ルカ20:41-44
イエスは彼らに言われた。「どうして人々は『メシアはダビデの子だ』というのか。ダビデ自身が詩編の中で言っている。
『主は、私の主にお告げになった。「私の右の座に着きなさい。私があなたの敵をあなたの足台とするときまで」と』
このようにダビデが主とよんでいるのに、どうしてメシアがダビデの子なのか。
私の生徒がレポートの質問に来ました。その生徒は完全なレポートを書きたいという思いが強く、それゆえ、自分のレポートの内容の存在意味まで否定的に捉えるという感じを受けました。そこで、「完全なレポートはかけないのよ。不完全なレポートの中に、完全な意味があるの。」と思わず言ってしまいました。ちょっと難しかったかなと思いましたが、その生徒はその意味をよく理解してくれました。とても理解力のある熱心な生徒だったので私の思いつきの言葉を理解してくれたのだと思い、うれしかったです。
ふと、思いつきで言ってしまった自分のことばの意味を考えてみました。
人は見える基準で物事を考えます。イエスさまはマリアから生まれ、ダビデの子孫だと普通は考えます。見える基準でみると、それは事実です。それは、不完全な人間として生まれてきたということです。しかし、見えない基準があります。イエスさまは神の子であり、ダビデの主なのです。大おじいさんが、子孫を主と呼ぶ?普通、それはありえないし、事実ではないけれども、真理なのです。
神さまの世界は不思議なのです。不完全な中に完全性をみることができるのです。有限の中に無限があるのです。
イエスさまが神であられるのに人となって来られたこと。
みことばが、人となること。
この不思議さこそ私たちに働かれる神さまの恵みなのだと思います
イエスは彼らに言われた。「どうして人々は『メシアはダビデの子だ』というのか。ダビデ自身が詩編の中で言っている。
『主は、私の主にお告げになった。「私の右の座に着きなさい。私があなたの敵をあなたの足台とするときまで」と』
このようにダビデが主とよんでいるのに、どうしてメシアがダビデの子なのか。
私の生徒がレポートの質問に来ました。その生徒は完全なレポートを書きたいという思いが強く、それゆえ、自分のレポートの内容の存在意味まで否定的に捉えるという感じを受けました。そこで、「完全なレポートはかけないのよ。不完全なレポートの中に、完全な意味があるの。」と思わず言ってしまいました。ちょっと難しかったかなと思いましたが、その生徒はその意味をよく理解してくれました。とても理解力のある熱心な生徒だったので私の思いつきの言葉を理解してくれたのだと思い、うれしかったです。
ふと、思いつきで言ってしまった自分のことばの意味を考えてみました。
人は見える基準で物事を考えます。イエスさまはマリアから生まれ、ダビデの子孫だと普通は考えます。見える基準でみると、それは事実です。それは、不完全な人間として生まれてきたということです。しかし、見えない基準があります。イエスさまは神の子であり、ダビデの主なのです。大おじいさんが、子孫を主と呼ぶ?普通、それはありえないし、事実ではないけれども、真理なのです。
神さまの世界は不思議なのです。不完全な中に完全性をみることができるのです。有限の中に無限があるのです。
イエスさまが神であられるのに人となって来られたこと。
みことばが、人となること。
この不思議さこそ私たちに働かれる神さまの恵みなのだと思います