"All Together Now" | タコさんの庭

タコさんの庭

ビートルズの歌詞和訳に挑戦

"All Together Now"

Writers : credited Lennon-McCartney (by Paul McCartney )

Artist :  The Beatles

Recorded : 1967/5/12  EMI Studios

Released :  

1969/01/13「Yellow Submarine」A面3曲目

1999/09/13「Yellow Submarine Songtrack」A面5曲目

2009/09/09「Yellow Submarine」[Remastered] 

 

2024年2月10日追記

ポールの本 「The LYRICS」には載っていませんでした。

  <歌詞和訳>"All Together Now" 邦題 "オール・トゥゲザー・ナウ"

         さぁ みんな一緒に

[Verse 1]

One, two, three, four
Can I have a little more?
Five, six, seven, eight, nine, ten
I love you

    ワン・ツゥ・スリー・フォー

    もうちょっともらっていい?

    ファィブ・シックス・セヴン・エイト・ナイン・テン

    大好きだよ

 

[Verse 2]

A, B, C, D
Can I bring my friend to tea?
E, F, G, H, I, J
I love you

    A・B・C・D

    僕の友だちをお茶に連れてきてもいい?

    E・F・G・H・I・J

    大好きだよ

 

[Bridge]

(Bom bom bom bompa bom) Sail the ship 

(bompa bom) Chop the tree

(bompa bom) Skip the rope

(bompa bom) Look at me

    船を出して

    木を切って

    縄を飛んで

    僕に注目

    

[Chorus]

(All together now) All together now
(All together now) All together now
(All together now) All together now
(All together now) All together now

    さぁ みんな一緒に

    さぁ みんな一緒に

    さぁ みんな一緒に

    さぁ みんな一緒に

 

[Verse 3]

Black, white, green, red
Can I take my friend to bed?
Pink, brown, yellow, orange, and blue
I love you

    ブラック・ホワイト・グリーン・レッド

    僕の友だちをベッドに連れて行ってもいい?

    ピンク・ブラウン・イエロー・オレンジ・それとブルー

    大好きだよ

 

[Bridge Repeat]

(All together now) All together now
(All together now) All together now
(All together now) All together now
(All together now) All together now

(All together now) All together now
(All together now) All together now
(All together now) All together now
(All together now) All together now

    さぁ みんな一緒に

    さぁ みんな一緒に

    さぁ みんな一緒に

    さぁ みんな一緒に

    さぁ みんな一緒に

    さぁ みんな一緒に

    さぁ みんな一緒に

    さぁ みんな一緒に

 

[Pre-Chorus Repeat]

(Bom bom bom bompa bom) Sail the ship 

(bompa bom) Chop the tree

(bompa bom) Skip the rope

(bompa bom) Look at me

    船を出して

    木を切って

    縄を飛んで

    僕に注目

 

[Pre-Chorus]

(All together now) All together now
(All together now) All together now
(All together now) All together now
(All together now) All together now
(All together now) All together now
(All together now) All together now
(All together now) All together now
(All together now) All together now
(All together now) All together now
(All together now) All together now
(All together now) All together now
(All together now) All together now

 

??

1967年5月初旬ビートルズは、長編アニメーション映画「イエロー・サブマリン」に関する合意書に署名しました。

「マジカル・ミステリー・ツアー」と「イエロー・サブマリン」の2つのプロジェクトにとりかかっているビートルズ。

"Magical Mystery Tour" のあとにレコーディングした曲は、映画「イエロー・サブマリン」のための曲 "Baby, You're A Rich Man" でした。

結局、"Baby, You're A Rich Man" は、シングルB面としてリリースされたので(A面は"All You Need Is Love")、アルバム「Yellow Submarine」には収録されませんでしたが映画では使われています。

そして翌日も映画「イエロー・サブマリン」のための曲をレコーディングしました。

その曲が "All Together Now" です。ポールが書きました。

「the complete BEATLES Chronicle 1965- 1970」

マーク・ルイソン 著 ビートルズ・シネ・クラブ 監修・翻訳

1967年5月12日(金)
EMIスタジオ、第2スタジオ
London

前日のオリンピック・スタジオでの猛烈な働きぶりが二日酔いのように体のなかでくすぶっていたのか、EMIスタジオに戻ったこの日も精力的なセッションとなった。午後7時から午前0時30分まで、6時間をきるたった1回のセッションで、ビートルズは新曲のレコーディングを始め、完成させ、モノ・ミックスまで仕上げてしまったのだ。ジョージ・マーティンは不在だったため、コントロール・ルームを仕切ったのはジェフ・エメリックだった。 この日レコーディングしたのは、"YELLOW SUBMARINE" のサウンドトラックのための "All Together Now" だ。リズム・トラックを9テイク録音し、テイク9にオーバーダビングした。

 

子供のための歌ですね!

妄想したのは、子供と親の会話です。

[Verse 1]「もうちょっともらっていい?」

[Verse 2]「僕の友だちをお茶に連れてきてもいい?」

      イギリスにはお茶を楽しむ習慣があります。

[Verse 3]「僕の友だちをベッドに連れて行ってもいい?」

返事をしてくれた親に「大好きだよ」と言っている子供の姿を妄想しました。

 

以下「ビートルズde英文法」佐藤良明教授 の本の例題です。

☆Can I〜?は、「していいですか?」と許可を求めるときに使う。
Can I have a little more?
  ―― Yes, just a little more.  いいですよ、ほんの少しなら。

Can I bring my friend to tea?
  ―― Yes, you can. Anytime.  はい、いつでもどうぞ。

Can I take my friend to bed?
  ―― No way, Honey.  だめよ、あなた。

 

そんな例文を見た私は深読みしてしまい、

[Verse 3]の「Can I take my friend to bed?」だけ、

ポールはもう一つの意味を隠しているかもしれないと思ってしまいましたアセアセ

英辞郎より

take someone to bed : (人)とセックスする

            ◆make love toよりさらに遠回しで少し曖昧

 

2024年2月10日追記

2月4日投稿したあとに、みつけました。

やはり二重の意味があるそうですが、私の妄想の下ネタとは違いました。恥ずかしい。アセアセ

バリー・マイルズ著 「ポール・マッカートニー/ メニー・イヤーズ・フロム・ナウ」翻訳 竹林 雅子 646ページ

ポール「よく会場の聴衆に向かって、"All together now! (*みなさんもご一緒に!)" と言って歌に参加させるだろ。そのフレーズをそのまま使って、"we are all together now (*みんな一緒になった)。の意味も読み込んで二重の意味を使ったんだよ。これは子ども向けの歌。よく親戚の子どもたちに歌を歌ってあげてたんだけど、その中に "オール・トゥゲザー・ナウ" によく似た"ジャンピング・ラウンド・ザ・ルーム"という歌があってね。"仰向けに寝てみよう" と歌うと子どもたちは寝転ぶ。"部屋中をスキップしよう" とか "宙に飛んでみよう" とか、歌で指示をして遊ぶ子ども向けの歌なんだ。Gコードの、すごくシンプルなコード二つくらいの曲だった。そんなみんなの歌って感じで、余り大した作品じゃなかったんだよ。

 

 
 

 

[ヴァース] は韻を踏んでいて、日本語に訳してしまうのはもったいないです。

(これも、「ビートルズde英文法」で教えてもらいました。)

[Verse 1]

One, two, three, four
Can I have a little more
Five, six, seven, eight, nine, ten
I love you

[Verse 2]

A, B, C, D
Can I bring my friend to tea
E, F, G, H, I, J
I love you

[Verse 3]

Black, white, green, red
Can I take my friend to bed
Pink, brown, yellow, orange, and blue
I love you

 

 

ポールとリンダ・イーストマンとの出会い

"All Together Now" をレコーディングした3日後の1967年5月15日。

ポールは将来結婚することになるリンダ・イーストマンに出会います。

 

バリー・マイルズ著 「ポール・マッカートニー/ メニー・イヤーズ・フロム・ナウ」翻訳 竹林 雅子 576ページ

 

 

一九六七年五月十五日、ボールは街に遊びに出かけた。

「リンダと出会った夜は、バッグ・オネイルズでジョージー・フェイム&ザ・ブルー・フレイムズのいかしたライヴを見ていたんだ。彼女はニューヨークで撮影したことのあるアニマルズと一緒に、僕より二つほど前の、ステージ寄りの一角に座っていた。バンドの演奏が終わって、連中が帰ろうとしたのか、飲み物を取りに行こうとしたのか、トイレに行こうとしたのか、ともかくリンダが僕らのテーブルを通りかかった。そのとき、僕はテーブルの脇に立ち上がって彼女の道を塞いで、「あ、失礼。ハーイ、こんにちは」と自己紹介して、『僕らはこれから別のクラブに行くんだけど、君も来ない?』と誘ったんだ。

 あれが僕の誘い文句だった! いや、それまで使ったことはなかったけど、このときは上手くいった! 勝算はそれほどなかったけど、上手くいった。彼女は『いいわ、みんなで行くわ。でも、どうやって行けばいいかしら』と答えてくれて、どんな手配をしたかは忘れたけど、『君は僕らの車に乗って』とか何とか言って、僕のグループとアニマルズとで一緒にスピークイージーに流れたんだ。

 あの晩、初めて "青い影" のレコードを聴いた。船酔いした気分を歌ったもので、歌詞がとても不思議で、詩的で、有名なバッハがテーマになってたけど、僕らは聴いたこともない曲だった。何すごいレコードだって、みんなぶったまげたよ。記念碑的なレコードだった。画期的さ。これは誰だろうとみんなで話したよ。僕らは遂に、『今のレコードは誰?』とブースまで尋ねに行った。『ブロコル・ハルムの "青い影" だよ』と言われて、『ブロコル何だって? ラテン語か何かかい?』ってさ、この名前は一体何の意味なんだろうかって一晩中盛り上がったよ。ミステリーの夜だった」。

リンダはポールと出会った翌日、ブライアン・エプスタインのアシスタント「ピーター・ブラウン」に電話をしました。

ピーター・ブラウン 英語版 ウキペディアより 

ピーター・ブラウンはアメリカ在住のイギリス人実業家。ブライアン・エプスタインがリバプールでエプスタインの楽器店を経営するためにブラウンを採用した後、彼はビートルズの経営陣の一員となった。バンドが解散するまで、エプスタインとビートルズの個人アシスタントを務めた。エプスタインの死後は、アップル・コープの設立に携わり、取締役を務めた。その後、多くの会社を設立し、ニューヨークに在住。

www.DeepL.com/Translator(無料版)で翻訳しました。

以下は、そのピーター・ブラウンの言葉です。

ピーター・ブラウン、スティーヴン・ゲインズ著「ビートルズ ラヴ・ユー・メイク 下」 小林宏明訳 57ページ

 

 プライオリーから、ブライアン(ビートルズのマネージャーです)は五月十九日に帰ってきた。同じ日に《 サージェント・ペパー》を発売を記念するプレス・パーティがチャペル通りにあるブライアンのタウン・ハウスで開かれることになっていた。私はブライアンの健康を思ってパーティを小規模なものにしようときめ、マスコミからせいぜい十人程度の重要なジャーナリストだけを招待し、ビートルズのうちひとりかふたりを同席させ、新しいアルバムを聴いて "家族的な" 夕食を楽しんでもらおうと思っていた。だが、このような催しに招待されることはジャーナリストにとって値千金の重味をもっていたから、パーティがおこなわれる二週間まえには招待してほしいという要請が山ほど届いた。
 その要請を電話で伝えてきた人のなかに、リンダ・イーストマンという若いアメリカ人女性がいた。私はニューヨークで彼女に逢ったことがあった。

 

途中略(リンダ・イーストマンの説明について)


 ある夜アニマルズの元ベース奏者であるチャス・チャンドラーが、ジョージー・フェイム・アンド・ザ・ブルー・フレームズを聴くためにバッグ・オヴ・ネイルズという人気のあるクラブにリンダを連れていった。ちょうどポールが長くかかったミキシングを終えて私とともにバッグ・オヴ・ネイルズにいたので、私はリンダを彼に紹介した。リンダはポールと連れだってスピークイージーというふたつめのクラブへ出かけていったが、その夜遅くエリック・クラプトン、キース・ムーン、ピーター・タウンゼンド、ロジャー・ダルトリーと合流したとき、彼らは別れ別れになり、リンダはひとりで家へ帰った。翌日彼女は、私のオフィスに電話してきた。ローリング・ストーンズの新しい写真ができあがったのだ、と彼女は言った。私はストーンズ のファンだったから、その写真をオフィスにもってきて見せてくれないかと頼んだ。前日に偶然出逢ったブライアン・ジョーンズの写真を私がとくに気に入ると、リングはそれをプレゼントしてくれた。私はお礼として、彼女を《サージャント・ペパー》発売を記念した撮影会に招待した。

 

ウキペディア 「リンダ・マッカートニー」より

1967年5月15日、ロンドンの「バック・オネイルズ」というクラブでビートルズのポール・マッカートニーと知り合う。当時ポールはジェーン・アッシャー(ピーター&ゴードンのピーター・アッシャーの妹)と婚約していたが、翌年になって破局。その後、すぐにポールとリンダは交際するようになる(その後、ポールはビートルズのレコーディング・セッションにもリンダを同伴させることが多くなる。リンダが撮影したレコーディング中のビートルズの写真も多数残されている)。そして1969年3月12日に正式に結婚。ポールとの結婚について、イギリスのファンは否定的な反応を示してお、1週間後にジョン・レノンに結婚したオノ・ヨーコとともにファンの間ではビートルズ解散の原因とされていた。