「アルカディア」とは

古代ギリシアにおける理想郷だそうです。

(実在の地名でもあるらしい。当然ながら実際の場所はそんなパラダイスではないだろうけど)


牧人の楽園であり
後代の、おそらくは忙しない生活に疲れた人々が憧れた
牧歌的で平和なユートピア。

牧神パンなんかが涼しい木陰で
日がな一日ピーヒャララと葦の笛を吹いていそうな
そんなまったりしたイメージが私にはありますね。



なんでいきなりギリシア神話なんだよっていうと

ズエワコーチが高橋大輔を「ゼウス」なるニックネームで呼ぶ、って記事を見かけた時

いまいちピンと来なかったものですから。


大神ゼウス。
ギリシア神話における(ローマ神話ではユピテル、英名ジュピター)最高神であり全能神。

まあね、現代の倫理観から鑑みると
ただのならず者と言えなくもありません。

何しろかの名探偵
エルキュール・ポワロも古代ギリシアの神々を
犯罪者扱いしていましたから。

自身はエルキュール、すなわちヘラクレス(ギリシア神話の英雄)の名前を持っているにもかかわらず。






それはさておき。

ゼウスは神々の王であり、オリンポスの重鎮です。

立場の重さゆえか、挿絵等では髭を蓄えた堂々たるオッサン(おじいさん???)の姿で描かれることが多い。

そんな彼の武器は主に雷。
轟音と共に放たれるイカヅチは地をえぐり、空を震わせ
この世の全てを破壊し尽くす勢いなのです。

つまりゼウスのイメージとは
あくまで力強く、重々しい。重量感がある。
どっしりと重量級。



なので。


優しく穏やかで軽やかな
マイデーリンのイメージとは違うなあ、と個人的に感じた訳なのですね。

(肉体改造の結果、身体つきはだいぶガッシリしたみたいですけど)



私の勝手なイメージでは

彼は芸術の神アポロン(しばしば青年の姿で描かれる)もしくは

「ビートルズメドレー」で浮かんだ西風の神ゼフィロス(ゼピュロス)だったもので。




西風は
かの地において春を運ぶ喜びと豊饒の風。

ギリシャの気候はよく知りませんが
なんだかんだヨーロッパ

とりわけ冬なんか
日本人がイメージするほど暖かくはなさそうだから

春を待つ気持ちは格別なことでしょう。


さて、ゼフィロスはこのボッティチェッリの「ヴィーナスの誕生」にあるように
花と春の女神フローラを妻にめとっています。



↑左上の男女



春を運ぶ西風と花。

「ビートルズメドレー」は

紆余曲折の末
春のやわらかな明るさに
そのクライマックスを迎えるべく作られている…
私の目にはそう映る。

包み込まれるように優しい曲調の「The Long and Winding Road」へと移る
つむじ風のごときスピンから

彼はさながら喜ばしい西風となり
その体に花をまとい、花びらを撒き散らしつつ
そよ風の歌をリンクいっぱいに奏で

大団円で結ぶ最後のスピンへと向かってゆくよう…

そこは長く曲がりくねった道の果て。


もうね、このへんではいつだって胸が詰まり

あたしゃ涙が止まりませんでしたよ……




(後から分かることながら、これは決して彼の道の果てなどではなかったのですよね。

なぜなら目指せキングカズだから)


ファンとしては正直
かなりの間リピしづらかった
辛さ苦しさも詰まったプログラムなのですが

時間の経過が…というより
他でもない、誰より最も苦しんだ彼自身がたゆまぬ努力を続け

自らの力で当時のあれこれを浄化してくれたおかげで



私は今、憑き物が落ちたような思いで
ビートルズメドレーを見返すことが出来ています。

ありがとう高橋大輔、さすが私のマイデーリン☆


私の恨みつらみ(笑)が洗い流された今
じっくり観ると

特にソチ五輪のものは透き通るように美しく、無私無欲で

そしてこのコンディションでよくぞここまで滑り切ったな…

という驚きを改めて感じました。

高橋大輔の底力、おそるべし。

その底力も
彼が長年に渡って日々積み重ねた
地道な練習の賜物に他ならないのだから

彼は自分の人生のどれだけをスケートに差し出し
捧げて生きて来たのだろう、と思う。







…ビートルズメドレーでは

途中、笛のような音が響きます。何の楽器かな?

「ピヒョ~」みたいな、いかにも牧歌的な音ね←まともな書き方は出来んのか

あれは私には
遠くアルカディアの地から
牧神が吹く笛の音に聴こえたものです。

(この前段があってこそ、余計に後のゼフィロスをイメージしたのだと思われ)

彼はここで天を仰ぎ、腕をさしのべます。




その姿は「何か」に祈っているようにも

何かを降ろしているようにも

また、何かを捧げているようにも見えました。



捧げる…といえば

アルカディアでは

神々に生贄を捧げていたとか。(あ、家畜ですよ多分。笑。)



あのとき彼は「何か(大いなるもの)」に

己を捧げていたのではないだろうか…なんてことを
私はよく考える。





演技には生き様が現れるとよく言いますが

このポーズからは
彼の人生がオーバーラップする気が
私にはしました。










戸惑いも恐れも迷いもなく
それが必要ならば
見返りさえ特に期待せず、我が身を差し出せる人…


その種の人を何と呼ぶかご存知でしょうか。

大袈裟に美化した呼び方は気恥ずかしくなるタチの私ですが

でもやっぱりそれは

「英雄」

って言うんですよね普通。


(素手でライオンを退治する腕っぷしなどなくとも)



↑『ネメアの獅子退治』byルーベンス





苦しい茨の道を
息も絶え絶えで歩いていたあの頃の彼が

今なお「自分の意志で」
更なる茨の道を切り開こうとしている姿を見ていると
感嘆せずにはいられない。

しかも
この前代未聞の挑戦であるアイスダンサー転向ですら

長く曲がりくねった彼の道においては
貴重で重要な経験ではありながら
それでもひとつの過程に過ぎないという事実に恐れ入るばかり。

彼のビジョンは、理想は、海よりも深く山よりも高い。

理想郷へたどり着くのはいつのことなのか。


そんな彼を応援…と呼ぶのはおこがましくとも

見守ってゆけたら楽しいだろうなあ、と私は思うの。

ご本人も今はめっちゃ楽しそうだからネ!!!(^O^)



ゼウスでもゼフィロスでもアポロンでもミューズでも

この際ヘラクレスでも何でもいいから←あ、私ヘラクレスあんまり好きじゃなかったや…

これまでのように
また新しい風を巻き起こしてください。

そんな期待を出来ることこそがテディは嬉しい☆




↑躍動感がハンパないの図。

ルーベンスがモチーフにしそうなほどだよ。

これは天翔ける天空神ゼウスと連れ合いの女神ヘラってとこかな?←あ、そうか!これこそがズエワコーチのイメージ??







※余談

ギリシャの雷って凄まじいそうです。(まあギリシャに限ったものじゃないだろうけどさ…)

その大昔、村上春樹氏の紀行エッセイ「遠い太鼓」を読んだ時

古代ギリシア人が最高神ゼウスに

絶対的なものの象徴として雷を持たせた意味が
なんとなく理解できた気がしました。

村上さんはギリシャにお住まいだったころ

激しい嵐を経験したそうで

その書くところによるとこんなだったので。


「轟音がまるで艦砲射撃みたいにつづき」

「閃光が部屋を青白く染め、ときおり地表の生皮がはぎとられるようなバリバリという音も聞こえる」

「それは確実に我々のまわりの大地に突きささり、山を揺るがし、巨木を裂き、天空に結んでいるのだ。

まさにゼウス自らが出陣して雷の太い矢をはっしはっしと射ているような迫力である。

なるほどねえ、ギリシャ劇というのも実際にギリシャに来てみなきゃ実感できない部分があるんだなあと妙に感心した」


(「遠い太鼓」より抜粋)






前回に引き続き
今回の記事タイトルまで
我ながらハルキストの匂いがするけれど





私は別にハルキストではない。多分…