甲子園の八百屋で
こんにちは。
今日は私の誕生日です。
自分の誕生日を、ANAや楽天からのお祝いメールで知りました(`∧´)
(いやいや、そんなに寂しくありません。祝ってもらいましたよ)
昨日は甲子園に行っていました。
甲子園というと、冬はともかくプロ野球のシーズンはトラキチのおっさんが昼から飲んだくれて・・・というイメージがあるかも知れませんが、実は高級住宅地で「西宮七園」という、西宮市内にある高級住宅地の1つに数えられています。
ここに、オーガニック八百屋「はたんぼ」というのがあり、私が参加しているNPO法人棚田LOVERSの「農楽カフェ」が開催されました。
「農楽カフェ」の取り組みは、都市部でオーガニック(≒有機農業)のよさを普及させるのが目的で、神戸市周辺のカフェで話し合いをしたり、農園見学をしたりしています。
今回は、京都や神戸でつくられた有機野菜を使った料理をいただきながら、京都で有機野菜の普及に取り組んでおられる小野さんと、「はたんぼ」オーナー光岡さんのお話でした。
なぜ関西でオーガニックが普及しないのか?という話があったんですが、関東では比較的受け入れられてきているそうです。
そもそも日本は、食の安全への危機感が薄く、オーガニックへの関心も育ちにくいようなのですが、「特効薬はないとしても、若い人をターゲットにお洒落なカフェで野菜を出すなど、普及の方法はある」と小野さん。
しかし、値段にうるさい関西人。
オーガニックだからといって、不味いものやすぐ腐るものを高く売るのは生産者の怠慢で、売れるわけがありません。
「やはり、消費者が素直に美味しいといえるものを売るのが大事」と有機農家の方。
生産者は研究・工夫し、販売業者は生産者を厳選する・・・
地域づくりの視点から考えると、農業に活力がないといわれるなか、オーガニックを軸に、生産者、販売者、消費者が集まり、「これどんなん?」という対話の中で野菜が消費されていくのが、農村を活性化させるきっかけにもなるかも知れません。
新規就農者が生産者になる場合、地元との軋轢でうまくいかないことが多いようですが、地域の未来に貢献できることが伝われば、良識ある地元住民なら歓迎してくれるでしょう。
ファッションではなく、ブレのないポリシーで有機農業に携わる人がいれば、農業が変わっていくだろうと思いました。
大陸侵略ルート 上越線
今日は、日本と朝鮮・中国との関係の歴史を、ある路線を通して見てみたいと思います。
それは、群馬県高崎駅から新潟県宮内駅までを結んだ上越線。
上越新幹線が開通するまでは、この路線を経由するのが東京~新潟間の最速ルートでした。
この路線で最も開通が遅かったのが、群馬・新潟県境の水上~越後湯沢間。
両県の県境には、2000m級の山々が連なる谷川連峰があり、交通の難所でした。
この分厚い山肌を清水トンネルがぶち抜いて、上越線が全通したのでした。
谷川連峰
清水トンネル
東京から新潟へのルートは、既に長野・直江津経由による信越線があったのですが、一地方都市である新潟へ行くために、どうして大変な難工事を経てまで上越線が開通させたのでしょうか?
清水トンネルが開通したのは昭和6年9月1日。
その17日後に、「満州事変」が起こりました。
翌年に日本政府によって「満州国」が建国されると、東京と新京(満州)の2つの帝都を結ぶ最短ルートとして、上越線が利用されました。
東京から上越線経由で新潟へ行き、新潟港から船出し、現・北朝鮮の清津から大陸に上陸、新京を目指したのです。
大陸侵略のルートとして、東京~新潟間の時間短縮が重要だったわけです・・・
この頃、太平洋側と比べて相対的地位の停滞が深刻化していた日本海側の諸都市は、大陸侵略を推進することで活性化を目論んでいて、その拠点校獲得争いは激しいものだったそうです。
しかし、上越線が開通したことで、新潟港が、ライバルであった境港や金沢、富山、秋田といった港湾都市から侵略の拠点港の座を勝ち取ったのでした。
それにしても、大陸侵略ルートだったこの路線で上京していた田中角栄が、今度は日中の国交正常化を実現させたというのは、感慨深いことですね。
現在の上越線は、軍事上の重要ルートではなくなり、東京~新潟の都市間輸送の役割も上越新幹線に譲ったので、清水トンネル周辺は普通列車が1日5本くらいしか運行しないローカル線になっています。





