"Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band" | タコさんの庭

タコさんの庭

ビートルズの歌詞和訳に挑戦

"Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band"

Writers : credited Lennon-McCartney (by Paul McCartney )

Artist :  The Beatles

Recorded : 1967/2/01, EMI Studios

Released : 1967/06/01(UK) 1967/06/02(US) 1967/07/05(JP)

      「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band」A面1曲目

1973/04/19「The Beatles / 1967-1970」

1999/09/13「Yellow Submarine Songtrack」A面8曲目

2009/09/09「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band」[Remastered] 

2017/05/26「SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND (SUPER DELUXE) 」

         Disc1 (2017 Mix)

         Disc2 (Take1/ Instrumental)(Take 9 And Speech)

         Disc4 (Mono)

2023/11/10   「The Beatles: 1967-1970 (2023 Edition)」

 

 

2023年12月11日 追記あり

 <歌詞和訳>"Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band" 

     邦題 "サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド"

[Verse 1]

It was twenty years ago today
Sergeant Pepper taught the band to play
They've been going in and out of style
But they're guaranteed to raise a smile
So may I introduce to you 

The act you've known for all these years
Sergeant Pepper's Lonely Hearts Club Band

    それは20年前の今日のことでした

    ペッパー軍曹がそのバンドに演奏を楽しむことを教えました

    彼らは 流行り廃りを繰り返しています

    しかし今の彼らが 笑顔を見せることは保証されています

    それでは… みなさんに紹介してもよろしいですか?

    演じるは… ここ数年の間にみなさんに知られるようになった…

    ペッパー軍曹の ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド

 

We're Sergeant Pepper's Lonely Hearts Club Band
We hope you will enjoy the show
We're Sergeant Pepper's Lonely Hearts Club Band
Sit back and let the evening go
Sergeant Pepper's lonely

Sergeant Pepper's lonely
Sergeant Pepper's Lonely Hearts Club Band

    僕らが ペッパー軍曹の ロンリー・ハーツ・クラブ・バンドです

    みなさんがこのショーを楽しんでくれることを願っています

    僕らが ペッパー軍曹の ロンリー・ハーツ・クラブ・バンドです

    くつろいで今夜を過ごしてくださいね

    ペッパー軍曹の ロンリー

    ペッパー軍曹の ロンリー

    ペッパー軍曹の ロンリー・ハーツ・クラブのバンド

 

[Bridge]    

It's wonderful to be here
It's certainly a thrill
You're such a lovely audience
We'd like to take you home with us
We'd love to take you home

    ここにいることは 素敵なことです

    本当にワクワクゾクゾクしています

    みなさんは とても素晴らしいお客様です

    みなさんを僕らと一緒にホームへお連れしたいです

    みなさんをホームにお連れできれば嬉しいです

 

[Verse 2]

I don't really want to stop the show
But I thought you might like to know
That the singer's gonna sing a song
And he wants you all to sing along
So let me introduce to you
The one and only Billy Shears
And Sergeant Pepper's Lonely Hearts Club Band

    私としては本当はショーを中断したくないのですが

    みなさんが知っていた方がいいと思いまして…

    あの歌手がこれから歌うのですが

    彼は あなた方みんなと 一緒に歌いたいとのことです

    それでは僕からみなさんに紹介させていただきます

    この方の代わりはいません ビリー・シアーズ!

    そして… ペッパー軍曹のロンリー・ハーツ・クラブ・バンド!

 

 

????

[Verse 1] 司会者

It was twenty years ago today
Sergeant Pepper taught the band to play
They've been going in and out of style
But they're guaranteed to raise a smile
So may I introduce to you 

The act you've known for all these years
Sergeant Pepper's Lonely Hearts Club Band

    それは20年前の今日のことでした

    ペッパー軍曹がそのバンドに演奏を楽しむことを教えました

    彼らは 流行り廃りを繰り返しています

    しかし今の彼らが 笑顔を見せることは保証されています

    それでは… みなさんに紹介してもよろしいですか?

    演じるは… ここ数年の間にみなさんに知られるようになった…

    ペッパー軍曹の ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド

 

オレンジ色は妄想です。

1966年8月21日、ミズーリ州セントルイス「ブッシュ・スタジアム」での公演は

大雨の中で行われ、ビートルズは4人とも不機嫌で、空虚な演奏をしてしまいました。

その日に、金輪際(こんりんざい)ツアーをやらないと決めました。

でもポールは架空のバンドを作り、そのバンドにライブをさせるアイデアを思いつきました。

 

世界に進出する前のビートルズは歌うこと演奏することが楽しくて大好きだった。

「Sergeant Pepper taught the band to play

(ペッパー軍曹がそのバンドに演奏を楽しむことを教えました)

 

ビートルズは…

アメリカでは、ジョンのキリスト発言 からレコードが焼かれたり、

日本来日時には、右翼による反対があったり(武道館使用に対する抗議。武道館は戦死者たちの聖堂として考えられていた)

マニラでは、マルコス大統領夫人が開催したパーティを欠席したことで(マネージャーのブライアン・エプスタインは招待について何も聞いていないと主張)、存外な扱いを受けました。

 

今までに彼ら(ビートルズ)は、流行り廃りを経験しました。

そして、それはこれからも続くのだろう。

作り笑いをしていた時もあったけれど、新生ビートルズ(ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド) が、みなさんに心からの笑顔を見せることは保証されています。あのミズーリ州セントルイスでのような空虚なライブは、もう絶対しないことをお約束します。

「They've been going in and out of style but

 They're guaranteed to raise a smile」

(彼らは 流行り廃りを繰り返しています

しかし今の彼らが 笑顔を見せることは保証されています)

 

ビートルズは "Love Me Do" でデビュー(1962.10.5)した1962年

そして翌年の1963年は、イギリス国内での活動が主でした。

アメリカへの進出は1964年2月です。

それから、世界にビートルズが広まりました。

"Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band" のレコーディングは1967年2月です。

 

「The act you've known for all these years Sergeant Pepper's Lonely Hearts Club Band」

(演じるは… ここ数年の間にみんなに知られるようになった… ペッパー軍曹の ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド)

 

以上、妄想でした。

 

 

Sergeant Pepper taught the band to play」は、

「play」の意味が以下ですので、

「ペッパー軍曹がそのバンドに演奏することを教えました」も考えられます。

Weblioより

play : 遊ぶ、(…で)遊ぶ、戯れる、(…と)遊ぶ、(…に)戯れる、(…を)もてあそぶ、いじくる、(…に)ゆらゆらする、きらめく、(…に)そよぐ

play : 〈人が〉演奏する,吹奏する,弾く.

 

でもgoo辞書に、以下の意味があることをみつけました。

1 〈人が〉遊んで楽しむ

2 〈人が〉音楽を楽しむ

3 〈人が〉芝居を楽しむ

4 〈人が〉賭かけを楽しむ

5 〈動物・水・光などが〉あちこち動き回る

気晴らしに楽しむ感じが意味の全体に行き渡る.「動き回る」もその動きに楽しげな感じが伴う.

「play」に「~を楽しむ」という意味がこめられていることを知りませんでした。

「Sergeant Pepper taught the band to play」を

「ペッパー軍曹がそのバンドに演奏を楽しむことを教えました」と訳しました。

 

 

They've been going in and out of style」 は、

「have been ~ing」の形を勉強しました。

ニコラス・ウィリアム・ケンプさんありがとうございました。

 

have been ~ing の意味

うまく当てはまる日本語の表現が無いので注意!!

これを理解するにはまず、この表現を使う”場合”に注目しましょう。

これを使う”場合”は

これまでやってきたことで、これからも続けること

言い方を変えると

今までやってきたし、今からも続けてやること

別の言い方をすると、

今までやってたけどまだ終わってない

もっと別の言い方をすると、

現在まだ完了してなくて進行中

長さは問題ではありません。10年であろうと、1時間であろうと、過去も現在も未来もやっている事です。

 

例文を見れば解りやすい

I have been cleaning my room for an hour.

自分の部屋を1時間掃除している。(まだ掃除を続けるつもり)

 

I have been studing English for ten years.

10年間英語を勉強してきました。(まだ続けるつもり)

 

I have been writting a letter to her.

彼女に手紙を書いています。(まだ手紙を書き終えていない)

 

「have been ~ing」は過去も今も未来も、ものごとが続いているんですね。

うまく当てはまる日本語の表現が無いので注意!!」と書いてありますね。

They've been going in and out of style」には、

今までに流行り廃りがあった。」の他に「そしてこれからも流行り廃りはあるだろう」が含まれているのですね。ひとつの文章で未来のことまで表現するには、日本語では難しいですね。

They've been going in and out of style」を

「彼らは 流行り廃りを繰り返しています」と訳しました。

 

 

「But they're guaranteed to raise a smile

(しかし今の彼らが 笑顔を見せることは保証されています)の

raise a smile」の意味は、

以下のサイトの「raise」の意味と例文を参考にしました。

 

raise

10.喚起する 掻き立てる

call forth (emotions, feelings, and responses).

(情緒、感情と反応を)引き起こす。

    例文  raise a smile 笑みを見せる

イメージとしては、「感情から湧き出た心からの笑みを表面に出す」でしょうか。

goo辞書より

smile : ほほえみ,笑顔

 

 

「The act you've known for all these years」の「for all these years」は、

英辞郎 の以下の意味を使い、

all these years : 長年、この数年

「演じるは… ここ数年の間にみんなに知られるようになった…」と訳しました。

 

 

Sergeant Pepper's Lonely Hearts Club Band

(ペッパー軍曹の ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド) は

「ペッパー軍曹の『寂しき心クラブ』(名前)の専属のバンド」をイメージしました。 

バリー・マイルズ著 「ポール・マッカートニー/ メニー・イヤーズ・フロム・ナウ」翻訳 竹林 雅子 405ページ 

 それから、"ロンリー・ハーツ・クラブ・ バンド" というのがいいだろ。今で言うデート斡旋クラブが当時もたくさんあったから、ドクター・フック&ザ・メディシン・ショウみたいな感覚で、僕も名前を繋げてみたのさ。ジプシーズとかいたけど、クスリでトリップするっていう六〇年代のカルチャーは、すべて前世紀の繰り返しだよね。ともかく僕は "サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・ バンド"という架空のバンドを想定した。ロンリー・ハーツ・ クラブにバンドがあるということからして、おかしいよね。ペパー軍曹のイギリス軍楽隊っていうなら、分かるけどさ。 ちょっとファンキーなものを狙ったんだよ。ファンキーが当時の流行だったから。上手く乗る言葉なら何でも良かった。

 

 

[Bridge] ペッパー軍曹の ロンリー・ハーツ・クラブ・バンドのメンバーの一人 

It's wonderful to be here
It's certainly a thrill
You're such a lovely audience
We'd like to take you home with us
We'd love to take you home

    ここにいることは 素敵なことです

    本当にワクワクゾクゾクしています

    みなさんは とても素晴らしいお客様です

    みなさんを僕らと一緒にホームへお連れしたいです

    みなさんをホームにお連れできれば嬉しいです

 

 

「home」の訳に迷い前に進めませんでした。

 

「We'd like to take you home with us

take ~ home with one : 1.~を自宅に持ち帰る

                                   2. 《 take someone home with one》(人)を連れて帰る

「We'd love to take you home
take home : 1.~を家に持ち帰る
       2.《take someone home》(人)を家まで送る
以上の意味がありますが、
どうして、これからショーが始まるという時に『お客様を自分たちの家に連れて行きたいです』と言うの? 家に連れて行きたいとは思っていないはず…。
 

結果、訳せませんでした。「ホーム」のままになってしまいましたアセアセ

イメージしたのは、"Two of Us" に出てくる「home」と同じです。

「home」にイメージしたのは「ポールが思い描く本来ビートルズがあるべき状態。または、いるべき場所」です。

"Two Of Us" [Chorus]

We're on our way home

We're on our way home

We're going home

    僕らの家に帰るんだ

    僕らの家に帰るんだ

    僕らは家に戻っているんだ

 

 

「We'd like to take you home with us. We'd love to take you home

(みなさんを僕らと一緒にホームへお連れしたいです!みなさんをホームにお連れできれば嬉しいです)は、

wouli like to」と「wouli love to」の違いを勉強しました。

意味は両方とも「~したい」だけれども、「wouli love to」には「是非」や「嬉しい」のニュアンスが含まれているそうです。

星有雪さんありがとうございました。

 

would love to の意味と would like to との違い

 

would love to ~」の意味は「~したい」です。

意味的には「would like to」と同じで、使い方も同様です。

ただ、would love to の方が「是非そうしたい」や「そうできると嬉しい」という、是非や嬉しいのニュアンスが含まれている点です。

 

途中 略

I'd love you to vote for me→私に投票してくれると嬉しいです。

 

「ここに立っていることはなんて素敵なことなんだ。本当にワクワクゾクゾクだよ。みんなはビートルズのファンのように叫ばないで、音楽をちゃんと聴いてくれて素敵なお客さんだね。僕らはみんなを『僕らの世界』に連れていきたいんだ。このショーでみんなを『僕らの世界』に連れて行くことができれば嬉しいな!」??

 

そして、ポールは…

やっぱり、「ステージに立ってお客様の前で歌いたい」と思っているんだろうなぁタラーと思いました。

 

 

[Verse 2] 司会者

I don't really want to stop the show
But I thought you might like to know
That the singer's gonna sing a song
And he wants you all to sing along
So let me introduce to you
The one and only Billy Shears
And Sergeant Pepper's Lonely Hearts Club Band

    私としては本当はショーを中断したくないのですが

    みなさんが知っていた方がいいと思いまして…

    あの歌手がこれから歌うのですが

    彼は あなた方みんなと 一緒に歌いたいとのことです

    それでは僕からみなさんに紹介させていただきます

    この方の代わりはいません!ビリー・シアーズ

    そして… ペッパー軍曹のロンリー・ハーツ・クラブ・バンド!

 

I don't really want to stop the show but I thought you might like to know

(私としては本当はショーを中断したくないのですが みなさんが知っていた方がいいと思いまして… ) には、

ツアーを本当は中断したくなかったポールの思いがつまっているかもしれません。

 

 

This line highlights the political position that The Beatles found themselves in during this era of their careers—namely, the fact that they had decided to stop touring or playing live shows.

Perhaps, this was subconsciously included in the lyrics. These two lines are seemingly inconsequential. But this stanza acts as a means of transition from the intro to the second track, “With a Little Help from My Friends.”

 

このセリフは、ビートルズがキャリアのこの時期に置かれた政治的な立場、つまりツアーやライブをやめることを決めたという事実を浮き彫りにしている。

おそらく、これは無意識のうちに歌詞に含まれていたのだろう。この2行は一見取るに足らない。しかし、このスタンザは、イントロから2曲目の "With a Little Help from My Friends "への移行手段として機能している。

 

The one and only Billy Shears」の「The one and only」は以下のような意味があるそうです。

Weblioより

one and only : (…にとって)最愛の人、真の恋人、唯一無二の、天下にこの人しかいない

 

[one's] one and onlyの場合は、 「(誰よりも)愛する人、本当に愛しい人、恋人」 という意味。

[the] one and onlyの場合は、 「本当の、正真正銘の、真の」 という意味。

「ビリー・シアーズ」を演じるのは、みんなに愛されているリンゴなので

「愛おしい人!ビリー・シアーズ!」も考えられるし

「本物のビリー・シアーズ!」も考えられますね。

両方の意味をとって、「この方の代わりはいません ビリー・シアーズ!」と意訳しました。

 

 

 

"Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band" は、

ただの口上ではない。ポールの想いがぎっしり詰まっていると思いました音符ラブラブキラキラ

 

 

アルバム「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band」を作ろうと思った経緯と

ポールの想い

1966年のアメリカツアーの途中まで、

ポールだけは「ツアーをやめるなんてダメだよ。これからもやるべきだ」と

ジョンとジョージとリンゴに話していました。

でも、ポールも3人の意見に賛成せざるを得ない公演がありました。

バリー・マイルズ著 「ポール・マッカートニー/ メニー・イヤーズ・フロム・ナウ」翻訳 竹林 雅子 393ページ

ポール「僕らはみんな、ほんと軽い気持ちだった。だって、そうじゃないかって思ったよ。非常に低レヴェルの、極端なアメリカ的思考だね。その一方で、僕らが敬意を払うハイ・グレードなアメリカ的思考も存在する。レニー・ブルース、ジャック・ケルアック、その他にも画家といった僕らが敬愛する人たち―彼らは非常にレヴェルの高い、自由な思想の持ち主だ。なのにエルマー・ガントリー (*キシンクレア・ルイスの著作に描かれた二〇年代アメリカの原理主義的宗教指導者)みたいな低級な連中も存在する。そして、そんな連中がこぞって僕らのレコードを燃やしたのさ、ヒトラーが本を燃やしたのを真似してね。燃やすためにしたって、結局は僕らのレコードを買ってるんだから、僕らは痛くも痒くもないんだって言ってたんだけどね。それでも燃やしたければどうぞって。何も買ったレコードは必ず聴かなければいけないなんて法律はないからさ。僕らはバランスの取れたものの見方をしていたと思う。ただ、南部で目にした光景は今も焼きついてるよ。バスに乗り込んだら、十一、十二歳くらいの金髪の少年がやっとのことで窓を覗き込んで、激しく窓ガラスを叩きながら僕に向かって叫んでるんだよ。『この子が一体神様についてどれだけのことを知ってるんだろう? まだ小さな子どもじゃないか』と啞然としたね。きっとこの子は、僕らがアンチ・キリストだとか何とか教え込まれていただけだろう? あれは狂信者の表情だった。 

 そのせいでツアーを止めたわけじゃない 。ケネディの死を予言した女性のせいでもないよ。彼女にデンヴァー行きの飛行機で僕らは死ぬと予言されたけど、それでも僕らは飛行機に乗った。そんなことには耳も傾けず、ただ進んだ。でも結局あのツアーが終わってみると、ツアーをそれほど楽しめなくなっていたんだよね。それ以外に満足感を与えてくれるものはいろいろあったし。コードを弾く僕らの手の動きには注目しないで、ただ叫んでばかりのお客を前にするとさ……僕らにも職人気質みたいな気持ちがあるじゃない?  ライヴ・バンドとしての評価も下がっていたし、それでみんなの機嫌も悪くなった。それでも、僕は一人で、駄目だって言ってたんだよ。『ツアーを止めるなんて駄目だよ。ツアーはこれからもやるべきだ。きっと上手くいくよ』って。でも結局、すごく悲惨なコンサート (一九六六年八月二十一日ミズーリ州セントルイス公演)があってね。雨だったから頭上になまこ板の屋根をつけてもらって、まるで広野に突っ建ったおんぼろ小屋さ。はるか遠くで大騒ぎしてる観客は雨に濡れてるし、僕らもずぶ濡れで、無性に惨めな一日だった。濡れたアンプで感電する危険もあったし、『こんなこと、やってられないよ』と思いながら、やっとショウを終え た。全員、不機嫌ではあったけど、とにかくショウだけは演り終えた。観客は僕らが不機嫌だったことに気づいたかどうか分からないけど。ショウの後には、クロムメッキのトラックの荷台に乗り込むんだ。空っぽの荷台だよ。味気ない空虚な空間に詰め込まれて、精神的にも空虚なツアーをして、空虚な演奏をした。このときだよ、僕もイライラして悪態をついて、「よし、僕もみんなの意見に賛成だ。ツアーなんかもう、うんざりだ!」と宣言したのは。『だから何週間も言ってただろう』とみんなに言われてさ、ついに僕も賛成したよ」

 

そして、アメリカ・ツアーの最終日、1966年8月29日のサンフランシスコのキャンドルスティック・パークでのライブが最後の公演になりました。

イギリスに戻ったポールは、落ち込んでいたようです。

バリー・マイルズ著 「ポール・マッカートニー/ メニー・イヤーズ・フロム・ナウ」翻訳 竹林 雅子 394ページ

その年の9月、カヴェンディッシュ・アヴェニューの自宅でツアーの落ち込みから立ち直れないでいたポールは、フランスにドライヴ旅行に出かけることにした。ヨーロッパでポップ・ミュージックに最も関心の薄いフランスで、ポールは街中で悲鳴を上げるファンに取り囲まれ。タクシーの運転手からサインを求められ、気ままに行動することも来なかった。そこで今回は、変装をしてお忍び旅行をすることにした。

変装して行動することで、ポールは無名の頃のように一人旅を楽しみました。

バリー・マイルズ著「ビートルズ・ダイアリー」松尾康治訳

1966年11月6日
ポールは彼のアストン・マーチンをケントのリドで航空フェリーに乗せて、フランスへと飛んだ。彼はボルドーのグランド・クロックの下でビートルズのローディー、マル・エヴァンズと落ち会う前に、変装してロワールの古城をゆっくりドライヴして1 週間を過ごした。

バリー・マイルズ著 「ポール・マッカートニー/ メニー・イヤーズ・フロム・ナウ」翻訳 竹林 雅子 396ページ

ポールはまずパリに行き、オルレアンからロワール川に沿って途中のシャトーめぐりをしながら、ボルドーまで下って行く計画を立てた。「車で一人旅をする孤独な詩人だったんだ」。フランス語が不自由なことで孤独感はさらに深まった。彼はジェスチャーや旅行会話の本に頼って旅をした。

ポール「ジョンの二十一歳の誕生日に二人で出かけたパリ旅行の再現だった。車を走らせてホテルを見つけたら、ちょっと遠くに駐車して、歩いてホテルにチェック・インして、部屋の中で旅行日記をつけたり、映画を撮った。街を歩き回って、夜になったら一人でレストランのテーブルに着く。ビートルズの人気が最高潮の時期に、その張り詰めた極度のプレッシャーからこうやって解き放たれて、バランスを取ったのさ。休暇に出て、しかも誰にも気づかれないことでね。無名の状態を再び味わった。一人で芸術的な思索に耽(ふけ)ったよ。『一人でここに座って、すぐにでも小説が書けそうな気分だな。この部屋にいる人たちを登場人物にしたらどうだろう』なんてね」。

でも、無名の時代に戻りたいか?といえばそれは「ノー」でした。

バリー・マイルズ著 「ポール・マッカートニー/ メニー・イヤーズ・フロム・ナウ」翻訳 竹林 雅子 402ページ

 フランスで休暇中のポールは、ボルドーでマル(マル・エヴァンス)と落ち合う前に、夜の街に出かけることにした。ディスコに出かけたものの、変装が上手過ぎたポールは、さえない一般人と思われて入場を許してもらえなかった。
「いけすかない野郎に見えたのさ。『ノー、ノー、ムッシュー、ノン! 入ってはいけません』と断られて、『くそったれ、ホテルに戻って、ビートルズのポールとして出直してやるよ』と思ったよ。そしたら今度は大歓迎。どうせマルと落ち合えば、変装の必要もなくなるから、この辺でおしまいにしていいだろうと思ってね。それで良かったんだ。療養期間はもう終わったと思ったから。お陰で有名でないことがどういうことか、思い出せたよ。有名でいるより無名でいる方が必ずしもいいことには思えなかった。
 そもそも僕らはどうして有名になりたいと思ったのかを思い出した。"要するに、こうなりたかったんだ。" と。有名になりたかったのに、実際、有名になってみると、それに付随するビジネスのプレッシャー、有名税、お金の問題に悩まされて困っていたビートルズのメンバーも中にはいたよ。でも僕はね、果たしてあの無名の時代に戻りたいか、自分で確かめたかったんだ。答えはノー、結局、僕はこれでハッピーなんだと結論した」。

結局、自分はこのままでハッピーなんだとわかり、マル・エヴァンスと合流したポールは、

ケニアのサファリに行くことにしました。ケニアで恋人のジェーンとも会うことにしました。

バリー・マイルズ著 「ポール・マッカートニー/ メニー・イヤーズ・フロム・ナウ」翻訳 竹林 雅子 403ページ

ヴィクトル・ユーゴー通りとセント・ジェイムス通りの角の大時計の下でマル・エヴァンスと落ち合う予定だった。
ポール「予定通り、教会の時計台の下で合流した。マルはちゃんと待っていた。その頃はもう一人に飽き飽きしていたんだ。とても楽しかったけどね。その後、車に乗ってスペインに行ったけど、マドリッドには知り合いも全然いないし、クラブにでも出かけて関係の人にコンタクトするしかなさそうだったから、これは面白くないだろうというんで、ロンドンに電話してサファリ旅行を申し込んだ」。

 

バリー・マイルズ著「ビートルズ・ダイアリー」松尾康治訳

11月12日
ポールとマルは道中でホーム・ムービーを撮りながら、ボルドーからスペインヘドライヴした。 ボールは元々アルメリアでジョンに会うつもりだったが、ジョンは自分の撮影を早めに終えてすでに家に帰っていた。ポールは代わりにサファリに行って、アフリカでジェーンに会うように予定を組みかえることにした。ポールとマルはセビリアへ向かって、アストン・マーチンをロンドンまで誰かに運転してもらうように手配した。彼らはまずマドリッドに飛び、そこからナイロビに向かった。彼らはローマで10時間途中下車して、 セント・ピーターズなどひと通りの観光名所を見て回った。

 

バリー・マイルズ著 「ポール・マッカートニー/ メニー・イヤーズ・フロム・ナウ」翻訳 竹林 雅子 404ページ 

 ポールとマル・エヴァンスは、ケニアのサファリでのんびりと休暇を過ごした。キリマンジャロ山の麓のアンボサリ公園を訪ね、古代の材木で作られた豪華なツリートップス・ホテルに滞在し、ナイロビのYMCAに一泊して、一九六六年十一月十九日にロンドンに向かった。ポールが "サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・ バンド" のアイデアを思いついたのは、帰りの飛行機の中だった。 

 長いフライトの間、ポールは眠らずに考え事をしながら、アイデアを書き留めていた。フランスへ変装旅行したことで久々の自由を謳歌したボールは、ビートルズに新しいアイデンティティを与えてはどうかと考えた。ファブ・フォーである代わりに、もっと成長した新しい実験的な何かをファンに見せることが出来るのではないかと。

ポール「僕らはビートルズであることにうんざりしていた。四人のモップ頭の少年という扱いにはいい加減、めちゃくちゃ頭に来てたんだ。少年じゃなくて、もう立派な男だよってね。がきの時代は終わったんだ、ギャーギャー騒がれるのもごめんだった。その上、マリファナも始めていたから、パフォーマーというよりもアーティストの自覚が生まれていた。以前とは変わっていたんだ。ジョンと僕以外にジョージも曲を書くようになったし、映画も作ったし、ジョンは本を出したし、僕らがアーティストになるのも当然だったわけだよ。
 飛行機の中で突然、アイデアが閃いた。僕らが僕らでなくなればいいって。僕らの馴染んだイメージを見せる必要はない、別の分身を作ってみようと。そうすればもっと自由になれる。別のパンドの形を取って、別のペソナを作れば面白い。『他の人だったら、この歌をどんな風に歌うだろう?彼ならもっと皮肉たっぷりに歌うかな』と話し合うこともあったから、ビートルズの分身を作れば、僕ら自身がもっとアプローチを簡単に取れるんじゃないかと考えた。ジョンや僕がマイクに向かっても、それはジョンやポールではなくて、別のバンドのメンバーだってことにする。それで自由になれるんだ、この哲学でアルバムを作れる。ビートルズではなく、僕らの分身バンドが作ったアルバムにすればいい。別のバンドだった。僕らも自分たちのアイデンティティを放棄出来るってね」。

 それにはまず、ビートルズの分身バンドの名を決める必要があった。当時は愉快な名前のバンドが溢れていた。ザ・ ニッティ・グリッティ・ダート・バンド、カントリー・ジョー&ザ・フィッシュ、ローサー&ザ・ハンド・ピープル、 ピッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニー、クイックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス 、ザ・ボンゾ・ドッグ・ドゥーダー・バンドなど、突飛な名前をつけたバンドはそこかしこにいた。

ポール「僕とマルはよく冗談を言い合っていたから、その会話の中でマルがサージェント・ペパーの名前を思いついたという噂が出来たんだろうな。でも実際は、僕が『名前を考えよう』と言ったんだと思う。機内食を食べていたら、SとPの印のついたパックを見て『 SとP?ああ、ソルトとペパーのことか!」と言ったことから、僕らは冗談を言った。僕がちょっと言葉を変えて、『サージェント・ペパー、ソルト・アンド・ペパー』と駄洒落を言ったのがきっかけ。マルの言葉を聞き違えたんじゃないよ。 

 それから、"ロンリー・ハーツ・クラブ・ バンド" というのがいいだろ。今で言うデート斡旋クラブが当時もたくさんあったから、ドクター・フック&ザ・メディシン・ショウみたいな感覚で、僕も名前を繋げてみたのさ。ジプシーズとかいたけど、クスリでトリップするっていう六〇年代のカルチャーは、すべて前世紀の繰り返しだよね。ともかく僕は "サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・ バンド"という架空のバンドを想定した。ロンリー・ハーツ・ クラブにバンドがあるということからして、おかしいよね。ペパー軍曹のイギリス軍楽隊っていうなら、分かるけどさ。 ちょっとファンキーなものを狙ったんだよ。ファンキーが当時の流行だったから。上手く乗る言葉なら何でも良かった。 キャッチーなタイトルより、長い名前の方がスマートでいいと思ってさ。みんなが『何だって?』と聞き返すような名前。これまで、『ラバー・ソウル』『リヴォルヴァー』と駄洒落のタイトルをつけていたから、今度はそうじゃないタイトルにしたかったんだ」。

 ロンドンに戻ったポールは、ビートルズのメンバーにアイデアを話した。

 

バリー・マイルズ著「ビートルズ・ダイアリー」松尾康治訳

11月19日
ポール、ジェーン、マルがケニアからロンドンに飛行機で戻ってきた。

 

ポールの本 「The LYRICS」には、"Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band" は

シェイクスピアに出演中のジェーンに会うために、アメリカのデンバーに滞在していて、そこからイギリスに戻る飛行機の中でアイデアが浮かんだようなことが書いてありました。

ケニアとアメリカ、どちらでしょうね…。

2023年12月11日 追記

1967年4月5日にポールがアメリカ・デンバーに行ったときに思いついた発想は、

「マジカル・ミステリー・ツアー」のようです。

ポールの本 「The LYRICS」は2021年11月に出版されました。ポールは80歳過ぎています。歳を重ね、記憶が混ざることってありますよね。

 

 

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参考辞書 英辞郎

(引用できない英辞郎を使って訳した場合は、その単語や慣用句を太字斜体にして、自分で訳した訳を載せました)

years ago today : It was twenty years ago today

         「それは20年前の今日のことでした」

go in and out of style : They've been going in and out of style

            「彼らは 流行り廃りを繰り返しています」

guarantee〔+目的語+to do〕〈商品などが〉〈…することを〉保証する.

    例文 The maker guarantees this hair dye to last three weeks. 

      メーカーはこの毛染めは 3 週間有効であると保証している.

guarantee〔+目的語+(to be)補語〕〈商品などが〉〈…だと〉保証する.

    例文 He guaranteed the jewel (to be) genuine. 

       彼はその宝石は本物だと保証した.

guarantee : 〔+to do〕〈…すると〉請け合う,約束する.

     例文 I guarantee to be there. きっと出席します.

be guaranteed保証される

raise a smile : But they're guaranteed to raise a smile
        「しかし今の彼らは を見せることが保証されています!」

may I : してもよいですか、してもいいですか、~してもいいですか

introduce 紹介する、引き合わせる、出す、売り出す、取り入れる、広める、もたらす、(…へ)導入する、持ち込む、初輸入する

sit back : (いすに)深く座る、傍観する、(ひと仕事した後で)くつろぐ、引っ込んでいる

lovely : (目も心も引きつけるような)美しい、かわいらしい、快い、愛嬌(あいきよう)のある、すばらしい、愉快な

audience : 聴衆、観衆、観客、読者、(ラジオ・テレビの)聴取者、視聴者、公式会見、謁(えつ)、謁見

would like to : ~したいと思う

really : 本当に、実際に、本当に(…というわけではない)、より正しくは、本当は、実際には、実のところ、実際、まったく、確かに

might like to

例文 I thought you might like to know who's coming to our party.

私たちのパーティーに来るのが誰か、あなたも知っておいた方がいいと思ったんです。

along : Eゲイト英和辞典での「along」の意味

    いっしょに
  例文 Please sing along with me. 私といっしょに歌いましょう

    (sing with meでもよいがalongをつけることで歌の流れが強調される)
    Come along with me.いっしょに来てください

one and only : (…にとって)最愛の人、真の恋人、唯一無二の、天下にこの人しかいない