退職して4ヶ月。

初めての失業手当をいただきました〜ほんわか

(ハローワークで手続きなど行ったのは退職1ヶ月半後でした)

 

9月から職業訓練に行ってまして

その分が振り込まれてました。ありがたやー

 

若い頃は手続きしたけど

すぐに転職先見つけたので

もらわなかったんですよね。

今は再就職手当みたいなのあるけど

20年〜前てあったのかな?なかった気がします。

覚えてないけどあせる

 

次も事務系で探すつもりだと話したら

WordExcelの基礎講座みたいなのをすすめられました。

業務で最低レベル程度はやってましたが

自分で文書を作り上げるとか

時間かかってたので通ってみて良かったですほっこり

 

WordもExcelも3級レベルの内容を学んでます。

大抵の資格で3級は履歴書に書いても意味ないと

よく聞きますよね?

私もそう思ってました。

 

でも書いてたら面接では意外と

じゃあ簡単な文書作成とか大丈夫なんだね?みたいに

確認されますし

安心感はあるのかもしれません。

 

退職して2ヶ月ほどゆっくりしたし

子どもを優先しての生活リズムでした。

9月から職業訓練に行き出して

生活リズムも整ってきたし、学んでることを習得している

実感がわいてきて

なかなか楽しいですニコニコ

仕事の会議で

議題からはずれていって、極端な結論に向かっていく時。

これじゃ解決策にならない・・・と

愕然とすることがあった。

 

問題点があり、話し合いの場をもうけて

時間も人員も確保して

問題点の解決ではなく

ちょっと違う角度へ向かう。

たとえば

問い合わせの電話が多い時

職員は通常業務にも追われていて

電話を取るとその時間は通常業務に手が回らないから・・・

どうしましょうか?

 

人を雇ってはどうだろうか?

でもすぐ採用できるわけではない。

だから

通常業務のやり方の見直しも必要なのでは?

見直しする時間がないと担当者の意見。

 

そもそも採用できないのは

求人の出し方に問題があるんじゃない?

求人情報をこうしようああしよう・・・

終わり

 

え?

 

となっていた。

同時進行で行ったほうがいいと提案しても

人がくれば解決するはずだからね~

みたいな。

 

会議の急にどちらか一方に舵が取られていくのが

本当に不思議だった。

それも集団心理としてあるとのことだ。

 

集団分極化

そしてそれは極端にリスク型高いほうへ行くのと

極端に安全かつ保守的なほうへ行くのと

2つに分かれるらしい。

 

小学生のころの

ディスカッションしてみましょう~みたいな授業では

先生が

ちょっとアドバイスに入ってくれるので

極論に走りそうになっていても

修正が入っていたもんな。

 

これって、集団心理として在ることだから

なかなか難しいことなんですね・・・

 

行動心理士の勉強

私には面白すぎます飛び出すハート

昨日の記事は行動心理の

「集団心理」を表している。

 

 

集団心理⇒集団の雰囲気を壊すのがイヤで多数に同調すること

 

行動心理士の勉強をしている。

ADHDグレーゾーンだと気づいてから

自分が集団独自の人間関係が苦手な理由を

知りたかったのだ。

 

集団思考になぜ陥るのか?と。

 

仲間はずれになりたくない気持ちも分かる

でも目的が明確なときに

みんなの空気を読むのではなく

どうすればいい?と考えて行動してしまう私は

孤立化させられるようなことが過去にもあった。

 

今回の退職もそういった思惑があったような気配も感じていた。

 

私はその部署の1番メインとなる上司の直下にいきたいと

異動願いを出したのだ。

仕事で意見をいう私は、除外されたのだろう。

(同期も言ってた)

 

勉強するまでは

仕事で間違っているんだから、やり方変えればいいのに

なんで文句言いながらみんな仕事できるんだろう?

不平不満はより良くする起点にすればいい

と思っていたので

その上司に対しても理解はなかった。

でもいまは違う。

どちらが良い悪いではなく

人間にはそういう傾向がある、だけ。

 

私が捨て身?でいくのが好みというか

そんな性質があっただけだ。

私の言動で傷ついた人もいるんだろうな。

高校生の頃、毎日お弁当が必要だった。

母が作るお弁当の中身は

  • 薄い卵焼き(甘い)
  • しんなり焼いたウインナーorミートボール
  • 冷食のからあげ1個
記憶ではこの3品だけで構成されており
お友だちの前でお弁当を食べるのが本当に恥ずかしかった。
 
他のおかずの記憶がまったくないのだ。
毎日毎日おなじおかず。
せめてふりかけをつけてくれよ、と
お弁当用のふりかけを買って!とリクエストしたり
ほかのおかず食べたいと言ったら
じゃあ食べなくていいと言われたり
自分で作れば?みたいなことを言われていたが
 
相反して
台所を使うこと、
特にガスコンロを使うことを禁止されていたので
私は火を使うことが怖く
当時なにもできなかった。
 
父がパン屋さんでたくさんパンを買ってきてくれたときは
喜んで学校に持っていってた。
 
母方の祖母はすごく料理が上手で
お盆もお正月もご馳走を作る人だったが
母はぜんぜんそんなことなくって
洗濯と食器洗いが終わったら
リビングでずっとテレビを見ている
(話しかけても会話はしてくれない)
そんな母が本当に不可解だった。
 
今年の夏に母が
アスペルガーだったのでは?と分かってきて
 
そうすると
お弁当のワンパターンも理解ができる。
私も気に入ったお店のランチは毎日おなじのを
頼むところがあるので
毎日おなじなことがイヤというよりも
 
お弁当がスカスカなのが
本当にイヤだった。
見映えも悪いし高校生に足りないし
うすい卵焼き・・・
(だし巻きが作れない母でした)
 
お弁当箱は好きなのに
中身がほんとにイヤだったな。
工夫してくれないことが悲しかった。
 
ミスドのオサムグッズのこのお弁当箱好きでした~飛び出すハート
画像はミスドさんからお借りしました。
 
メルカリで未使用品の出品を見つけて
即購入させていただきました!!
 
娘と私のお弁当に使っています。
あのとき叶わなかった
おいしいおかずを詰めたお弁当音譜
 
当時の自分も癒されているような気持ちにもなりますおやすみ

条件付きの愛情しか受け取らない人がいることを

分かっていなかった。

知らなかったのだ。

 

私の母は今でこそASDなのではと分かって

関係性が改善されたけれど

子ども時代私はカサンドラ症候群に陥り苦しんでいた。

 

と言ってもそれも今年になって

私の母への苦しみはこれだったのか!!と気づけただけで

当時は他のお母さんとあきらかに違う母に

自分が悪いのではないかと苦しんでいた。

 

常に無表情の母親で基本的にすべて無反応の母親に

育てられ

私はその反動もあってか

怒られることはむしろ愛情と思っていた。

(愛の鞭みたいな)

 

そうそう

昭和・平成と

大家族シリーズ見るの大好きだったなぁ

あんな感情的なお母さんがいいなと羨望の眼差しでした。

 

子どもの頃の私は

HSPのなかでもHSS型が強かったと振り返っていて

刺激を求めて外部に出ることが多く

友人関係も広かったように思う。

人と関わって

交流があることが嬉しかったし

好きとか楽しいとかを表現しても

反応があることが幸せだった。

 

私には4つ下の妹がいるのだけど

妹は物心ついた時から

私と遊ぶのはイやだと思っていたらしく

(それを大人になって笑顔で言っていた)

 

なにかと私とは合わないようだった。

 

既存のルールを破壊するような子で

親に言われたルールを守ってきた私は

(親のルールに同意して私のルールとなっていた)

不可解な存在だったし

なぜこんな周囲が困惑することをやるのだろう?と

わりと恐怖な対象だった。

 

妹でなければ

ノリは合うこともあり、楽しい時間を過ごせる関係だったかもしれないが

家族だったので

彼女の裏の気持ちを見て、意地悪に感じていた。

 

今になって思うことだけど

いろんな要素が絡まり

人との距離感が分からない私は

彼女にもほどよい距離をもって付き合うことができず

イやな思いをさせたのだろうと思う。

 

彼女は

外から見て「華やか・豊かさ・有名」みたいなものを受け取るのは大好きで

自分に利益があるときはすぐ動くが

そうじゃないときは思い腰がまったく上がらない人だった。

 

私の縁の下の力持ちみたいな愛情は

受け取ってくれても

愛情としてのカウントにはなっていない。

というか受け取ったつもりはないのだろう。

 

妹とはもう6年くらい会ってない。

 

友人たちのきょうだいで仲良い話を聞くと

心底羨ましかった。

私もきょうだいとというか家族とそうなりたかった。

 

でも向こうからしたら

私の言動が不可解だったのだろうし

迷惑だったんだろうと今なら思う。

 

私も同じ気持ちがホントはあったのだろう。

彼女の

なんでも反発したり対抗心があるような行動に

家のなかにいても疲れていたしよく泣かされていた。

 

本人は私の真似みたいになっていることに自覚もなく

私はどうしたらいいのか分からなかった。

 

妹の話が長くなったけど

これは元旦那もツインレイと思っていた彼も

似ていることに気づいた。

 

私の愛の表現は

彼らには欲しいものではなく

でもくれるんならと受け取ってはいたのだろう

 

こちらからの一方的なエネルギーだけで

私は疲弊していった。