3月2日、文先生がヨスの修練会に出た日本人を天正宮に呼んだんだって。

なんでも、1200人集まって、先生もとっても喜んだらしい。

これで、韓日一体化ができて、滅び行く日本を救えたんだそう。

基元節(漢字、これで良かったかな?)に勝利する条件ができたとか。

日本のためにも210代の先祖解怨、祝福をしなきゃだめらしい。


でも、おと-さま、

日本を救いたかったら、おと-さまが日本から手を引くのが一番だと思うよ。

おと-さまのいう韓日一体化って、韓国=主人、日本=奴隷の関係でしょ。

そんなもの、いらない。

韓国に住んで、世界が韓国化したってなにもいいことなんかないのがよくわかった。

おと-さまは、韓国人なんだから、はじめからよくわかってたはずなのに。


もう、おか-さまも、ごシジョさまも、側近の人も、

誰もおと-さまがメシアなんて思ってないんじゃないか。

でも、おと-さまが来いと言ったらすぐさま日本人が、1200人も来て、

刺身なんか食べて喜んで、

ほんとに騙されやすい人たちだとか笑われてなきゃいいけど。


あ、そういえば、おか-さま、日本ツアーの真っ最中でしたよね。

御身体、お気をつけて。


それから、おと-さまって、基元節に何がしたいのかな?

こんなに文家の中でも世界中でも問題が起こりすぎなのに、

どうやって、どんな風に解決したいんだろう?

それはサタンに悟られないために口にできないのだろうか・・・

兄弟が仲直りでもしたら見直すと思うけど、

でもやっぱり、血統転換ってウソっぽい。

悠仁さま、着袴と深曽木の儀=成長祝い、男子で41年ぶり

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「深曽木(ふかそぎ)の儀」の練習をされる悠仁さま
(2011年10月28日 宮内庁撮影)

 秋篠宮ご夫妻の長男悠仁さま(5)は3日午前、東京・元赤坂の赤坂東邸で、「着袴(ちゃっこ)の儀」と「深曽木(ふかそぎ)の儀」に臨まれた。皇室のお子さまの成長を祝う儀式で、秋篠宮さま以来41年ぶり。春に予定されていたが、東日本大震災を受け延期となっていた。
 落滝津(おちたぎつ)の服を着た悠仁さまは、ご夫妻と姉の眞子さま、佳子さま、祖父母の川嶋辰彦さん夫妻が見守る中、畳の上に南を向いて立つと、宮内庁御用掛が白のはかまをはかせ、ひもを結んだ。
 続いて悠仁さまは童形服(どうぎょうふく)姿で、右手に扇、左手に小松2本と山橘(やまたちばな)1本の枝を持ち、皇太子さまと秋篠宮さまのときも使われた碁盤の上で、黒っぽい「青石(あおいし)」2個を踏み南を向いて立った。御用掛が髪をくしですきそろえ、はさみで毛先を少し切ると、悠仁さまは約27センチの高さから「ピョン」と飛び降りた。
 式後の午前10時40分すぎ、悠仁さまは落滝津の服を着て、ご家族と赤坂東邸の玄関前に姿を見せた。報道陣から「悠仁さま、おめでとうございます」と声が掛かると、「ありがとうございます」と話し、笑顔を見せて歩いた。
 この後、悠仁さまは皇居・宮中三殿で参拝し、ご夫妻と一緒に御所で天皇、皇后両陛下にあいさつした。悠仁さまがこの日着た装束は、両陛下から贈られた。

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秋篠宮御一家

 天皇家(宮内庁にもかな?)にも いろいろ入り込んでいるらしいと聞くけど、両陛下と秋篠宮家ご一家はいつ見ても清々しい。

 天皇家も歴代天皇全ての方が聖人君主でもなかったでしょうが、真のご家庭とはたたずまいが違いすぎる。やっぱり、125代と1代じゃしかたないよね。文先生は万王の王だけど、残念ながらまだ自称で、ほんとに国があるわけじゃないし。ギラギラしていてもしょうがない。
でも、7男さんの説教を聴く限り、あまり文王国には住みたくないな。
税金を納めた上に、罪人だの、奴隷だのといわれて、精神的に迫害を受けることになりそうだ。
 国を持つのはもう無理かな?
 でも、韓半島の小さな村に生まれて、一代で世界的な宗教指導者になって、大金持ちにもなったんだから、文先生にしたら、悪くない人生だったのでは?
 そのせいで迷惑した人も世界的に多いと思うけど、ぜひ霊界に行かれる前には人生を振り返って、間違いは間違ったと言い残して行ってほしいと思うけれど。(ありえないとは思いつつも)









 


世界会長が説教の中で、「奴隷」という言葉を連発されました。

イエス様が、「仕える者」といわれたとき、それは報酬ももらえて、主人も選べる侍従(servant)ではなく、より絶対的に自分に侍る奴隷(slave)を想起されていたそうです。

「奴隷」。

ちょっとびっくりしました。

いい意味では使わない言葉です。


奴隷には自分のための時間がない。

奴隷は絶対に服従しなければならない。

奴隷は頼らなければならない。

奴隷は完全に仕える人生である。

奴隷には権利がない。

奴隷の主人は一人だけである。


世界会長自身も「自分はお父様の奴隷である」と感じたそうです。

いえ、感じたというよりは、孝子として自ら親の奴隷であることを選んだとおっしゃいました。

不自由ではあるが、完全に無私の、見返りを求めない心でお父様に仕えておられることを語られたのでしょうか?

自分は罪人であるとよく語られる世界会長・・・

人柄の謙虚さは好感が持てますが、罪のない立場で誕生された世界会長が自分は罪人だといったり、「孝」の精神を自らの親の奴隷の立場を選び取ることとおっしゃったり、私としては「???」です。

自分は罪人だと分析されるより、その罪(堕落性のように思えますが)をどうやって克服して完成に近づくことができるのかを示していただくほうがより食口のためには有効です。

また、親に対する孝子の情も主人と奴隷の間の情関係とは異なっているのではないでしょうか。

奴隷は主人に必要とされたときだけ仕事をしますが、孝子は親に呼ばれなくても、必要ならば考えて動くように思えます。


どうして、世界会長はイエス様を引き合いに出して、奴隷の話をされたのか。

食口にわだかまりを感じさせる、カインの心得である絶対服従は、統一教会が始めたものではなくて、イエス様の時代からの歴史がある正統的なものである、とされたいのでしょうか。

世界会長自身も奴隷の身であるから、食口たちも我慢しなければ、とか。


けれども、私は、たとえイエス様が信徒は奴隷であるべきだ、とおっしゃったとしても、従いたくありません。

主人と奴隷とは、本来あってはならないものでしょう。

その主人がたとえ、人類の偉大なメシアであっても、奴隷としては仕えたくありません。

神様は私たちに良心を下さいました。

もし、自分に主人がいるとしたら、その良心を主人とするべきでしょう。

が、良心を主人と呼べるかどうか?

良心は私を正しく導くためのナビゲーターだとはいえますが。

そのナビゲーターがメシアのほうを向けば、そのとき、メシアに従えばいいと思います。

私もメシアも正しければ、自然に方向は一致するでしょう。

私を完成できるのは私なんだ、と思います。

絶えず検証し、意味を知って、行うところに成長もあるように思います。

今まで、私はあまりにも盲従していました。

なかなか自分が成長できた、と感じることができませんでした。

その反省です。

奴隷が無私であることはいいことです。

でも、一方的に搾取される弱い立場であることも意味しています。

愛の宗教にも、この世界にも、どの世界にも奴隷はいりません。

世界会長が自分が奴隷であるとこれ以上思わないでいて下さったら、と思います。

孝子は孝子でいいではありませんか?

もっといえば聖子であることが望まれていますが。