「自分が忘れている自分」は必要か? | 茶番の台本(仮)。

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散々騒いでいる割に、まだ引っ越していません。
来週です。ようやくです。

片付けとか、いらないものや使わないものを比較的バシバシ捨ててます。
これまでは疑わしきは罰せず、じゃないですけど、
要るか要らなかったら残す、だったんですが、今回は捨ててます。

なにせ、新しい部屋でのミッションは「ちゃんとする」ですから。
ひどいミッション、ちゃんとする。

あれですよね、半年くらい使われなくてその場所から動かなかったら、
自動的に消滅するような機能があればいいんですよ。
大概そこまで使っていなかったら必要ないんですから。
もっと言えば片づけで見つけるまで自分では忘れていたりとか。


それで、ちょっと話としてはズレますが、ふと思ったことが。
「自分でも忘れてしまっていること」は必要なのか、不必要なのか。

よくあるじゃないですか、
「あなたの忘れているあなたを取り戻しましょう!」とか、
「気づいてない自分を見つけられた」とか。

私はあまりその手の、混沌とした意識の沼から
何かを引き出す系のことはしないのですが。
占いやカウンセリングの一つの形態としてはありますね。

少なくとも今の私は「自分で忘れてる自分」は不必要な状態です。
正直今そこでその「自分で忘れている自分」を見つけられても、困ります。

引越し前では今日が燃えないごみの日最後なのに、
燃えないごみ出てきちゃったよ~、状態です。

私が基本「今あるものでどう対処する?」と考える派なので、
多分この傾向は今後も基本はあんまり変わらない気がしています。

じゃあ、こういう形態が全く不要かと言えば、きっとそうじゃないんでしょう。
今の自分に本当にフィットするものが、自分の忘れていた中にあった、
ということも有るのだと思います。


えっと、話が遠回りになってしまいました。
ただ、一つ思うのは、この「自分の知らない自分を発見」系は、
決していつもいつも効果的に機能するとは限らないんじゃないかな、ということ。

お気軽な気持ちで「新しい自分を見つけたいの♪」とやっても、
その時の手札で現状を解決できるならば、
要らない手札が増えて、逆に何かを捨てないといけなくなる可能性も。

今の自分で困っていなかったのに、
興味本位で「忘れていた過去のトラウマ」を思い出して、
解決しなくちゃならないハメになるとか。

元々が非常に効能の高い手法であるために、
使い方間違うと副作用のが強くなっちゃうんだろうなぁ、と思っています。


うーん、まぁ、本当にただの所感なんですけどね。
いかん、まとまりが無いですな。

あ、ということで、
残念ながら私の占いは「あなたの知らないあなた」を発見することは出来ません。
「あなたの知っているあなた」で解決する方法を探るタイプの占いとなっております。


いかん、ダンボールへの荷物詰めしなければ・・・!!