"I'll Follow The Sun"
Writers : credited Lennon-McCartney (by Paul McCartney )
Artist : The Beatles
Recorded :Sunday,1964/10/18 EMI Studios
Released :
Friday,1964/12/04(UK)「Beatles for Sale」A面5曲目
Tuesday,1964/12/15(US)「Beatles '65」A面5曲目
2013/11/11 「The Beatles on Air Live at BBC Volume2」Disc2
1964年11月26日に放送の『Top Gear』での音源
<歌詞和訳>"I'll Follow The Sun" 邦題 "アイル・フォロー・ザ・サン"
僕は太陽を追いかけて行くよ
[Verse 1]
One day you'll look
To see I've gone
For tomorrow may rain, soI'll follow the sun
いつか あなたは眺めるのだろう
僕が行ってしまうのを見送るために
雨かもしれない未来に向かって… だから
僕は太陽を追いかけて行くよ
[Verse 2]
Some day you'll know
I was the one
But tomorrow may rain, soI'll follow the sun
いつの日か あなたはわかるのだろう
僕がその一人だった事を
だけど未来は雨かもしれない だから
僕は太陽を追いかけて行くよ
[Bridge]
And now the time has come
And so, my love, I must go
And though I lose a friend
In the end you will know, oh
そして今その時が来た
だから, 僕の愛する人, 僕は行かなきゃ
たとえ友達を一人失っているとしても…
最後に あなたはわかるのだろう oh
[Verse 3]
One day you'll find
That I have gone
But tomorrow may rain, soI'll follow the sun
いつか あなたは気づくだろう
僕が行ってしまった事を
だけど未来は雨かもしれない だから
僕は太陽を追いかけて行くよ
[Solo]
Yes tomorrow may rain, so
I'll follow the sun
そうさ 未来は雨かもしれない だから
僕は太陽を追いかけて行くよ
[Repeat Bridge]
And now the time has come
And so, my love, I must go
And though I lose a friend
In the end you will know, oh
そして今その時が来た
だから, 僕の愛する人, 僕は行かなきゃ
たとえ友達を一人失っているとしても…
最後に あなたはわかるのだろう oh
[Repeat Verse 3]
One day you'll find
That I have gone
But tomorrow may rain, soI'll follow the sun
いつか あなたは気づくだろう
僕が行ってしまった事を
だけど未来は雨かもしれない だから
僕は太陽を追いかけて行くよ
情報提供元(著作権者)Weblio
参考辞書 英辞郎
(引用できない英辞郎を使って訳した場合は、その単語や慣用句を太字斜体にしてあります)
one day :
one day : とある日、一日の
look : 見る、(注意して)見る、眺める、注視する、(…を)見る、ほら!、おい!、(…に)向いている、面している、顔つきがだ
see : 〔+目的語+副詞(句)〕〈人を〉(…に)見送る,送り届ける.
for : …のために、…にとって、…を記念して、…にちなんで、…の名を取って、…に与えるために、…あての、…へ向かって、…へ行くために、…に入場するためにtomorrow :
so :follow : (…に)ついていく、続く、従う、(…に)伴う、追う、追っていく、追求する、(時間・順序として)(…の)次にくる、(…の)あとを継ぐ、(…の)結果として生じる
sun : 太陽、日、日光、ひなた、(衛星をもつ)恒星
some day : (漠然と)いつか、他日
some day :
and so : であるから、んで、以て、以って、それ故に、それだから、〈それ故〉・そこで、〈それで〉・で
love : 恋をした相手;恋人,愛する人
and : 〔並列によって理由と結果,条件と帰結の関係を表して〕(理由・結果を表して)…ので,それで…
though : …だけれども、…にもかかわらず、もっとも…であるが、たとえ…でも、よし…にせよ
though : たとえ…であっても
例文 She will go to Africa alone though her father doesn't agree.
たとえ父親が賛成しなくても彼女はアフリカにひとりで行くだろうlose : (うっかりして一時的に)失う、なくす、置き忘れる、遺失する、(…を)(事故などで永久に)失う、(…を)(維持できず)失う、見失う、迷う、道に迷う、途方に暮れる
in the end : ついに、とうとう、いろいろ考慮してみて、結局は
in the end :
know : 知る、知っている、(…が)わか(ってい)る、思えない、(…で)ないと思う、(…が)知る、知り合いである、懇意である、交際している、(…を)熟知している
find : 〔+(that)〕〈…ということが〉わかる,〈…ということに〉気づく.
2021年発売(日本は2022年)の、ポールの「THE LYRICS 」に
"I'll Follow The Sun"は、「"リバプールからの旅立ち"の歌だった」と書いてありました。
「ビートルズ全曲歌詞集」スティーヴ・ターナー著 藤本国彦監修 富原まさ江訳 には、
この曲はもともと1959年に作ったものを、今回のアルバム用に手直ししたものだ。
とあります。
そして、ウキペディアには
「アイル・フォロー・ザ・サン」は、マッカートニーがデビュー前に書いた楽曲で、マッカートニーは「16歳の時にフォースリン・ロードに面した部屋で書いた曲。歌詞についてマッカートニーは、「『アイル・フォロー・ザ・サン』は最初の頃に書いた曲のひとつさ。病み上がりの間もない時に部屋からレースのカーテン越しに外を眺めながら書いた記憶がある。でもその頃僕らは地元でハードなリズム・アンド・ブルースをやっていたから、『アイル・フォロー・ザ・サン』のようなバラードは後回しにしたんだ」と語っている。
とあります。
1959年というと、ポールとジョンとジョージは、もう出会っています。「ザ・クォリーメン」というグループ名で活動していました。
1959年のある日、「リヴァプール・エコー」紙にある広告が載りました。
「増強保存版ビートルズ上」 ハンター・ディヴィス著 小笠原豊樹・中田耕治 訳 217ページより
コンテストと名のつくものなら、どんなに安っぽい催しにでも駆けつけた時代だったので、当時の有名なコンテスト・オルガナイザーがリヴァプールに来たときは、たいへんな騒ぎになった。「リヴァプール・エコー」紙に現れた広告に、「スター・メイカーのキャロル・レヴィス氏」が「キャロル・レヴィスの新人発掘」というテレビ番組のためにまもなくリヴァプールを訪れるとあったのである。番組はマンチェスターで録画されるが、リヴァプールではエンパイヤ劇場で地方予選が行なわれ、それに合格したリヴァプールのタレントがマンチェスターの録画に参加できるというのである。
ジョンとポールとジョージは、リヴァプール市の十代の少年たちの半数がそうしたように、さっそく予選に出掛けて行った。
エンパイヤ劇場は、ポールが14才の時、スキッフル (skiffle) の王様 ロニー・ドネガン (Lonnie Donegan)の公演を聴きに行った場所です。その公演は、ポールを触発しギターへの道を彼に開くことになったそうです
1959年10月の「ザ・クォリーメン」のメンバーはポール、ジョン、ジョージの3人だけになっていました。3人はグループ名「ジョニー・アンド・ザ・ムーンドッグス」としてそのコンテストに挑戦しました。
彼らは、リヴァプールでの予選を通過し(10月11,18,25日のいづれか一日。18日出演が有力)、
10月26日~31日に行われるリヴァプールのファイナルへの参加資格を得ました。
ザ・クォリーメンは2年前にも、このオーディションにエントリーしていますが、その時は予選落ちでしたので、確実に前進しています。
しかしリヴァプールのファイナルは、「Connaughts」 (コノーツ) というグループに敗れてしまいます。
ところが、審査員は、ジョニー・アンド・ザ・ムーンドッグスはファイナルへ進むだけの力を持っていると判断し、2週間後にマンチェスターの「New Manchester Hippodrome」 (ニュー・マンチェスター・ヒッポドローム) で開催されるファイナル選考への出場資格を与えました。
「増強保存版ビートルズ上」 ハンター・ディヴィス著 小笠原豊樹・中田耕治 訳 217ページより
ハリスン夫人はその折の興奮を記憶している。「或る日、一通の手紙が来て、ジョージはものすごく興奮しました。私はなんで子供たちがそんなに大騒ぎしているのやら分りませんでした。その手紙の宛名は「ムーンドッグズ」 とかいうグループになっていましたわ」
興奮が伝わりますね。
このことが、「THE LYRICS 」でポールが私たち読者に教えてくれた「リバプールからの旅立ち」だと思うのです
ここからは妄想です。
ジョージは早速、病気で寝ていたポールに、ファイナルに進めることになったと電話で伝えました。(もちろんジョンにも)
ポールは喜びました。マンチェスターに行ける!やっとここまできた。
病み上がりのポールは窓から外を眺め、いつか自分がこの家から旅立って行くことを想像しました。
僕は絶対音楽で成功する。この道を進んで行く。雨が降り、どんな険しい道のりになろうとも。太陽を目指して進んで行く。
ポールはレースのカーテン越しに外を眺めながら決意を固めます。
そして "I'll Follow The Sun" という曲が生まれました
この時ポールは17才。(ウキペディアには16歳とあります)
以上、妄想でした。
ファイナル選考1959年11月15日、ジョンとポールとジョージの3人は、リヴァプールを出てマンチェスターに向かいます。
マンチェスターでは、ジョンたちの演奏はかなりの拍手を浴びた。キャロル・レヴィス・ショウのやり方は、ショウの最後に各グループが舞台に戻り、もう一度自分から数小節演奏し、そのときの聴衆の拍手によって優勝者が決るという仕組みになっていた。
だがジョニーとムーンドッグズは、リヴァプールの貧乏人の倅(せがれ)たちの集まりだったから、リヴァプールへ帰るための専用の車などあろう筈もなく、したがってショウの最後まで待てなかった。 ショウは長びき、ぐずぐずしているとリヴァプール行きの最終列車は出てしまう。 マンチェスターのホテルに泊る金はなかった。 そんなわけで、フィナーレの拍手のとき、 ジョンたちの姿は見えなかった。「増強保存版ビートルズ上」 ハンター・ディヴィス著 小笠原豊樹・中田耕治 訳 218ページより
このコンテストの審査は「クラポメーター (clapometer)」と呼ばれる方法でなされ、基本的には観衆の拍手の大きさで決まる。ジョニー・アンド・ザ・ムーンドッグスはリヴァプールではあった地元の支援が無かったこともあるが、何より観衆に強いインパクトを与えることができなかった。彼らはマンチェスターに泊まる所も無かったため、結果発表の時刻には帰りの列車の中にいた。
マンチェスターでのファイナルは、最後まで会場にいられないという悲しい現実で終わりましたが、彼らは負けていません。
ジョンのアート・カレッジでの親友スチュアート・サトクリフ(ビートルズの元メンバー)の友人「アラン・ウィリアムズ」にマネージャーを任せ活動を続けます。
スチュとピートがメンバーに加わり、翌年1960年8月にハンブルグに行くことになります。
ポールの母親メアリー・パトリシア・マッカートニーは、1956年10月31日に47才で乳癌のため亡くなっています。ポールが14才の時です。
親戚の協力もあり、父親のジム・マッカートニーが仕事と家事をこなし、ポールと弟のピーター・マイケル・マッカートニー(後にマイク・マギアという名で写真家・ミュージシャンンとして活躍しています)を育てました。
"I'll Follow The Sun" は、ポールの父ジム・マッカートニーに向けて歌っているのではないかと妄想して訳しました。
[Verse 1]
One day you'll look
To see I've gone
For tomorrow may rain, soI'll follow the sun
いつか あなたは眺めるのだろう
僕が行ってしまうのを見送るために
雨かもしれない未来に向かって… だから
僕は太陽を追いかけて行くよ
「いつか父さんはフォースリン・ロードを歩く僕が見えなくなるまで、ここの窓から僕の事を眺め見送ってくれるのだろう。雨かもしれない未来に向かって行こうとしている僕を。僕は太陽を追いかけて進んで行くよ」
ポールのお父さんの部屋からは、道が見下ろせたそうです。
バリー・マイルズ著 「ポール・マッカートニー/ メニー・イヤーズ・フロム・ナウ」翻訳 竹林雅子 36ページ
ポールの寝室は玄関の真上、家の正面の二階にあった。居間の上に位置するその隣の大きな両親の寝室からは、通が見下ろせた。 弟マイケルの寝室は裏庭を見下ろすその奥にあり、その隣が浴室だった。 これは素晴らしく豪華な家だった。
[Verse 2]
Some day you'll know
I was the one
But tomorrow may rain, soI'll follow the sun
いつの日か あなたはわかるだろう
僕がその一人だった事を
だけど未来は雨かもしれない だから
僕は太陽を追いかけて行くよ
「いつの日か父さんは、僕が音楽で成功できるその一人だった事をわかってくれるだろう。未来は雨かもしれないけど、太陽を追いかけて行くよ」
[Bridge]
And now the time has come
And so, my love, I must go
And though I lose a friend
In the end you will know, oh
そして今その時が来た
だから, 僕の愛する人, 僕は行かなきゃ
たとえ友達を一人失っているとしても…
最後に あなたはわかるのだろう oh
「そして今その時が来た。だから僕の愛する父さん、僕は行かなきゃ。たとえドラムのコリン・ハリントンを失っているとしても、僕は行かなきゃ。最後にはあなたはわかってくれるだろ」と歌っていると思いました
1959年の1月1日にコリン・ハントン (Colin Hanton) がクオリーメンを離れて以来、このグループにはドラマーがいなかった。そのことを問われると、「リズムはギタープレーの中にある」と答えていた。
[Solo]
Yes tomorrow may rain, so
I'll follow the sun
そうさ 未来は雨かもしれない だから
僕は太陽を追いかけて行くよ
「音楽で食べていくのは大変だぞ。わかっているのか?」と父の言葉に「そうだね わかっているよ父さん 未来は雨かもしれないけど、僕は太陽を追いかけて行くよ」
バリー・マイルズ著 「ポール・マッカートニー/ メニー・イヤーズ・フロム・ナウ」翻訳 竹林 雅子 64ページレノン・マッカートニー・チームの初期に書かれながら、完成までに何年も要した作品がいくつかある。その一つが 『ビートルズ・フォー・セール』のアルバムに収録された"アイル・フォロー・ザ・サン"だ。
ポール「フォースリン・ロードの居間で一人で書いた記憶があるから、大方は僕の手による作品だ。レコードではリンゴに膝を叩かせたよ。僕らはいつもシングルを想定していたから、常に前とは違うものを作りたかった。どの曲も同じに聞こえるシュープリームスみたいにならないようにね。その意味でも、楽器編成に凝ったんだ。リンゴの場合はドラム・キットを替え続けるわけにいかないけど、スネアは替えられるっていうんで、ダンボール箱や膝を叩いたわけ。あの頃書いた曲で、未完成のまま頭の中に残っているものが、今でも二曲ほどあるな。完成することはないだろうけど。"イヤーズ・ロール・アロング"というタイトルで、"君がこう言ったのは確かのこと……"って。"アイル・フォロー・ザ・サン"もそういう曲の一つだった」。
「you」が父親というのは私の妄想なので、誰だかはわかりませんが…
いつか自分が旅立つだろう日に「you」が自分の後ろ姿を見えなくなるまで見送ってくれることを想像し決意を固めている「I」の姿は妄想できますね
ポールが16歳?17歳?という年齢で、未来を見据えているのは、1960年代という時代もあるのでしょうか。すごいです。
「ザ・クォリーメン」のメンバー
下記のサイトの下の方に、「ザ・クォリーメン」の所属していたメンバーの名前が時系列で表になっていました。とてもわかりやすいです。「ザ・クォリーメン」のメンバーだった方たち、時々映画に出てきますよね
参考にさせていただきました。ありがとうございます。
泣き言
"I Feel Fine" が訳せません。
どうしよう。意味がわかりません。