テサロニケ1 5:1-11


主は、私たちのために死なれましたが、それは、わたしたちが目覚めていても、眠っていても、主とともに生きるようになるためです。

最近になって自分がどう生きたいかを人にはっきり伝えることをして以来、あまり心が揺らがなくなりました。いろんなことがあっても、不思議に心が平和なのです。体は疲れますが、心は穏やかなのです。あるとき、神さまと一緒にいたいという魂の叫びに正直に生きたいと願うと、神さまは「私のために死になさい」という言葉を心に強く感じさせてくださいました。イエスさまは私たちのために死んでくださいました。それは私たちがイエスさまと共に生きるためです。それは私が死んで、イエスさまの十字架に人々がきづいてもらうきっかけになるということです。私が死ねば皆が生きるのです。そして、皆が十字架の恵みにあづかり、イエスと共に生きるようになる尽きない喜びの中に生きることになるのです。そして、揺らがない平和を神さまが下さいます。感謝なことです。
ルカ20:41-44
イエスは彼らに言われた。「どうして人々は『メシアはダビデの子だ』というのか。ダビデ自身が詩編の中で言っている。

『主は、私の主にお告げになった。「私の右の座に着きなさい。私があなたの敵をあなたの足台とするときまで」と』

このようにダビデが主とよんでいるのに、どうしてメシアがダビデの子なのか。

私の生徒がレポートの質問に来ました。その生徒は完全なレポートを書きたいという思いが強く、それゆえ、自分のレポートの内容の存在意味まで否定的に捉えるという感じを受けました。そこで、「完全なレポートはかけないのよ。不完全なレポートの中に、完全な意味があるの。」と思わず言ってしまいました。ちょっと難しかったかなと思いましたが、その生徒はその意味をよく理解してくれました。とても理解力のある熱心な生徒だったので私の思いつきの言葉を理解してくれたのだと思い、うれしかったです。

ふと、思いつきで言ってしまった自分のことばの意味を考えてみました。


人は見える基準で物事を考えます。イエスさまはマリアから生まれ、ダビデの子孫だと普通は考えます。見える基準でみると、それは事実です。それは、不完全な人間として生まれてきたということです。しかし、見えない基準があります。イエスさまは神の子であり、ダビデの主なのです。大おじいさんが、子孫を主と呼ぶ?普通、それはありえないし、事実ではないけれども、真理なのです。


神さまの世界は不思議なのです。不完全な中に完全性をみることができるのです。有限の中に無限があるのです。


イエスさまが神であられるのに人となって来られたこと。


みことばが、人となること。


この不思議さこそ私たちに働かれる神さまの恵みなのだと思います

ルカ20:20~25


20:20 そこで、機会をねらっていた彼らは、正しい人を装う回し者を遣わし、イエスの言葉じりをとらえ、総督の支配と権力にイエスを渡そうとした。
20:21 回し者らはイエスに尋ねた。「先生、わたしたちは、あなたがおっしゃることも、教えてくださることも正しく、また、えこひいきなしに、真理に基づいて神の道を教えておられることを知っています。
20:22 ところで、わたしたちが皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか。」
20:23 イエスは彼らのたくらみを見抜いて言われた。
20:24 「デナリオン銀貨を見せなさい。そこには、だれの肖像と銘があるか。」彼らが「皇帝のものです」と言うと、
20:25 イエスは言われた。
それならば、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」


高校のときに、一つの祈りを卒業アルバムに書きました。


「一生懸命生きることが素敵な死に方になりますように。」 自分で何で書いたのかよく覚えていないのですが、ふっと思いついた言葉だったように記憶しています。


最近、この書いた言葉に新たにおどろいています。人生は目に見える世界で終わるのではなく、見えない世界へつながっていく過程なのだと思うようになりました。見えない世界は喜びに満ちた光以上の世界。だから、どんな死に方をしても、その人の心は神様しか知らないということ。その心こそが神様の恵みそのもの。その恵みを知ったら、自分だけでなくみんなも幸せになるという奇跡がいつもあるのです。一緒に神様のところに行けるという恵みです。


心が大事で目に見えるものに価値がないと言っているのではありません。それも神様がくださった贈り物には違いありません。でも、それよりももっと価値のあるものがあるんです。たとえ悲惨な死に方(一般に殉教者と言われる人の死に方などが典型的でしょう。)をしても、その心は最高に幸せなんだと思います。自分の力に一切たよらず、全てを神様に委ねて、肉の存在をも神様にお返しする恵みなのです。

この世の次元とは違うところにつながっているんです。自分の存在を「ありがとう」って神様にお返しするんです。

究極のところ、人生には感謝しかないと思っています。」


神様からいただいたものなら神さまに返す。世の中では、歳を取っていくことは悲しい、痛々しいことのように思えますが、その時期こそ神様の恵みを感じて生きられる最高の時期なのです。人生の終わりに神さまにお会いしたら、「ありがとう」ってまず、言いたいなラブラブ