四国犬の古典鑑賞41:陸奥号(血統編1) | 未整理箱。古い四国犬の話でも入れておこうか

未整理箱。古い四国犬の話でも入れておこうか

主なテーマは以下です。
■二代目の箱「長春系四国犬の回顧録」
■三代目の箱「気が付けば犬がいた件」
■「遺伝子のつづら」(毛色で悩んでみる)
■「表現のつづら」(たぶん雑談)

【四国犬の古典鑑賞】

現在の日本犬中型 四国犬に影響を与えた犬

41:陸奥号(血統編1)

 

 

 私自身、陸奥号以前の犬を見ていません。ですので、私の集めた資料を個人的に分析したことをお話いたします。資料も不充分で偏った考えになっているかもしれませんし、他の考え方もあるかと思っておりますので、ご意見があれば教えていただきたく存じます。

 


陸奥号の血統
 

 陸奥号の血統を一見すると、顕著な特徴として、祖父犬はどちらも本川村(現在の高知県いの町)山出しの長春号、つまり、父母が異母姉弟ということが挙げられます。また、父系には、同じく本川村山出しの楠号も使われていて、本川村の狩猟犬の血が大変濃いことも分かります。本川の地は「四国のチベット」と古城先生が例えられたように、険峻な山岳のへき地であり、昭和になるまで猟師が狩猟犬を狭い地域内で交配し繁殖していました。古くは本川村にほど近い、約一万年前の遺跡(上黒岩岩陰遺跡)からも狩猟に使われていたと思しき犬が出土しています。この地では古来、犬との生活が営まれていて、本川の地犬は他系統との交雑が殆ど無かった中で犬種が固定したと考えられるものです。

 猟師が自分たちの猟(主に寝屋止めと言われる猪猟)に使いやすい性能を上げるために、自家繁殖の際に取捨選択して出来上がったのが本川の狩猟犬ですので、長春号、楠号に共通した表現は、この地の猟に特化した性能を研ぎ澄ました「機能美」と呼ぶべきものです。
 日本犬とは、元々どの犬種どの産地においても狩猟に使う使役犬でしたので、それぞれの地域性ある機能美を、素晴らしいと感じた人たちが各犬種の愛好家となって、日本犬固有の血統を守る「日本犬保存会」の活動が始まったのでしょうね。

 古城先生もおっしゃっていますが、陸奥号は完全に計画してできたものではないとはいえ、結果的に良い偶然もあった中で、上記のように長春号を軸にしたインブリード、すなわち近親交配に依って作出されました。そして、この犬により本川系四国犬というものが固定されたと言えます。ちなみに、この系統の犬群について「長春系」と「本川系」という二つの呼び方があります。如月荘さんが中心となり、私も若い頃参加していた有志のグループ「長春系保存友の会」では陸奥号の直子「定太号」を中心とし、長春号の血統を保存することを目指した繁殖をしていましたので、「長春系」と呼んでいました。しかし、原産地の血統を固定したという意味では「本川系」と呼ぶものでしょう。

 

「長春系保存友の会」作出の中で最も長春系の形質がよく出た個体。如月荘作出の如月号。

両祖父が定太号であり、祖母が岡山長春女号という陸奥号よりも強いインブリードで作出されている。

残念なことに山で害獣駆除の毒を食べてしまい、早く亡くなったために子孫を残していない。

長春系の鮮やかな黄赤の色素を持っていた。



 インブリードは「共通の祖先の優れた優性遺伝子を継承しやすくする。」という特徴がありますが、今までお話して参りました陸奥号の体躯においての「関節のバネの強さ」や「筋肉の堅さ」はまさに長春号のそれでありますので、インブリードの賜物として伝わったものではないでしょうか。正しいブリーディングをすると、陸奥号以降の犬にもそれは伝わりやすいものでした。
 また、インブリードのもう一つの特徴「普段は発現しにくい劣性遺伝子を近親交配で発現しやすくする。」というものに関しては、陸奥の血縁周辺を鑑みると、本川系の毛色では珍しい「本川系の黒胡麻」が発現しているのがこれに当たるかもしれません。この本川系の黒胡麻はそれ以降の犬、特に近代になるとなかなか発現していません。陸奥の直系の子孫では昭和50年頃までに数頭確認できただけで、今ではもう見かけません。また、本川系の黄赤の毛色も現代では見かけなくなりました。
(be-so)

 

 古城先生のブリーディングについては、以前に記事をあげております。だいぶ時間が経っていますが『土佐純系会のブリーディング考察Ⅱ※1をご一読くださってから次回の記事を読んでただきますようお願いいたします。

 

 

※1 土佐純系会と土佐純研会は同一犬舎。

 

 

 

血統編もう少し続きそうです。またちょっとお時間いただきます。

GOGO!四国犬!(。・ω・)ノ゙日本ブログ村 四国犬ブログ よろしくデス