ルカ20:20~25
20:20 そこで、機会をねらっていた彼らは、正しい人を装う回し者を遣わし、イエスの言葉じりをとらえ、総督の支配と権力にイエスを渡そうとした。
20:21 回し者らはイエスに尋ねた。「先生、わたしたちは、あなたがおっしゃることも、教えてくださることも正しく、また、えこひいきなしに、真理に基づいて神の道を教えておられることを知っています。
20:22 ところで、わたしたちが皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか。」
20:23 イエスは彼らのたくらみを見抜いて言われた。
20:24 「デナリオン銀貨を見せなさい。そこには、だれの肖像と銘があるか。」彼らが「皇帝のものです」と言うと、
20:25 イエスは言われた。「それならば、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」
高校のときに、一つの祈りを卒業アルバムに書きました。
「一生懸命生きることが素敵な死に方になりますように。」 自分で何で書いたのかよく覚えていないのですが、ふっと思いついた言葉だったように記憶しています。
最近、この書いた言葉に新たにおどろいています。人生は目に見える世界で終わるのではなく、見えない世界へつながっていく過程なのだと思うようになりました。見えない世界は喜びに満ちた光以上の世界。だから、どんな死に方をしても、その人の心は神様しか知らないということ。その心こそが神様の恵みそのもの。その恵みを知ったら、自分だけでなくみんなも幸せになるという奇跡がいつもあるのです。一緒に神様のところに行けるという恵みです。
心が大事で目に見えるものに価値がないと言っているのではありません。それも神様がくださった贈り物には違いありません。でも、それよりももっと価値のあるものがあるんです。たとえ悲惨な死に方(一般に殉教者と言われる人の死に方などが典型的でしょう。)をしても、その心は最高に幸せなんだと思います。自分の力に一切たよらず、全てを神様に委ねて、肉の存在をも神様にお返しする恵みなのです。
この世の次元とは違うところにつながっているんです。自分の存在を「ありがとう」って神様にお返しするんです。
究極のところ、人生には感謝しかないと思っています。」
神様からいただいたものなら神さまに返す。世の中では、歳を取っていくことは悲しい、痛々しいことのように思えますが、その時期こそ神様の恵みを感じて生きられる最高の時期なのです。人生の終わりに神さまにお会いしたら、「ありがとう」ってまず、言いたいな![]()