「女神の継承」
前日にあらすじを聞き、無性に観なきゃ!と思った。
いや、この手のものは特に好きというわけでもないし、普段は興味もないところ。
わざわざ自ら触りにいこうなんて思わないジャンル。
けれども私の奥が反応してしまった。
夫に相談すると(息子のお相手が必要)快く送り出してくれた。
以下、軽くネタバレあります(多分)。
観終わった時の私、呆然としてました。
刻々と迫る破滅への瞬間毎に、
救いはないのだろうか?覆すきっかけはないのか?と必死に願う自分
と、
淡々と「そうなるよね」と納得する自分がいた。
人間的な私と天の上からみているような私。
終わった後、呆然としていた私は人間的な私だったんだと今は分かる。
人生には分岐点というものがいくつかあるのだと思っている。
その中でもここの選択間違えたら後戻りできないという瞬間があるんだと思うのです。
どんなに覆そうと思っても、カルマで固められて八方塞がりになる。
例えそれが先祖代々培ってきているものだとしても、今この瞬間を生きる最先端の命としての責任があるんだと思うのです。
自分と先祖のカルマを一緒に清算するのか?
家系に最後のとどめをさしてしまうのか?
どんな時にも人生の選択を間違えない為に必要なのは自分がどんな役割を担っているのか?を常に問うことなんだろうなと思う。
この小さな私という存在は、この世界の歯車のひとつ。
例え小さくても影響は計り知れない。
上手く動かなければ、全体は運営されない。
そうならば、自分がどう動けば全体の幸福に繋がるんだろう?という視点が必要だと思うのです。
結局のところ、自分の役割を受け入れられず拒み続けた彼女には幸福は感じられず、恐怖がちらつく。
自分の先へ続くはずの子孫さえも巻き込んで、血が途絶える歯車が回っていく。
善し悪しに関わらず、大きなものと対峙して受け入れていくには自分の器をその都度大きくしていくしかないんだなと思った。
それは受け入れて流されて、自己犠牲になるのではなく。
受け入れたものを信じ抜けるのか?
そんなことを、最後のシーンで突きつけられたきがします。
受け入れて終わりではない。
受け入れたものを、自分の信念でもって信じ抜き守れるのか?
受け入れても流されない確固とした自分であること、自分の信念を持っていることなんだと思う。
何があっても揺るがない自分を育てる。
いつの時代にも通用する道徳に外れない、己の信念の根を張れるのか?
その為にいかに自分の魂を磨けるのか?
その人生の経験と知恵を子孫に伝え残していけるのか?
これからの時代を生き抜くのに必要な姿勢だと思いました。
ずっと拗ねていた私のインナーチャイルドが潤ったタイミングで観るべき映画だったと思います。
そうでなければ受け入れられなかった気がする。
例え救いのない、残酷に見える出来事だとしても。
そこには自然の摂理が働いていて、大きな全体の視点で眺めてみると残酷でも不幸でもなかったりする。
ただの理なのだ。
そんなことを一旦受け取れるようになった気がする。
こんなことを書いているけれど、決して達観できているわけではないのですが。
己の未熟さを痛感する、そんな時間が与えられたと感じています。
「鍛錬はこれからよ!一生よ!」と何かに言われている気がします。
これからの私の人生で何度となく鍛えられる出来事が起こった時に、振り返る基点のひとつになったと思います。