バサラ祭りを地域おこしの視点で見ると・・・
8月30日です。
政権交代の歴史的な一日です。
しかし、奈良は夏の終わりを熱く盛り上げるバサラ祭りが開催中です。
バイトへ行く前、少し様子を見に行ってみました。
会場以外は、人通りはいつもと変わりありませんでした。
三条通の、やすらぎの道との交差点から猿沢池までが会場になってました。
結構盛り上がってました。でも、暑かった~![]()
奈良に限らず、全国には踊りをテーマとしたイベントが数知れずあります。
バサラ祭りは、地域おこしということで、県庁職員も踊りに参加するなど大変な力の入れようですが、このイベントをここでやる価値をもっと打ち出せないならば、予算を使ってこのイベントを続ける意味もないですね。
公式ホームページより、このイベントの目的を抜粋しますと・・・
若者たちの熱気と情熱、古都の粋と賑わいが、先行き不透明な時代に、活気と元気を届ける「バサラ祭り」。地元の人々はもちろん、夏の奈良を訪れる観光客を強く惹きつける祭りとして注目を集め、マスコミでもより大きく取り上げられています。
目指すのは、『奈良の夏が変わる。そして、奈良の夏が時代を変える!』
どうして、奈良でやらなければならないのかが、まだよく分からない部分があります。
たとえば、奈良県に伝わっている民謡をベースにした曲で踊るとか、奈良じゃなければダメ
という理由付けが、まだ曖昧かと思います。
大体、地域おこしとして成功しているイベントは、ほとんどが地域に根ざした観点から目標を定めているという特徴があります。
地域の歩みに関係なく、突如として落下傘的にやってきたイベントは、どんなに大きくてもなかなか集客できてないような気がします。
別に、バサラ祭りがよくないというわけではないですが、ぜひぜひ、奈良の将来基盤を支えうる強固なイベントに育つために、いろいろな視点から運営を検討して欲しいと思います。
えらそうに語りましたが、私も奈良で地域づくりに関わり始めたばかりの新参者です。
奈良の将来のために何が必要か、それなりに真剣に考えております![]()
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「天地人」 越後から会津へ“歴史の道”
NHK大河ドラマ「天地人」、賛否両論ありますが、視聴率は好調のようですね。
私も、新潟県出身者として応援してますが、ドラマでは上杉家はとうとう越後を離れ、会津へ移封されました。
先週の放送を見られなかったので、今日、再放送を見たのですが、上杉家が会津へ抜けるときに越えた峠を六十里越といいます。これが、とても懐かしかったです。
六十里越は、良米の産出地・魚沼市から、福島県会津へ抜ける街道ですが、険しい山道で冬は大変な豪雪地(この地域は半年間雪に埋もれる)であり、交通の難所でした。
ドラマの最後に登場した越後須原の目黒邸は越後でも屈指の豪農で、入広瀬から始まる壮大な山越えの直前にあたります。
この六十里越のすぐ近く、八十里越という峠がありますが、これもさまざまな歴史的事件に登場する、“歴史の道”です。
たとえば、源義経はこの街道から奥州藤原氏のもとへ逃げたといわれているし、その恋人・静御前は、義経を追ってきて、この地で亡くなったといわれています。(長岡市栃尾に彼女の墓がありますが、死亡の地は諸説あり定かではありません)
また、北越戊辰戦争の際、越後長岡藩は旧幕府軍についたため新政府の薩長連合軍に長岡城を奪われますが、大老・河合継之助は、八十里越から会津へ抜けて会津藩の援軍を求める途中、福島県只見町で亡くなりました。
義経や継之助が失意のなか越えた峠ですが、峠の自然は美しく、先人の思いを語るものは何もありません。
ただ、六十里越や八十里越は現在でも険しい山道で、彼らが峠越えをするときはどれだけ辛かっただろうかと偲ばれます。
“道”は、人が行き交い、モノが行き交い、情報が行き交った、最も原始的な流通のツールです。
道が語る歴史をたどるのも、面白いかも知れません。
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8.24 元興寺万灯供養
高校野球の決勝戦観戦後、甲子園から奈良へ大急ぎで直行、元興寺の万灯供養へ。
仏塔や石仏の周りに灯明を灯して家内安全や無病息災を祈る祭りです。
灯明の自然な灯りで、境内は幻想的な雰囲気になります。
個人的には、燈火会よりも好きかも。
京都を中心とした地域に残る地蔵盆の風習です。
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