロの癌なんて、医者でも識っている人はほとんどいなくてね。

主治医のトコロには、他の病院で、手遅れになった人が送られてきていました。

本当に、悪性黒色腫を診られる医師は、数少なかったのです。

 

 

私は、抗がん剤を辞め、食事を変えて、生きていると書いているのだけど、

何人も、医者とか、医療関係の人から、誤診だ!ってメールをいただきます。

 

 

あの 福島雅典先生からも、最初は、「誤算だ!」と言われました。

でも、病院名・主治医の名前を言うと、あり得ないので、唸ってらっしゃいました。

なぜ、あり得ないか?!は、細胞診断を3カ所でする病院だったから です。

3カ所とも、同じ診断でした。

 

 

話を進めます。

 

たまたま だったのですが、その主治医に、初診から診てもらっています。

 

当時、悪性黒色腫において、虎ノ門病院か、私の主治医が日本のトップだった と思います。

 

 

元朝日新聞の医療ジャーナリストの田辺功氏は、私の主治医をリスペクトしていました。

 

 

 

 

当時、日本中で、悪性黒色腫を診てもらえる病院は…

 

 

たったの ↑ これだけ です。

 

そして

 

 

主治医の下には、多くの皮膚科医が研修に来ていて、現に、指導専門医を2人育てました。

 

 

だからかな

 

悪性黒色腫を見落とされる人が、一人でも減りますように!

と、主治医の病院名・名前は書かないできています。きてしまいました。

 

 

でも

 

これで良かったのかな

 

と、気持ちのざわつきが落ち着かないまま です。

 

 

 

 

 

自分が施した手術によって歩けなくなっていく人間を目の前にして、治療ではなく、隠すために、病気を作り上げていく。。。

 

コツコツと病気を作り上げるべく、カルテを改ざんしていた。

 

 

 

 

 

 

 

私は、歩けなくなっても、医療も福祉も受けられなくされているってことを、どう考えながら生きているのだろう。。。と

気持ちのザワつきがおさまらなくてね。

 

 

 

 

刑事告訴、民事訴訟も考えましたけど、傷害罪の時効は、もう過ぎています。

 

刑務所に入れてやりたい ってワケでもない。

 

でも、放っておいていいのかな。

 

今も、悪性腫瘍指導専門医だし、膠原病やリウマチでは、まだまだ権威ある医師を続けているようです。

 

 

この気持ち・・・

 

もう少し、向き合ってみます。