"Revolution 9" | タコさんの庭

タコさんの庭

ビートルズの歌詞和訳に挑戦

"Revolution 9"

Writers : credited Lennon-McCartney (by John Lennon )

Artist :  The Beatles

Recorded : 1968/06/06, 10, 11, 21  EMI Studios

Released : 1968/11/22 「The Beatles」D面5曲目

2018/09/11「The Beatles 」Special Edition ディスク2 (2018 Mix)                                                                     

 

すみません。訳せませんでした。

              <歌詞和訳>"Revolution 9" 邦題 "レボリューション9"

           革命9

ジョンの曲です。

 

 「レボーリューション」には、 3種類の違うヴァージョンのがあります。

1968年5月30日(木)にレコーディングしたTake18の後半6分をベースにして作ったのが "Revolution 9" です。

前半部分は"Revolution 1" になりました。

 

 

[Spoken Intro]

 ...bottle of claret for you if I'd realised. I'd forgotten all about it, George, I'm sorry. 
Well do next time
Will you forgive me?
Mmmm...yes...
Cheeky bitch

    気づいていたら、クラレットのボトルを… すっかりそのことを忘れていたよ ジョージ 申し訳ない

    いいさ またの機会に

    僕を許してくれるかい?

    あぁ

    ずうずうしい雌犬

cheeky: 生意気な、ずうずうしい

bitch : 雌犬、(イヌ科の動物の)雌、尻軽女、あばずれ女、意地悪女、あま、女、とてもいやな事

 

 

[Chorus]

(Number nine) Number nine, number nine, number nine, number nine, number nine, number nine, number nine, number nine, number nine, number nine, number nine, number nine, number nine, number nine, number (Number, number nine, number nine)

数字の「9」はジョンのラッキーナンバーでした。

EMIのライブラリーにあった「number nine」のテープを、ジョンが気に入りループしたそうです。

「The COMPLEATE BEATLES Recoding sessions」マーク・ルウィーソン著 内田久美子訳

 

Thursday 20 June/6月20日(木)

第1、第2及び第3スタジオ : 7.00pm-3.30 am. レコーディング: "Revolution 9" (サウンド・エフェクトの第1及び第2テイク.SIを加えてマスター・ヴァージョンを編纂).P : ジョージ・マーティン.E : ジェフ・エマリック.2E : リチャード・ラッシュ.

 

―― 前略 ――

 "Revolution 9”のサウンド・エフェクトの中でもっとも 有名な一片も、この晩デビューを果たした ―― 「Number nine, number nine, number nine」 という誰のとも知れない声だ。リチャード・ラッシュがいきさつを語る。「レノンはとんでもないことをやりたがっていたんです。それでライブラリーのテープを山ほど持ち出して聴いていたら、試験のテープの中にあの「Number nine・・・」の声があって、彼はそれがすっかり気に入っちゃったんです!あの声だいけてひとつのループを作り、マシンにセットして延々と廻しつづけ、逆回転のオーケストラやなにかと一緒に、気の向くままにフェ イド・インとフェイド・アウトを繰り返していましたよ」

 声の主は今もって不明である。「アビイ・ロードは昔、王立音楽院の試験をテープに録っていたんだ」とステュアート・エルサム。「今じゃそんなテープもなくなってしまったかね」 

 

LENNON REMEMBERS 132ページ

And the "Revolution No. 9" was an unconscious picture of what I actually think will happen when it happens. That was just like a drawing of revolution. All the thing was made with loops, I had about thirty loops going, I fed them on to one basic track and one loop. I was getting like classical tapes going upstairs and chopping it and making it backwards and things like that to get the sound effects and one thing was an engineer's testing tape where they come on talking and I would say "this is EMI, test series number nine" and I would just cut up whatever he said and I'd number nine it; and nine, turned out to be my birthday and my luck number and everything. I didn't realize it, it was just so funny, the voice saying "number nine" it was like a joke, bringing number nine in it all the time, that's all it was. 

以下私の訳です。難しかったです。本当に自信ないので英文と見比べてくださいね。

そして "Revolution 9"は、革命が起きたら実際にこうなるんじゃないかと僕が思ったなんとなくのイメージだった。それはまさに革命を描いたようなものだった。すべてのことをループで作った。僕は約30個くらいのループを回し続けた。それらをベーシックトラックに移して1つのループにした。僕は2階に行ってクラシックのようなテープを持ってきた。それを切り刻んだり逆回転したりして、サウンドエフェクトのようなものものがいくつかと、エンジニアが話し合っているのテストテープもひとつある。僕は「これぞEMIだ。テストシリーズナイン」と言っていたっけ。彼が話したことを何でも切り刻んで、僕はそれをナンバーナインにしたんだ。9は僕の誕生日でもあり、結果的にすべてにおいて僕のラッキーナンバーになった。その時(レコーディング時?)はただ面白いと思ったでけで、そのこと(ラッキーナンバーのこと?)には気づいていたかった。その部分にずっと「ナンバーナイン」を持ってくることで、「ナンバーナイン」と言う声がジョークのようになった。だだそれだけのことだ。

 

ジョンの元妻シンシアが「ジョンレノンに恋して」してという本で、

ジョンがラッキーナンバーだと言う「9」について書いています。

 

(以下、「ジョン・レノンに恋して」シンシア・レノン著からの要約です)

1980年のことです。

弁護士から法的書類にサインがどうしても必要だと言われたシンシアは、翌日には帰る予定で列車に乗りロンドンに行きました。息子ジュリアンは、夫(3度目の結婚)と、アンジ―(ポール・マッカートニーの弟マイクの前妻で、ウェールズ北部にあるシンシアのレストランで働いていた)に預けました。

そしてその晩は、すでにリンゴと離婚していたモーリンの家に行きました。

お手伝いさんが作ったおいしい御馳走のあとには、モーリンと友達二人と思い出話をしました。先に寝たシンシアはモーリンの悲鳴で目が覚めました。リンゴからの電話でした。

「シン、こんなことを伝えなきゃいけないなんて…ジョンが死んだよ」

シンシアは、激しく泣きました。そしてシンシアは家の残してきた息子ジュリア(17歳)に自分の口から知らせるために、モーリンが手配してくれた運転手つき車で自宅のウェールズに帰りました。モーリンとザック(リンゴの息子15歳)も一緒について来てくれました。

その車中でシンシアはジョンのことを思いました。

「ジョン・レノンに恋して」シンシア・レノン著 吉野由樹訳 20ページ 

 ジョンは、ニューヨークで、12月8日午後10時50分に撃たれた。時差があるので、イギリスでは12月9日午前3時50分ということになる。リンゴが電話してきたのは事件から2時間たらずあとだったから、わたしたちは7時までにはモーリンの家を出発していたと思う。ウェールズ北部までは、車で約4時間だ。家までの道のり、わたしは車の窓から灰色の夜明けを見つめながら、ジョンのことを思った。 
 いろいろな思いがぐるぐるまわる混乱した願の中で、ふたつの考えが、繰り返し鮮明に巡ってきた。ひとつは、9という数字が、ジョンにとってそれまでいつも重要な意味をもってきたということ。10月9日に生まれ、ジョンのふたり目の息子、ショーンも同じ日に生まれた。ジョンの母親は9番地に住んでいた。ジョンに出会ったころにわたしが住んでいた家は18番地(1+8=9)で、ジュリアンが生まれた病院の住所は126番地(1+2+6=9) だった。ブライアン・エプスタインが初めてビートルズの 演奏を聴いたのが11月9日、レコード契約が本決まりになったのが5月9日、ジョンがオノ・ヨーコと出会ったのも11月9日だ。数字の9はジョンの人生において、そのほかにもいろいろな場面に現れる。だからジョンは、9にまつわる曲を三曲書いている。「ワン・アフター・909」 「レボリューション9」「夢の夢(#9ドリーム)」。そして、 ジョンは12月9日にこの世を去った。これだけ9がそろうと、偶然だとしても怖くなる。
 ふたつ目の考えは、―― 以下省略 ――

ジョンが、亡くなったのはニューヨークで12月8日ですショボーン

シンシアその知らせを受けたロンドンは12月9日だったということですね。

 

私は、「9」がジョンのラッキーナンバーと知ってからは

買い物に行ったとき、自転車を9番に停めますハート

今までは避けていた「9」ですがアセアセ

 

[Verse 1]

Then there's this Welsh Rarebit wearing some brown underpants
About the shortage of grain in Hertfordshire
Everyone of them knew that as time went by
They'd get a little bit older and a little bit slower but
It's all the same thing, in this case manufactured by someone who's always
Umpteen time your father's giving it diddly-i-dee
District was leaving, intended to pay for

    それから茶色のズボン下をはいているこのウェルシュ・ラビットがある

    ハートフォードシャー州における穀物不足について

    時間が経つにつれ そのすべての人が知っていた

    彼らは少しだけ歳を取り少しだけ遅くなる

    それはすべて同じものだ この場合いつも同じ人により製造された

    何度も 君のお父さんかのらの贈り物はそのdiddly-i-dee だった

    地区が撤退するのは その費用を支払うためだった

ウェルシュラビット ウキペディアより

チーズ、バター、ビール(エール)、卵黄、ウスターソースを混ぜてソースを作り、パンに乗せて焼く。チーズにはチェダーチーズが推奨されることが多いが、ランカシャーチーズのほうが美味しいとする意見もある。

Welsh : ウェールズの
rarebit : 溶かしたチーズにエールかビールを混ぜてトーストにのせたもの
shortage of : 欠乏、〔…の〕不足,払底

grain : (特に小麦などの)穀物、穀類、(穀物の)ひと粒、穀粒、(砂・塩・砂糖などの)ひと粒、(…の)ほんの少し、(極)微量、(皮の表面の)粒々、しぼ、グレーン

Hertfordshire : ハートフォードシャー州 《イングランド南東部の州》.
manufactured by : ~製
umpteen : 多くの、多数の


ここまで訳して、あとは無理でしたアセアセ

ジョンが色々なテープを切り刻んでいるので、訳しても文がつながりません。やる気が起こりませんでしたアセアセ

 

ジョンが、"Revolution 9" でやりたかったことは、

ジョンが思う革命を音で表現することで、

つなげた歌詞に意味はないのだと思い訳しませんでした。アセアセ

 

 

ビートルズの世界的な研究家「Mark Lewisohn」氏による研究

「The COMPLEATE BEATLES Recoding sessions」マーク・ルウィーソン著 内田久美子訳

 

Thursday 20 June/6月20日(木)

第1、第2及び第3スタジオ : 7.00pm-3.30 am. レコーディング: "Revolution 9" (サウンド・エフェクトの第1及び第2テイク.SIを加えてマスター・ヴァージョンを編纂).P : ジョージ・マーティン.E : ジェフ・エマリック.2E : リチャード・ラッシュ.

 

―― 前省略 ―― 

 この4トラック・テープを詳細に調べると、次のようなループやエフェクトが含まれているのがわかる。
●大量のエコーをかけて何度も繰り返される「Geoff・・・put the red light on (ジェフ、赤ランプをつけてくれ)」と いうジョージ・マーティンの声。
●逆行展開のヴァイオリンを伴う合唱。
●切り刻んで逆回転にした交響楽。
●1967年2月10日に録った "A Day In The Life”の オーケストラのオーバーダブから短い断片を抜き出し、何度もリピートさせたもの。
●逆行展開のメロトロン(ジョンがプレイ)、さまざまなシンフォニーやオペラ。
 "Revolution 9”のサウンド・エフェクトの中でもっとも 有名な一片も、この晩デビューを果たした ―― 「Number nine, number nine, number nine」 という誰のとも知れない声だ。

―― 途中省略 ――

「"Revolution 9" はジョンがひとりで作ったようなものですよ」とリチャード・ラッシュ。「でもあの晩は、ジョージ・ハリスンもアビィ・ロードにやってきたんです。2人でヴォーカル・マイクの前に立ち、『the Watusi』とか『the Twis』とか妙なことを言ってました」。

 ジョンとジョージが奇妙な散文を ―― 時には同様に奇妙な声色で ―― 2本のマイクに向かって朗読する声は、それをそそのかすようなヨーコ・オノの高音のハミングと共に、確かにオリジナル・テープに録音されている。ジョンは曲の初めから終わりまでずっとこれを流しながら、適当にフェイド・ イン/フェイド・アウトさせてマスターに組み込んだ。最終ヴァージョンで聞くことができる言葉は、ジョンの「personality complex(二重人格)」、「onion soup(オニオン・ スープ)」、「economically viable(経済的発展可能)」、「industrial output(工業生產商)」、「financial imbalance(財政不均衝)」、「the watusi (ワッシ)」、「the twist (ツイスト)」、「take this brother, may it serve you well(これをお持ちなさい、お役に立ちますよ)」、ジョージの「Eldorado(黄金郷)」、それに2人が6回繰り返す「there ain't no rule for the company freaks! (カンパニー・フリークにルールはない!)」など。
 ここの長いオーバーダブの終わりには、ジョンがまだささやき声でジョージにこう言っている。「じゃあ聴いてみよう か」。そうして彼らが聴いたのは、無数のサウンド・エフェクトやテープ・ループ、オーバーダブ、その他もろもろで構成されたサウンドだった。20年経った今でも、内容を分析しようと思ったらきりがないし、いつ聴いても新しい発見がある。

 「"Revolution 9" では、テープ・ディレイ・システムを利 用してテープ・エコーをかけるSTEEDシステム 〔編注〕を使いました」とアラン・ボーン。「トラックがあんまり長くて、途中でディレイのテープが終わっちゃったので、巻き戻してる音がライヴで入ってますよ。そんなハプニング ――アクシデント―― まで、完成版に寄与したんです」

―― 以下省略 ――

 

〔編注〕

STEED/スティード

スティードはアピィ・ロード・スタジオで考案された独自の技術で、ディレイ (リピート・エコー)の効果とテープ・ループを合わせた効果。

 

いつ聴いても新しい発見がある

そうなんだ。そういう風に聴けばいいのですね音符キラキラ

私は、ジョージが言う「Eldorado(黄金郷)」が好きですラブラブ

そして、パタパタと虫が動いて行く音に聞こえる部分が嫌いですショボーンそれが、テープの巻き戻しの音なのでしょうか。

 

歌詞が見たい方は以下を参考にしてください。

ポールはアメリカに行っていてレコーディングには参加していない

ポールはアルバムに入れることを反対していた

「The COMPLEATE BEATLES Recoding sessions」マーク・ルウィーソン著 内田久美子訳

 

Thursday 20 June/6月20日(木)

第1、第2及び第3スタジオ : 7.00pm-3.30 am. レコーディング: "Revolution 9" (サウンド・エフェクトの第1及び第2テイク.SIを加えてマスター・ヴァージョンを編纂).P : ジョージ・マーティン.E : ジェフ・エマリック.2E : リチャード・ラッシュ.

 

6月12~14日の3回のセッションは、ジョージとリンゴが不在のためキャンセルされた。しかし、ポール・マッカー トニーが5日間をアメリカで過ごす予定で、セッションの1時間前にロンドン空巷を飛び発ったにもかかわらず、この日はスタジオ・ワークが行なわれた。

 

―― 以下省略 ――

 

バリー・マイルズ著 「ポール・マッカートニー/ メニー・イヤーズ・フロム・ナウ」翻訳 竹林 雅子 648ページ

 

 新しい2枚組アルバムには30もの新曲が収録されていたので、評論家たちは直ちに全作品を消化し切れなかった。 各楽曲はそれぞれ別個のユニットとして、最適なアレンジや楽器編成が成されており、弦楽四重奏からヘヴィなロック・コンポまでの多彩な内容だったからである。ビートルズは、たとえばストーンズやその他のバンドのように、4人組のバンドが同じ状態で演奏し続けたようなアルバムは作らなかった。 

 レコーディングは1968年5月30日にジョンの "レヴォリューション1" から始まった。そのときは単に "レヴォリューション" と題された、ドゥワップ・コーラスとビーチ・ボーイズ風コードのブラス・セクション付きの政治的内容のポップ曲だった。このスロー・バラードのエンディングが余りにも延々と続いたので、ジョンはこの部分を切り取った6分間のテープを、悪名高きサウンド・コラージュ "レヴォリューション9" のベーシック・トラックに使っている。"レヴォリューション9" はビートルズの作品と言うよりはオノ・ヨーコの作品と言えるが、ポールがビートルズと共に18か月前に制作した "カーニヴァル・ オブ・ライト" との共通点がある。
 ジョンはプレイボーイ誌にこう語っている。「ある程度は(ヨーコの)影響があったと思う。彼女の作品を聴いた途端 ―― 叫び声やわめき声だけじゃなくて、話し声とか息とか、いろんな不思議な声の作品を聴いて、僕は『何てことだ!!』 と驚嘆した。興味を惹かれて、自分でもやってみたくなったんだよ」。ニューヨークで何度もジョン・ケージと共演していたヨーコは、この類の作品に馴染んでいたのだ。

 "レヴォリューション9" のレコーディングの間、ポールはニューヨークにいた。ジョージとリンゴは最後に叫び声を上げてレコーディングに参加したが、ミックス段階で二人の貢献は削除されてしまった。この3年後、毛沢東主義に走っていたジョンは、曲の意図をこのように説明した。「サウンドを使って、革命という絵を描いているつもりだったけど ―― 僕は間違いを犯していた。あれは革命ではなく、反革命だったよ」。これはレッド・モール誌用に左翼理論家のタリク・アリとロビン・ブラックバーンとのインタヴューに答えての発言なので、ジョンは彼らの好みそうな説明をした可能性もある。アヴァンギャルド詩人や作曲家が20年も前から作っていたサウンド・コラージュと変わらないこの作品が、どこでどう革命と関係しているのかは理解しがたい。録音の時期がもう少し遅ければ、ジョンとヨーコのソロ・ア ルバム『トゥー・ヴァージンズ』に収録されたであろうホーム・テープと言った方がいい作品だ。ビートルズのメンバ ーとジョージ・マーティンは、この作品をアルバムに入れないようにジョンを説得しようと必死だった。このアルバム制作全般につきまとうことになるパーソナリティに関する問題が、セッション当初から既に顕著になっていた。問題の大半は、ヨーコが常に傍にいること、ヨーコが曲に関して求められてもいないコメントをすることをジョンが要求したことが原因だった。
 この曲の制作過程を説明したジョンの話は、ポールが『トゥモロウ・ネヴァー・ノウズ』のソロ部分を制作した過程とよく似ている。彼はプレイボーイ誌にこう語った。
「EMIの倉庫から取り出したテープで作ったループを20ほど使ったものが、オリジナルの "レヴォリューション" のベーシック・リズムだ。クラシック音楽のテープを切り刻んで、いろんな長さのループを作ったよ。テスト・エンジニアが「ナンバー・ナイン、ナンバー・ナイン』と言ってるテープの上から別のエンジニアが録音をして、いろんなノイズやサウンドが集められた。10台ほどの録音機の前で、みんなループに鉛筆を構えた。数インチのものから1ヤードのものまで、長さはまちまちだった。それをすべてライヴでミックスした。気に入ったミックスが出来るまで、数回ほど試したよ。ヨーコもずっと現場にいて、どのループを使うかは彼女が判断した」。

 

冒頭の「Cheeky bitch」は、洋子さんのことを言っているのでしょうか??

ジョンはそれを知って、わざと[Intro] に持ってきたのでしょうか????