四国犬の古典鑑賞37:陸奥号(本部展の個評) | 未整理箱。古い四国犬の話でも入れておこうか

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【四国犬の古典鑑賞】

現在の日本犬中型 四国犬に影響を与えた犬

37:陸奥号(第12回本部展個評)

 

 

陸奥号の管理について。「第12回本部展での陸奥号」

 私も当時気になっていた陸奥号の管理についてですが、これは本部展で指摘されています。
 昭和24年度第12回本部展で文部大臣賞を受賞したときの記録と、里田原三審査員の個評のあらましを下記にご紹介いたします。

第12回本部展

(『日本犬保存会創立50周年史 上巻』社団法人 日本犬保存会の「昭和24年度春期日本犬展特別号」の記録などによる引用と要約)

 

日時 昭和24年4月17日

会場 東京・上野動物園正門前

審査長 鏑木 外岐雄※1

審査員 中型 里田 原三(主査)・岩本 英二郎・千葉 胤一・古城 九州男

 

文部大臣賞 陸奥号 純研会 中3506 山本 福武

個評

「現在の四国における唯一の系統明白な成牡である。今回「純研会」苦心の成果が文部大臣賞を獲得するという光栄を結実した。本犬は、楠号、ゴマ号、長春号の三名犬とその父母系に包含して異系交配―近親交配に依って作出させられた逸物である。その表現において、中型犬の典型的なものであり、種牡としての今後が期待されるものである。それにもかかわらず巷に伝わるところによれば、飼育者は日本犬愛とその真義に欠けていると聞く。実に遺憾の極みである。昨秋の高知支部展でも、本犬の素質を充分に表すことができるような管理が認められなかったので、歩態及び後躯に不十分な点があることを指摘しておいたにもかかわらず、今回、長途輸送を考慮に入れても、なおその外貌に精彩が不足しているのは何故か? 被毛の損傷も、全く管理が周到ではないと察した。本犬の父祖より受けた幾多の良質を充分表現して、再建日本犬の礎石とさせるのは、飼育者の重大な責務と信じ、あえて此言を呈するものである。
 次回本部展に今一度その雄姿を示すように。(飼育者は)本犬に依ってもたらすことができる素因を、深く考慮して四国犬愛好者の敬慕の的になってほしい。また、中型日本犬の再建のために努力されることを望む。」

※原文は文語が多く使われているので、内容は変えずに一部現代の言葉に直してご紹介します。

 

会誌より。この時の本部賞は小型の有名犬、中号だった。

 

 上の画像をご覧ください。この時の受賞犬の記録写真のページに、陸奥号だけ掲載されていません。写真を残すのが忍びないほどの管理状態だったのだと察します。しかし、里田氏の個評からは、そのような酷い状態でも、「この犬は戦後の四国犬の復興に必要なのだ。」という精強な意識が感じられます。
 そして、これほど強く苦言を呈されているにもかかわらず、先の記事で述べましたように、山本氏はこの後陸奥を抵当にしてしまい、計画的な繁殖がなされなかったのです。

 当時の犬の長途輸送については、主に鉄道が使われました。この頃、駅にはしっかりした木製で鉄の格子が入った輸送箱が用意されていたのです。ですので、自前の輸送箱が無くても、犬にリードを付けて駅に連れて行って「輸送箱を貸してください。」と言うと、立派な箱を借りることができました。それに犬を入れて箱ごと目方を量り、料金を払って送るのです。そして、犬は貨物列車、人間は旅客列車で現地に行き、駅で犬を受け取っていました。もちろん自前の輸送箱がある場合は、それで送ることもできました。

 陸奥号も上記の本部展には香川から貨物で出発、国鉄の連絡船に積み替えて海を渡り、宇野からまた貨物で上野駅まで都合3日程の行程(当時は人だと東京まで丸1日かかりました。)で会場入りしています。その間は飲まず食わずの旅でした。

 因みに、当時の有名犬松風号(中3582)は、あちこちの展覧会へ出向いて汽車慣れしていたのか、長距離の輸送後であろうがどちらの会場でもしっかり立っていて感心したものです。(be-so)

 

松風号
『日本犬名犬写真集』(愛犬の友編集部 誠文堂新光社)より

 

※1 鏑木外岐雄氏はこの時会長であった。記録によると、東大教授、理学博士、天然記念物調査官とのこと。

 

 

9月忙し。UPに少し時間がかかりました。

またコツコツまとめていきます。

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