色んな人が集まるたまり場
(別名「ヤカタ」と呼ばれるほど)
だったので、
話題性があるものが好きな私はこんなものを買ったりしていました。
「何?これ??」
っていわれるのが好きだった。
これで1000円もした、のに買ってた一年前の私。
久々にすごい笑ったなぁ。
ある診断をやってみたんだけど、
(恋愛ね)
その結果の
「お似合いの人」
年上で、よく笑って、小さなことは気にしなくて、ドSの人。
これまさに職場の彼なのよ。
プライベートは、少し違うけど。
頑張ろう。長く向き合ってこう。
焦っちゃ駄目。
この度、会社を作っていく、ことになるかも知れません!
ここ最近で嬉しい出来事です。
「崩壊」、「泡沫」、「飛翔」、「再会」、「構築」、「勝負」。
今年もやっぱり、そうかも知れない。
それでもいいよ!
求められる、何かを目指す、みんながいる、それが素敵!
自社には社員とアルバイトとの面談がある。
月に一度、自己申請シート(?)のような
仕事に対して自分はどのくらいのことが出来たか、
これからはどんなことを目標としていきたいかを始め、
現場で起こった出来事や新しいアイディアなどを盛り込み提出、
それを元に1対1での面談を行う。
普段から私は人と話すようにはしているつもりだが、
なかなか時間を取ってゆっくりと、というわけにはいかない。
特に仕事の話を延々とする機会はそう無いし、
仕事終わりの食事などであったとしても愚痴祭りが関の山だ。
とはいえ現状そんな話もするが、
普段との姿勢の違いから見えてくる部分にも大差が出る。
今日は私の面談日だった。
普通面談の時間は一人30分くらいを目安に、と言う考えがある。
まぁ実際はそんなものないに等しいが長すぎる人がいるためだ。
恐らくその長すぎる人の中に私も含まれる。
今日こそ早めに切り上げようと思っていたが。
聞かれたことに答えるだけで時間はどんどんと過ぎた。
私は話しにまとまりがないのだろうか…。
しかも今日に至っては1時間ほど面談に時間をかけたが、
それだけでは収まらず、
というか彼が「あいつに何言った?死にそうな顔で相談されたけど」
と言われ、「聞かれたことを答えただけよ」と言ったら
「お前はどうして人にそんな心配とかさせるかな」
と言われたことがあまりにも悔しかったので、
彼の止めるのを聴かずに、仕事終わりにもう一度その社員に話しに行った。
そんなつもりで話したんじゃない。
そんな風に受け止めて欲しくて話したんじゃない。それが悔しかった。
私が人を見る目も甘いな。本当に。
そこで色んな話をした。
多分その社員も本音で、色んなことを言ってくれたと思う。
私も本音で話したし、色んな提案もした。
そのことに関してとても理解を示してくれた。
日々反省。
気づかなかったことまで丁寧に言ってくれる人がいるのは本当に幸せだと思う。
苦しいことだらけかも知れない。
でもその分嬉しいこともたくさんある。
だから私はこの仕事を続けてられるんだと思う。
もっと話をしましょう。もっと。もっともっと。
なんだか気持ち悪くなってきた。
彼の元カノのブログ、多分発見。
いまいち確証が取れないこのもどかしさとは裏腹に…
いやきっと来年の1月にはそれが明らかになるだろう。
うわー、きもちわりぃ。
一生懸命なんだよ。
私を諦めさせようと(笑)
私をどうこうしようったってそうはいかないからね。
諦めた方が良いのはあなたの方よ。
と言って、平行線は続く。
最初にいっとく。
これにコメントしたら本名ばれるからヤメときなさいよ(笑)
私に自殺をするなと言ったね。
でも私の自殺したいと思う理由は聞いたと思う。
いつでも死にたいとか自殺だとか言ってる人って、
どう考えてもクレイジーだし根暗だと思う。
それに、周りの人のことちゃんと考えてるの?って思う。
一人で大きくなった訳じゃないこと、ちゃんと解ってる?って。
愛してるとかそんな話じゃなくたって、
関わってる人全てに支えたり支えられたり。
それが人間だって思う。
それらに感謝してたら、生きてること、生きてきたこと、
否定するような行動なんてまずしないよね。
何かを求めるから不満に思う。
それは人に何かして欲しいとか、
自分がこうありたいとか、全部含めて。
だけどありのままを受け止めて感謝してたら、
そんな気持ちは起こらない。そうよね?
もちろん人の心は私を含めて一筋縄なんて行かないから、
そんな風に自棄になってしまうこともある。
色んなことが信じられなかったり、
感謝する余裕がなくなってしまうことだってある。
ずーっときれい事のような感情を持ち続けるなんて、多分不可能よ。
そんな人がいたとしても逆に人間らしくないって思っちゃうかも。
全然否定はしないしある意味羨ましいっちゃそうだけど。
要するにはそれが根底にあるから、
死にたいとは思っても死ぬのはどうかと思う。
あくまで個人意見。
それで私の場合。
私はなんだか知らないけど
一番古くて覚えてるのは小学校4年くらいから、
自殺未遂をしてた。
実家の2階から飛び降りる、とか。
学校で飛び降りたこともある。
それから睡眠薬のOD、首つり、リストカット、海に身投げ。
全部やったけど何故か全部生きてた。
高校にあったカウンセリングルーム予約して
「死ねないんですけど…」
って相談しに行ったら大笑いされた。
つられて私も笑ってしまった。
つまるところ、私はバカなんだと思う。
まぁこんな話が参考になるのかは分からないけど、
あんだけ考えて死のうとして、死ぬために色々やったくせに、
こうして数年後には「生きてるって素晴らしい!」ってほざく人間も
世の中に最低1人はいるってこと。
そして今死のうと思っているのは自分にプレッシャーをかけたいから。
良い意味でのプレッシャーのかけ方って三者三様あると思うし、
色んな方法が存在すると思う。
自分に合ったそれを見つけて実行することが大事よね。
私の場合はそれが自殺をすること。
これの結果が出たら思う存分自殺しよう、と思う。
そうすればとりあえず生きてるときの苦しみはなくなるかも、ってね。
死にたくなったら「結果が出てから死のう」と思うようにしてる。
それだけのことなのよ。
本当にその先苦しくないのかは死んだことないから分かんないんだけどね。
だから別に私は誰にも自殺しようと思うなんて言わないし、言えない。
生きてることって当たり前じゃないし、
生きてたくたって生きれないこともあるのに
そんなこというのって本当の贅沢者だと思う。
しかも、周りの空気を読まないタイプの、痛々しい方ね。
でも親は私のスタートラインを作った人だし、
何かあれば確実に迷惑かけるから、先に言っておいてる。
私こんなプレッシャーのかけ方してますから
本当に自殺に走るかも解りませんのでって。
その経緯を全部理解してくれてるから、
死ぬ気で頑張れれば良いんじゃなーい?と言ってくれる母がいる。
それでも受け止めきれない父がいる。
でもそれでいいと思う。
私のこの考え方なんて正しい!と思う人の方が
絶対狂ってるって思うけど、
私はそうして生きてる。それが事実。今のところ変える気ゼロ。
それに、共感を得るべきことではない。
それだけ私はバカで変人でクレイジーってことよ。
ご心配なく!
可愛く行こうかと思って。
ブログデザイン変更。
友人にガチで勧められたのと
周りの評判で前から気になってはいた。
3日間かけて全話見終えた。
なんというか。
悲しくなった。けど、励まされた。
残酷なんです、不幸なんですって、
何度も何度も反芻されてる気がして途中は気分が悪かったこともあった。
こんなにも歯がゆいすれ違いが何度も続いて、
ドラマを見ている私は全てが見えてしまって、
そんなことは日常ではまずない。当たり前なんだけど。
彼らは確かに話のネタに上れるくらい、
各々が各々の悩みを抱えている。
人に言えば「あぁ、それは…」なんて、言われるような。
だけど実際、そんな風に人に話して、
言い方は悪いけど同情を集めるような生き方をしている人なんて、
決して多くはない。
そんな人間がいきなり集まるなんて不自然すぎると
なんだか怒りを覚えていた。
だけどもその怒りは自己愛であることにも気づかされた。
誰だって持っているのだと思う、
どんなに順風満帆に生きていて、笑っていて、幸せだとは言っていても、
誰にも言えないこと、秘密、辛いこと、悩み。
そしてそれぞれがそれぞれに考えて生きている。
例えばこの季節、蝉がもだえるように弱っていく姿を見かける。
土の中に何年もいて、成虫になって地上に出てきて、
僅か一週間でその生涯を終える。
それを見て儚いと思ったことがあった。
だけど、本当にそうなのかは、私には知ることは出来ない。
蝉は、ずっと土の中にいたかったのかも知れない。
本当はずっと、空に飛び立つことなんかしたくなくて、
土の中ではとても幸せだったのかも知れない。
だけども出なくてはいけない。
土の世界から離れなくてはいけない。
戻りたくて、戻りたくて、あんなに必死に泣き叫んでるんだとしたら。
夏によく聴くあの声が、本当は悲鳴なんだとしたら。
もうこれ以上生きていたくないって思っているとしたら。
だとしたらその一週間は、とても長く感じるかも知れないけど、
実際はあっという間で、その悲しみを忘れられるのかも知れない。
もしそうなんだとしたら?
そのくらい、他人の心は解らなかったりする。
どんなに近くても、どんなに言葉を交わしても、
どれだけ想っても、どれだけ時間を共にしても、
それは不変の理なのだと思う。
だけど彼らは、ずっと信じてた。
何度も裏切ったりしながら、最後まで信じてた。
最後まで想っていたし、最後まで求めていた。
”人”として。
だからまた笑顔で会えたんだと思う。
一人でいたら共通点なんて一個もないような人たちが、
「絆」というたった一つの共通点で、強く結ばれている。
なんて素敵なんだろうって素直に思った。
大事なものはそのときそのときで、違っていくものだと思う。
ある時は自分で、またあるときは恋人で、子供で、親で、友達で、
夢だったり、安定だったり、物資だったり、何でもあると思う。
変わってしまうことは、決して悲しいことじゃない。
だけどずっと大事にしたい、出来れば死ぬまでずっと
って思えるものがもしあったとしたなら、
それは、すごく素敵なことだと思う。
彼は褒めてはくれなかった。
そんな私を黙って受け入れた。
受け入れた、かは正直解らないんだけど。
心配するんじゃないよって。
それだけ。
こんなにも言葉がいらなかったんだ、私たちには。