四国犬の古典鑑賞38:陸奥号(出生と古城先生1) | 未整理箱。古い四国犬の話でも入れておこうか

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【四国犬の古典鑑賞】

現在の日本犬中型 四国犬に影響を与えた犬

38:陸奥号(出生と古城先生1)

 

 

 今回は、陸奥号出生の経緯と、この犬を作出された古城先生についてお話いたします。
 陸奥号の作出の経緯については、古城先生が寄稿されたいくつかの文章の中で、自ら触れていらっしゃいますので、まずはそれをご紹介します。


『日本犬中小型読本』(愛犬の友編集部編 誠文堂新光社)「四国犬の性能と特徴」より引用

「昭和十八年春食糧難の高知では犬を飼い続けることが困難となったので、私は食糧豊富な香川県の同好者に八頭の犬を委託飼育し、純血四国犬作出研究会をつくり系統繁殖の計画を立て、昭和廿(20)年陸奥号をのこした。これが終戦後の土佐日本犬長春系の源流である。昭和二十三年※1秋終戦後初の東京全国展で文部大臣賞を得た。」

※1 ここでは23年となっているが、会誌などの記録は24年であるので書き間違いと思われる。23年秋は高知支部展。


『日本犬 名犬写真集』(愛犬の友編集部編 誠文堂新光社)「長昭号」の解説より抜粋と一部要約

「昭和15,6年頃、拙宅には長春号、熊号、朗楽女号などがおり、それ以上飼う事は無理であった。しかし、京都の山田寅平君から、私が預かるから、楠号直子楠美女号で長春号の子をとりましょうとせがまれたので左様にした。
…この時生まれた4頭のうちの1頭が長昭号。他3頭は仔犬時に亡くなっている。…

 

長昭号(滋美荘 中2353)陸奥号の父犬


私は長春系の系統繁殖をするに、必要にして欠くべからざる唯一の雄犬だったので、はなはだ高価で買い戻し、香川県琴平町山本君の世話で近所の某氏に飼育料月60円で委託した。当時系統繁殖のため、他に七頭も預けてあった。この長昭号をゴマ系長春号直子雌登美号に配して陸奥号を作った。なお、私に秘密に他犬にも交配してあった事がわかりその系統から長美女号を得、陸奥号×長美女号によって、長春系系統繁殖ができたので、その基礎となった長昭号の功績は偉大である。」

 

 

 

 

 上記のような話は、私も先生から直接伺ったことがあります。「昭和18年、戦局が厳しくなり、食料事情が悪くなってきて犬を飼うのも大変な状況となってきた時、長春号の血統の保存と系統繁殖を計画し、長春系の犬八頭を買い集め、これらの犬達を食料豊富な香川県の同好者に犬1頭につき田を1反(1,000㎡)付けて預けた。付けた田から穫れる米を代にして管理飼育をしてもらって、系統繁殖のための犬を守った。」と仰っていました。その時に、どのような意図でどの犬を預けたのか、しっかり聞いておけば先生の系統繁殖の計画をもっと理解することができ、自分が系統繁殖をするにあたって勉強になったと思うのですが、その時はこの件を詳しく掘り下げて聞きませんでした。今思うと残念なことです。(be-so)


 

次回は古城先生に敬意を表す意味で、先生の事を中心に書きます。

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