「I・ME・MINE」という本について | タコさんの庭

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ビートルズの歌詞和訳に挑戦

「I・ME・MINE」という本について調べていくうちに、ジョージの人柄を知りました。

 

日本で発売された「ジョージ・ハリスン自伝 I・ME・MINE」は、巻末に2002年11月30日 初版発行とあります。

ジョージは2001年11月29日に亡くなっているので、ジョージが亡くなった翌年です。

 

でも、元のオリジナルは1880年に発行されていました。

「ジョージ・ハリスン自伝 I・ME・MINE」の訳者 山川真理さんのあとがきを引用させていただきます。

「ジョージ・ハリスン自伝 I・ME・MINE」より

本書(IME MINE, Chronicle Books 2002) は、 もともと特別仕様の限定版として、1980年にイギリスのジェネシス・パブリケーションズから刊行されました。 オリヴィア・ハリスン(ジョージが再婚した人です)の序文に出てくるブライアン・ロイランスは、ジェネシス社の創業者です。限定版の『アイ・ミー・マイン』は 完成までにおよそ二年の月日を要し、イギリス各地の工房で職人たちの手作業によって製本されまし た。 表紙は革装、二八色を使ったカラー印刷で、2000冊限定。一冊ごとにジョージの直筆サインが入っていました。ジェネシス社のウェブサイト (www.genesis-publications.com) では、 限定版の美しい装丁や、ジョージが印刷所を訪れたようすなどを見ることができます。

 

山川さんが教えてくださった「ジェネシス・パブリケーションズ」のウェブサイトを見ると、「I・ME・MINE」という本の共作者であるデレク・テイラーとジョージが、その印刷工房の看板の横で立っている写真をみることができました。自分の本を作るためにわざわざ印刷工房まで行ったのですねキラキラ

 

↑のサイトの5か所で計18枚の写真を見ることができるのですが、その3か所目の3枚目です。

時間とともに自動でスライドする写真です。

 

 

「ジョージ・ハリスン自伝 I・ME・MINE」のまえがきでジョージは、看板の横で写真を撮ったその工房をテレビで見たと書いています。

「ジョージ・ハリスン自伝 I・ME・MINE」より

戦争のような日々以来ずっと、ぼくは自分の曲の歌詞を書いた原稿があちこちに 散らばっているのを、一か所に集めたいと思い続けていた。1977年7月、ヒースロー空港のそばにあるホテルの一室で、ふたりの酒豪がぼくに面会を申し込んできた。そして、もしぼくが作詞原稿を全部探し出すことができたら、すてきな本にまとめられるだろうと言ってきた。ふたりは、プライ艦長 の『軍艦バウンティ号航海日誌』を一冊持参していた。出版元はジェネシス社で、価格は158ボンドとお買い得だった。

 その少しあとに、ジャック・ハーグリーヴズのテレビ番組『アウト・オブ・タウン』が放送された。革装の本のことがとりあげられていて、昔のものであるにもかかわらず、オリジナルの状態に復元することが可能だと紹介されていた。職人による手作りの製造過程に、ぼくはたいへん興味をおぼえた。そして、雑多な紙切れをそのような本にして威厳を持たせることを、真剣に考えるようになった。

 ここには、気の遠くなるような詳細が、あなたのためだけに記されている。日常生活とはかけ離れた価格で、短い人生にちょっとした変化をお届けしよう。この本 は当初『ザ・ビッグ・レザー・ジョブ』と呼ばれる予定だったが、いつのまにか『アイ・ミー・マイン』が定着してしまった。なぜなら、心の中にある小さなエゴ をまわり道させるためにも、活用できそうな本だからである。
 ぼくはこの本にさんざん苦しめられた。さあ、次はあなたの番だ。

                         ジョージ・ハリスン 

                         イングランド某所にて記す

そして、そのショージの想いがつまった本がこれ↓です。1980年8月発行。

以下のサイトで買えます。

そのサイトの売られている本の説明を一部引用します。

First edition, first impression, signed limited edition, number 51 of 2,000 copies signed by the author. This copy additionally inscribed To Dave - Old Pal, best wishes from George, with a drawing of an Om and a crucifix. The publication of I Me and Mine was a watershed moment in the history of the Beatles. "Lennon took offence at being left out of the book altogether. Harrison made an unsuccessful attempt to contact him to discuss this grievance. That December, Lennon was shot dead. Now the Beatles really were history; there could be no reunion" (ODNB).

初版、ファースト・インプレッション、サイン入り限定版、2,000部中51番。著者サイン入り。本書には「To Dave - Old Pal, best wishes from George」と、オムと十字架の絵が添えられている。『I Me and Mine』の出版は、ビートルズの歴史の分岐点となった。「レノンはこの本から完全に外されたことに腹を立てた。ハリソンはこの不満について話し合うため、彼に連絡を取ろうとしたが失敗した。その年の12月、レノンは射殺された。これでビートルズは本当に歴史となり、再結成はありえなかった」

 

ジョージは、この本に対する自分の想いをジョンに伝えたかったでしょうねタラー

ジョンは1980年12月8日に亡くなりました。

 

その本を見て感じたジョンの言葉と、その7年後1987年にそれに対するジョージの言葉が、英語版ウキペディアに書いてありました。

I, Me, Mine was released a few months before John Lennon's murder in December 1980. Lennon took offence at Harrison's book, telling interviewer David Sheff: "I was hurt by it ... By glaring omission in the book, my influence on his life is absolutely zilch and nil ... I'm not in the book." Harrison does mention Lennon several times, although not as a musical influence, which was the point of Lennon's displeasure.

 

In December 1987, Harrison was asked about Lennon's comments by Selina Scott on the television show West 57th Street. He told her: "[Lennon] was annoyed 'cause I didn't say that he'd written one line of this song 'Taxman'. But I also didn't say how I wrote two lines of 'Come Together' or three lines of 'Eleanor Rigby', you know? I wasn't getting into any of that. I think, in the balance, I would have had more things to be niggled with him about than he would have had with me."

I, Me, Mineは、1980年12月にジョン・レノンが殺害される数ヶ月前に発売された。レノンはハリソンの本に腹を立て、インタビュアーのデヴィッド・シェフにこう語っている。

僕はこの本で傷ついた。その本のはなはだしい省略によって彼の人生に対する僕の影響はまったくゼロだ。僕はこの本に出てこないんだ" ハリスンはレノンについて何度か触れているが、音楽的な影響としてではなく、それがレノンの不興を買った点だった。

1987年12月、ハリソンはテレビ番組『West 57th Street』でセリーナ・スコットからレノンのコメントについて質問された。彼は彼女に言った。(レノンは)僕がこの曲 "Taxman"を1行も書いたと言わなかったから、腹を立てていたんだ。でも、"Come Together" の2行や "Eleanor Rigby"の3行をどう書いたかも言わなかったんだ。そういうことには一切触れなかった。バランスを考えれば、彼が私に対して抱いていたであろうことよりも、私が彼に対して抱いていたであろうことの方が多かったと思う」。

"Come Together" や "Eleanor Rigby" ジョージが手伝った部分もあるのですねラブラブキラキラ

 

英語版 ウキペディア「I, Me, Mine」

The Genesis limited edition sold out soon after publication, and it was subsequently published in hardback and paperback in black ink by W H Allen in London and by Simon & Schuster in New York.

ジェネシスの限定版は出版後すぐに完売し、その後、ロンドンのW・H・アレン社、ニューヨークのサイモン&シュスター社からハードカバーとペーパーバックが黒インクで出版された。

Published by Simon & Schuster, New York, 1980 

サイモン&シュスター社、ニューヨーク、1980年発行

ジョンは↑この本を読んだのでしょうか?それとも2000部の内の1冊をもっていたのでしょうか?

 

ジョンが怒るほど、「I, Me, Mine」のジョージとデレク・テイラーの文章(二人の文は字体を変えて区別できるようになっています)は少なく、多くは、写真と、ジョージの手書きの歌詞と、タイプされた歌詞と、その曲に対するジョージの本当に短いコメントで構成されています。

 

 

「ジョージ・ハリスン自伝 I・ME・MINE」の訳者 山川真理さんのあとがきに

「限定版の『アイ・ミー・マイン』は 完成までにおよそ二年の月日を要し」とあります。

2年をかけてジョージがデレク・テイラーと一緒に作った「I, Me, Mine」。

その本からジョージの作品に対する思いと真面目さが伝わります。

 

そして月日が経ち、1997年9月8日「I, Me, Mine」の共作者デレク・テイラーが癌で亡くなりました。65歳でした。

デレク・テイラーはビートルズ時代の広報担当でした。元は新聞社に勤めていました。ジョージのコラムの代筆をマネージャーのブライアン・エプスタインから任されたこともありました。ジョージはその原稿を確認していたそうです。その頃からずっと二人の付き合いが続いていたのは、ジョージの人柄ですねラブラブ

デレク・テイラーが亡くなったあとも、「I, Me, Mine」を出版したブライアン・ロイランスさんとジョージの絆はさらに深まったそうです。

「ジョージ・ハリスン自伝 I・ME・MINE」より

序文 オリヴィア・ハリスン

ジョージとデレクが一緒にこの本に取り組んでいた日々は、楽しいものでした。作業はひたすら紅茶を飲みながら進められました(これについては、本書のオリジナルである限定版の「アイ・ミー・ マイン」を企画し、出版したブライアン・ロイランスに最大の責任があります。彼はこれ以上ないくらいに紅茶が好きで、とくにアールグレイを好んでいました)。このあとのページで展開されるジョージとアレクの対話からは、ふたりの関係について多くを知ることができます。始まりはリヴァプールでした。ふたりともよく言っていたように、「リヴァプールに生まれた人間は、しかるべき責任を果たさなければならない」のです。三〇年も一緒に仕事をしてきた仲ですから、デレクのジョージへ のインタビューは、どちらにとっても、身についた習性とでも言うべきものでした。それでもふたりは常に、昔の体験の中から新鮮なエピソードを掘り起こそうと努めていました。「アイ・ミー・マイ ン」の執筆中ずっと、周囲にいた者たちはみな、大笑いのネタに事欠きませんでした。とくにブライアンにとっては、目から鱗が落ちるような経験だったはずです。彼がその前に手がけていた出版はと言えば、軍艦バウンティ号の航海日誌とか、チャールズ・ダーウィンがビーグル号の中でつけていた日記とか、わたしたちの感覚からすると、あまりにも生真面目なものばかりだったからです。自分の中に眠っていたいたずら心やユーモアのセンスを呼び起こされて、ブライアンはさぞ驚いたことでしょう。でもそれはありがたいこと、歓迎すべきことなのです。ジョージとデレクは考えうるかぎり最良の方法で、ブライアンが「足を踏みはずす」のに手を貸しました。やがて彼はジョージのもっとも身近な友人、親友のひとりとなり、1997年にデレクがこの世を去ったあと、その絆はさらに深まりました。今、わたしはブライアンとともに、あのころの思い出を分かち合っています。あの場にいた全員がお互いに抱いていた愛情と尊敬の気持ちを、しみじみと思い返しています。

 

ウキペディアより

In 2002, I, Me, Mine was re-published with a new foreword by Harrison's widow, Olivia. A third version of the book, now containing "59 additional handwritten lyrics and unpublished photographs not found in the original printing", was released in February 2017 to mark what would have been Harrison's 74th birthday.

2002年、『I, Me, Mine』はハリソン未亡人オリヴィアによる新たな序文とともに再出版された。2017年2月には、ハリソンの74歳の誕生日を記念して、「初版にはなかった59の手書きの歌詞と未発表の写真」を追加した第3版が発売された。

 ← 第2版

第一版が出版されてから22年。

その第2版を、山川真理さんが翻訳してくださって、「ジョージ・ハリスン自伝 I・ME・MINE」として、日本で読めるようになったのですね。そこにはそれぞれの歌詞の和訳も載っています。オリヴィアさんによる序文で、生前のジョージを知ることができました。

 

 

↓第3版 2017年2月発行

Limited edition copies are printed on Italian art paper at 255mm x 190mm (10" x 7 1/2"), with each book being numbered and authenticated with an estate stamp. Featuring a new cover design by Shepard Fairey, the limited edition book is quarter bound by hand and finished with gold foil blocking and gilt page edging. Only 1,000 numbered and stamped copies are being created.

Presented in a cloth-bound solander case, the limited edition boxed set also contains a specially pressed coloured 7" vinyl record. Featuring both studio and demo versions of 'All Things Must Pass', the pressing is only available with the I ME MINE limited edition.

限定版は255mm×190mm(10インチ×7 1/2インチ)のイタリア製アート紙に印刷され、一冊一冊にシリアルナンバーと鑑定スタンプが押される。シェパード・フェアリーによる新しい表紙デザインをフィーチャーしたこの限定版は、手作業で四つ折り製本され、金の箔押しと金色のページ縁取りで仕上げられている。シリアルナンバーとスタンプが押された1,000部のみ。

布製ソランダー・ケース入りの限定版ボックス・セットには、特別にプレスされたカラー7インチ・レコードも入っている。"All Things Must Pass"のスタジオ・バージョンとデモ・バージョンの両方を収録したこのプレス盤は、I ME MINE限定盤でしか入手できない。

 

 

ジョージ、「ジョージ・ハリスン自伝 I・ME・MINE」を残してくれてありがとう。

ジョンもそういうものを残して欲しかったなぁ。でも残さないのがジョンらしいのか…。

 

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