テサロニケⅠ 2:13

このようなわけで、わたしたちは絶えず神に感謝しています。なぜなら、わたしたちから神の言葉を聞いたとき、あなたがたは、それは神の言葉であり、また、信じているあなたがたの中に働いているものです。



神さま、「ありがとう」という言葉をくださってありがとう。あなたの言葉は私たちの中に働きます。その言葉が働くとき、何でも可能になるのです。


わたしたちは、あなたの愛に満ちた言葉がなければ一日足りとも生きていけません。あなたの言葉がなければ、何にすがって生きればいいのでしょう。暗闇をさまよい、死の淵をさまようしかありません。


私たちは、すがりつくものがなければ、囚われるものがなければどうしていいかわからないのです。

どうか、あなたの言葉に囚われさせてください。あなたの言葉にすがりつきたいのです。


どうか、愛に満ちあふれた言葉でわたしたちの心を満たしてください。それがあふれ出るくらいに満たしてください。


わたしたちはあなたの言葉に囚われたとき、初めて自由になるのです。

わたしたちはあなたの言葉にすがりつくとき、初めて解放されるのです。

あなたのことばは、命です。


あなたのことばは生きています。今も私たちの内に。

「ありがとう」と何回いっても言い尽くせないです。ただ、沈黙するだけです。


                                          イエス・キリストによって

                                                        アーメン

ルカ17:17
家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石になった。


その石の上に落ちる者は誰でも打ち砕かれ、その石がだれかの上に落ちれば、その人はおしつぶされる。


この箇所は、葡萄園の農夫のたとえ話の終わりに出てきます。葡萄園の話しは、私にとってイメージしやすい例えです。私の故郷は葡萄園がいっぱいあるからです。リアルにイメージできるので聖書に出てくると、うれしいけれど、怖いです。

この石の話しも葡萄園の話しに留めをさすようにチクッと来ます。


わたしは神さまを信じるといいながら、自分がどうなるのか不安になってしまいます。自分が不安定な状況にいると、神さまに聞きたくないと耳を塞いで、一生懸命、自分を守ることを考えています。私も葡萄園の農夫や石の上に落ちる者、下敷きになる者と一緒だなあ。神さまを無視して神さまにいただいたものを盗んで自分のものにしようとしているときがあるんです。


でも、ラッキーなことに、自分のことを考えているとしんどくなって疲れてどうでもよくなるんです。わたしはエネルギーがないから諦めが早い。結局、神さまにお任せすることになるんですね。神さまを信じられないと泣くこともありますが、信じているから泣けるのです。これも恵みかな。


とにかく、失敗しながら、おどおどしながらでも、神さまになんとか着いていけますように。

Ⅰテサロニケ 2:12b ご自身の国と栄光にあずからせようと、神はあなた方を招いておられます。



毎日、毎時間、毎分、毎秒、神様から「あなたが大好き」と言われたら、どうしますか?24時間、神様からラブコールが送られてきます。純粋にうれしいと思えばいいのに、私は、なんでそこまで私のこと、気にしはる(気になさる)のかと思ってしまったり、ほうっておいてと思ったり、素直じゃないときがあります。私はどちらか言うと、よくも悪くも執着心がないので、自分のやりたいことを決めらず、それをやり遂げる熱さがないのです。すぐに、リラクマみたいにごろごろしたいと思います。コアラのようにのっそり過ごしたいと思うのです。だから、神様にもっと真剣に生きなさいとよく叱られます。もっともっと神様を真剣に求めなさいと戒められます。結構、神様は私にいうことが厳しいんです。でも、その厳しさも神様のラブコールだと思います。神様はご自分のもとに私たちが帰ってくるときまで待っておられます。そのときまで神様のことだけは、死ぬ気で求めて生きていきたいなあと思います。でも、たまには、ゆっくり休ませてね、神さまドキドキ