神戸ときどき三田 -116ページ目

地獄への道はローマに通ず?

突然ですが・・・


握り拳の親指を立てて、指先を下に向けたら、どういう意味ですか?  

グッド! の上下逆です


地獄へ堕ちろ ってことですよね。


でも、この意味はどっから来てるんでしょうか?


その歴史は、古代ローマにまでさかのぼるんだそうです。


ローマの中心部にある円形闘技場コロッセオでは剣闘士の闘いが観客を楽しませていました。

卑怯な闘いをしたとして観客からブーイングを受けた剣闘士は、皇帝によって生かす殺すかの判断がなされたのです。


そのとき、皇帝が突き立てた親指を上げたら助けられ下ろしたらその場で殺されたそうです。

死刑つまり現代の「地獄へ堕ちろ」につながっているのです。


現在、子どもたちを中心に日常生活のなかでよくやりますけどね。

やったら、たいがい怒られますが・・・


その発祥が、剣闘士の命運を握ったローマ皇帝の判断の印だったとは驚きです。


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二月堂の絵馬

天気が良いので、奈良公園へ。


南大門から進んで、有料の大仏殿には入らずに二月堂への参道を登っていきます。


奈良県立大学 見るなら奈良同好会 ブログ-9.1(8)
これが二月堂

お水取りで知られていますが、平日はあんまり人が多くありません。


奈良県立大学 見るなら奈良同好会 ブログ-9.1(7)

これは三月堂(法華堂)
二月堂の隣にあります。国宝の仏像が安置されてます。


奈良県立大学 見るなら奈良同好会 ブログ-9.1(6)

四月堂もあるんですよ。

小さいですが、お守りなどを売ってます。


東大寺の境内には、二月堂、三月堂、四月堂があるんです。

それにしても、○月堂というネーミングは、どっからついてるんだろうか・・・(?_?)


さて、滅多に行かない二月堂の裏側へ・・・観光客はほとんど近づきません。

奈良県立大学 見るなら奈良同好会 ブログ-9.1(!)


そこには、たくさんの絵馬が・・・


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花嫁



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結婚式でしょうか、何かの祭礼であることだけ分かります。


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奈良県立大学 見るなら奈良同好会 ブログ-9.1(2)
鼠と牛は、干支の絵でしょうか。寅もありました。


干支や花嫁など、目出度いはずの絵ばかりなのですが、お堂の裏側で木陰になっているというジメジメした環境のせいか、少し異様な感じがしました


もともと、絵馬は何かの祈りを込めて奉納されているはず。

ここの絵馬には、どんな願いが込められているのでしょうか・・・?


夏の終わりを惜しむように鳴く蝉の声


線香の香り


そして、絵馬・・・


たまたま足を踏み入れた二月堂の裏側は、やけに静かでした。

観光客で賑わう奈良公園のなかで、ここだけは異質な空間になっています。


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地域創造=生活でしょ?

政権交代に湧いた夏も、もう終わりです。

しかし、本学の夏休みはあと1ヶ月もあります。 長っビックリマーク


地域創造学部と、えらい立派な看板を掲げている本学ではありますが、果たして地域で有意義な活動を行っている教授や学生がどれほどいるのか・・・


そもそも、地域創造が学問になってしまっていること自体、日本の地域社会が崩壊していることの証左ですよね


だって、もともと、地域を創るということは、生活することそのものなんですから


地域住民同士の協力なくして、生活することは出来ませんでした。

それなのに、なぜ、地域住民同士は協力しなくなったのか?

いろいろ考えられますが、職業の種類が多様化し地域密着型の業種が減ったこと行政の仕事がムダに拡大していることなどが挙げられると思います。


たとえば豪雪地帯では、冬の朝、子どもたちの通学路を確保するために、子どものいない家庭の人も家の前の道路を雪かきしていた。住民自治が自然に活きていたのです

しかし、行政がそつなく除雪作業をこなすようになり、生活は楽になりましたが互助の関係が失われました


そこに、地域創造学や地域科学といった学問として学者や学生が踏み込んできた。


しかも、地域づくりを授業の一環としてやってしまっているせいか、やる気のないヤツなにやら勘違いしているヤツが地域に入り込んでいるように見受けられます。


地域創造は、大学の単位なんかよりはるかに大切な、地域住民の将来がかかっているということを自覚する必要があります。

(ま、自分以外の人間の将来などどうでもいいといわれればそれまでですが)


単位を取得できない地域活動は、人を集めることさえ難しいのが現状です。

学生同士の交流だと人が集まるようなんですけどね。地域の人との協働となると、面倒くさいのか尻込みしてしまう傾向ですね。


それは、つまり、対話したり、怒られたりといった大人との共同生活の経験がないんでしょう

子どもを叱る親や先生、地域の人が少なくなったのだから、当然といえば当然です。


また、叱らないどころか子どもの顔色を窺う大人が増え、生活において子どもに役割を与えることをしなくなりました

日常の家事から地域の行事にいたるまで、全て大人だけでちゃっちゃと片づけてしまっては、子どもは地域のなかで自分が必要とされている、自分がやらなければならないと意識が育たなくなります。


“地域社会に活かされている自分”を見失った現代人は、同年代のせまーい人間関係だけで生活を完結させ、地域で働く喜びも知らないまま生活しています。


地域で“生きる”から“活きる”への転換を模索する段階へ、時代は流れていくでしょうか。


まだ結果は出てませんが、コツコツと、奈良の地域活動に携わっている一学生のひとりごとでした。


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