退職して1ヶ月ほど家にいる時間が長くなればなるほど、母といる時間も必然的に長くなる。

 

私の母は、日中テレビを見てばかり。基本話しかけても能面のような表情でこちらを向いてくれもしない。子どもの頃からそれが不思議で嫌で悲しかった。

 

どんな風に話しかけたら母が反応するのか?

 

なにをしたら母が喜ぶのか?

 

子どもなりに考えて100通りの方法を試した・・・けど無理だったという記憶がある。

話しかけ方(タイミングや私のテンションなど様々に変えてみた)や話す内容の違いなど、毎日下校中に昨日の作戦とは違う事を今日は試すぞ!と意気込んで帰宅した。

 

台所で料理している母は、声をかけても無言だったしテレビを見ている母も同様だった。

 

幼稚園の時の母の日のプレゼントに喜んでもらえた記憶もなく、お手伝いしたいと言っても眉間に皺を寄せてこちらを向くだけ。それでもお小遣いで買った母の日のプレゼントを渡したことがあり、受け取ってくれたけど数年経ってもタンスの引き出しにそのまま入っているのを偶然見かけて2度とプレゼントしないと思った。

 

結婚し、私も出産後は電話で相談したりすると聞いてくれることもあったし洋服をプレゼントしたこともある。

外に出たらふつうの母親のような態度になった。

私がなにも出来なくて慕う、頼る・・・となると母は母になることがあった。

 

離婚をした1年後に実家に帰らせてもらった。家賃など考えるとたいへんありがたく助かっている。

 

家に戻ってから、私の子どもたちへの言動や生活のサイクル、家の中の片付けのできなさ具合(子どもの頃、物心ついた頃には片付けられない家と化してた)に私がイライラすることが増えていった。

 

私の母が扱いが難しく、基本無表情で話しかけても返事もしてくれないのは子どもの頃から変わらないこと。ずっとリビングにいて、テレビを向き無言で座り続けるのも昔から変わらない。

 

でも子どもたちもそれを???となることが増え、時々なんか言ってきたかと思えば、なぜか腹が立つような事を言われる・・・ばあちゃんてなんであそこにずっと座っているの?とそれぞれの子が聞いてきた。

 

1番下の息子にいたっては、息子が見ているアニメ番組を急に変えられ怒って泣いていたことがある。

 

母はテレビの天気予報を見るためにチャンネルを変え、息子は次回予告まで見たかったのに急に変えられたと泣いていた。

 

一言言えばまだ良かったものの、何もなく急に画面が変わったので衝撃を受けていた。

正直、天気予報は別の時間帯にも見れるしテレビのデータやスマホでも確認できるのに、その日急にそのような事をしたことに無意識とはいえ悪意みたいなものを感じた。

 

同居して8年ほどになるが、分かったことは母が孫・子どもも「目下のモノ」というくくりをしていたということ。これは何時間も何日も母親に気持ちをぶつけた際に話してくれた。

 

・・・目下のもんだから(挨拶しない)と言ったのだ。

 

母によると、だから家の中にいても話しかけないのだそう。

 

おはよう、に関してはどちらから言ってもいいはずだし後でリビングに入ってきたのなら(起きてきたの気づいてないこともあるのだし)先におはようと言えばいいのだ。

 

母は子どもの成長には興味がなく、生存させることが出来ていれば問題がないと思っていたのだろう。

私は4歳頃から母に話しかけられるのは祖母の愚痴の時だけで(おばあちゃんっ子でもあったので内心複雑だった)サンドバック状態だった。

 

幼稚園での話・小学校での話は聞いてもらえなかった。

 

しかし、会社の愚痴は嬉々として聞き入っていた。

聞いてもらえるのは、ありがたい。けれど、なぜか話してもスッキリせずいつも疲れていた。

 

母は私が苦しんでいる状況にいることは受け入れてくれたが、そこから助けて!と求めると拒絶した。

 

小学生の頃、いじめにあって1ヶ月以上経った頃に「明日学校行きたくない・・・」と言った私に父は狼狽えて理由を聞き、母は遮るように「行きなさい!!」と言った。

 

過去の母とのやりとりでの疑問があった。

会社を辞めて時間ができた事と会社で知人男性から受けた見えないパワハラや長く続いたモラハラを振り返る事が出来て、自己愛性パーソナリティ障害を知り母も当てはまっているのでは?と思うようになった。

3月末に退職することが決まった際に(当時、何月に退職かは曖昧だった)夏のボーナスもらいたいけど、言える雰囲気じゃないし、私の気持ちがそこまで持たない気がする・・・

 

とボーナス月の前に退職した。

 

とにかく、私はこの職場に貸しみたいな状況を残したくなかった(私はしょうもないプライドの塊で出来ています)

でもふと思ったんだが「7月いっぱいで辞めたいです」とも言って良かったんだな・・・

 

この会社にいる間、いつも気を張っていて本当にしんどかったと振り返っている。

もともと知人(わりと古くからの知人男性で、仲が良いとも思っていた)がきっかけで入社した会社だったのだが、知人は入社直後から手のひらを返したかのような態度で私は非常に困惑していた。

 

極めつけは入社後の初めての会社の飲み会で(正確には上司たちが居なくなった二次会)知人はなんとそこにいた若い子たちの前で「いつまでも◯◯ちゃん(←私の昔からのニックネーム)のままで居られると思うなよ!!」と言ってきた。

 

それは、学生のノリじゃダメだろ!!という意味では決して無く、私という存在を制止する意味合いだったようだ。

 

知人は学生のころとは違った雰囲気で会社に存在していた。私は知人の過去を(本性みたいな)知っているし、私がありのままで会社に居ると自分のポジションが危うくなると思ったのか、釘を刺された。

 

私は困惑と悲しさを持ちながらも、転職のきっかけをくれた事への感謝もあり黙って受け止めた。彼の言い分を受け止めたのだ。

 

恩と感謝。

 

ところがそのことで自分が壊れていくとは思いもしていなかった。

私にとってのニックネーム◯◯ちゃんは、親友のような大切な存在のような・・・大切なモノなんです。

 

小学生の時に同級生がふと浮かんで決まったニックネーム、神様からの贈り物みたいに思える大事な呼び名なんです。

 

だから、知人男性が言った言葉は私には呪文のように突き刺さりしかも恩を感じていたので忠実に言う事をきく。

 

すごく忙しい職場で、私は私という存在が見えなくなっていったのにも気づかないまま仕事に邁進してました。

 

仕事が出来るようになる事や後輩が成長していくことにとても意識が向いていて(使命感はあるけど、外側の意識)充実している・・・のに、毎日ぐったりしていた。

 

子どもたちとの事も記憶が少ない・・・

 

毎日帰宅してほろよいを1本飲まないと眠れず、でも飲んだらすぐ眠くなるので22時前には寝てた。

 

睡眠さえとっていれば、鬱にはならないだろうし・・・大丈夫!!絶対だいじょうぶ!!と。

 

いま振り返ってみると、早めに寝てとしてもせいぜいその日の気疲れを清算してるのみで(必ずしもプラマイゼロになってたかも不明)心の栄養になっていたわけではなかった。

 

(私らしく居たらいけない)と、知人男性からの言葉を脳内変換していたので、どんどん私はわたしという存在を不透明化していき、私の中にその知人や会社の同僚や上司の存在を大きく育たせることに必死だった。

 

私がわたしらしく居られるのは、車の中で熱唱するときぐらいだったように思う。

しかも当時は毎日シャワーで湯船にゆっくり浸かることもなかったので、自分との時間てほとんど皆無だった。

 

退職してこの流れに気づいた。当時はなんにも分からず、ただただ苦しかった。

 

前回ブログ記事を書いてから、もうこんなに時間が経ったのか・・・

 

退職して3週間ほどはとにかく毎日眠くて眠くて

子どもの朝練に送迎してったら

帰ってきてから少しだけ家事をしてベッドに吸い込まれるように入り、昼過ぎまで寝る。

 

起きて時間を確認して(まだいける・・・)と確信を持って寝る。

 

15時くらいからスーパーに買い出しへ行くか、冷蔵庫に食材があれば夕飯を作る。

 

その後、子ども達の迎えに行ったりお風呂入ったりしてまたすごい睡魔に襲われて倒れるようにして寝る。

 

こんな1日の繰り返しだった。

 

心身ともに回復するのに睡眠が必要だったのだろう。

 

病院へ行けば?と退職前に何度か言われた事があったが、職場に問題を抱えているのに何の解決になるのだろう?

 

病院へ行き、メンタルの病名がつき、退職になった人たちへ

病院行ってたらしいよ・・・と陰で言ってるのを何度聞いただろうか?組織に問題があるのではなく【病気】が原因・問題なのだ。

 

スタッフにはなんの落ち度が無い、というような言い草に何度も嫌な気持ちになった。

 

だからこそ、私は病院行かなかったんだけど

そんな風なちっぽけなプライドのせいで損をしているようなこともあるんだろうな。

そのプライドって、結局相手と同じ土俵なんだもの。

 

1ヶ月くらい休んだら?と言ってもらった事がある。

でもそれもできなかった。ちっぽけなプライドと恐怖心。言ってくれたのは他部署の主任。現場が違うので、実際にそうなった時に復帰する事が精神的に容易ではないと思った。むしろ、休んでいる日々すら安心して休める気がしなかった。女子グループのあれこれが蔓延して私は戻れなくなると思ったし、休むのも怖かった。

 

言ってもらった通り、1ヶ月休んだり通院したりすれば良かったんだと思う。もしくは

そんなちょっと休んだくらいで復活するわけないじゃん!!て、頑なに拒否し、自分を貫いてみて良かったとも思う。

 

そのどちらも綺麗事の上に成り立っている。

 

私は自分で自分を守る方法として通院せず、退職を選んだだけ。

通院したり、お休みもらうと必ず「もう大丈夫です!」て言わなくちゃいけない・・・(礼儀的な感じでね)そんな日を迎えなくちゃいけなくて、そんなん確約できないから休めるわけないよなぁ。

 

退職する前は(退職したらこうしようああしよう)てのもなーぁんにも浮かばないくらい頭疲れてたし、最近少しずつ元気になったきたから頭が働くようになっただけだもんな。

 

この10年くらい怒涛な変化の日々だったんだから、このくらいお休みしてもいいのかな?と思っています。

中2の息子の部屋。

 

布団はクローゼットの中。

 

 

 

私は中学生の時、畳の部屋だったから

良かったね~にっこりと思う。

 

片付けだけは覚えてほしい、と

子育て中に教えたいことの1つだったので

本人的になんか気になる…ってなって

整理整頓してるのを見ると嬉しくなる。

 

机の使い方や

洋服が入っている引き出しの中とか

独特の収納法だけど

自分がやりやすい方法なら問題ナシキラキラ

 

私の部屋にはテレビがあって

(主に隣の部屋にいる息子用)

テレビ台として使っている棚は頂き物です。

 

大きな棚の下の部分でした。

上置き部分の棚は数年前に手放しました。

 

基本的に地震対策な部屋にしておきたいので

背が高い家具は少なくしたいんですキラキラ



 

お人形さんがこちらを見ていますね。

リカちゃん人形のお友達のファニーちゃんですキラキラキューン

 

数年前にヤフオクで見つけて買いました飛び出すハート

子どもの頃にお年玉で買って

とっても大好きだったのに高校生くらいのときに

処分された泣くうさぎ

 

捨てるよ!と言われてた段ボールの中に居たとは思わず

ちゃんと点検しなかった無気力

リアルトイ・ストーリーですね泣くうさぎウッディはいない泣くうさぎ

 

そんな私のファニーちゃんですが

お洋服も綺麗な状態で来てくれてホント嬉しい飛び出すハート

 

箱の中身は

PerfumeとCAPSULE のCDと他にセカオワや米津玄師

YUKIや小沢健二などなど。

めちゃイケのオカザイルの最初のDVD

「ミステリと言う勿れ」のコミック。

 

あとは

タロットカード・オラクルカード。

アイロン(ほぼ使わんが時々必要、無いと困る)

秋冬用のパンプス。ノート型パソコン。

私が幼稚園の時に使っていたバスケット。

 

今日も点検したけど好きなものばっかだった。

 

幼稚園の時のバスケットがめちゃくちゃ好きで

この中に連絡帳とお弁当箱入れて行ってた。

すごくすごく好きだったな。