それでは四国犬のふるさとへ。『トラと猪猟』の後編です♪
関連記事【トラちゃんのご主人、猟犬を語る】 (←クリックで別窓が開きます)も併せてご覧くださいましm(__)m
トラちゃんはまだおデート中につき…( ´艸`)ムフフ。ご主人との茶飲み話は続きます。
いただいた写真を時系列で並べてみました。
ご主人>二枚目の写真くらいまでは犬の興奮が冷めてないのう。
ワタス>これはまた大きな猪ですね!これで目方何キロくらいですか?
ご主人>そうじゃの。100キロちょっとじゃなかったかの。
ワタス>この黒胡麻の犬は怪我しちゃったんですか?凄い雪山を背負って降りてますね(・ω・ノ)ノヒョエー!
ご主人>この時は犬が猪の下敷きになって脳震盪をおこして動かんようになったんよ。山を降りて2時間くらいしたら息をふき返したわい。
まさに死闘。犬も人も必死です。
こういった猟での猪猟犬はだいたい10歳くらいで引退するんだそうです。猟犬の現役は案外短いですね。トラちゃんの現役生活もあと2~3年というところでしょうか。ご主人もトラちゃんたちも皆元気でこれからも頑張って欲しいものです(^人^)
…そして長春や楠などの写真を見ながら本川の犬についてもう少し伺いました。
ご主人>本川の犬は足がええ。前足の格好を見てみい。こことここ(肘にあたる部分と手首にあたる部分)にタメがあるじゃろ。真っ直ぐ立った時につま先は真正面を向いて、横から見るとこの2箇所がどちらもくの字になってないと山は走れん。あと、足の関節は柔軟で踏ん張る時には横にも開くようになっとる。
ワタス>なるほど。車のサスやダンパーみたい…やっぱり足回りの良さが肝心なんですね(笑)
ご主人>本川系は“素軽い”っちゅうが別に痩せて細いんじゃない。トラ見たら分かるやろ。足と目がええもんですばしこいし、持久力もあるけん急な山を走らしたら大概の犬はついて行けんわの。ワシらもよう追えん時があるわ。
最後に。
古い犬についてこんな話を聞く事が出来ましたよ~ん(・ω・)/
■楠号を知っていた最後の猟師
桑瀬地区の近くで猪猟を営んでいた「高橋せつお」氏は古参の猟師であり実力者でもあった。氏はつい最近98歳で亡くなったのだが楠号を知っている最後の猟師だったとのこと。
これでついに、楠号を実際見たことがある人は居なくなってしまったのかもしれない。
トラのご主人は楠号と長春号の写真を見ながらこう語ってくれた。
「ワシは昭和12年生まれで戦前の犬は知らん。戦後はこの写真のような犬は居らんようになったと言われとるが、戦後でも多くはないがこういう犬は居ったよ。楠に似たような犬を最後まで飼っとったのがその高橋せつおさんじゃったと思う」と。
■長春号は猟師から盗まれた犬だった!?
長春号が世に出た昭和初期、山出し犬は高価なコレクターズアイテムとして日本犬の愛好家の間で高く取引されていた。
その頃の猟師は仲買人=ブローカーに若い犬を2頭売れば年収に相当する現金が手に入った。しかし、ブローカーは更に3倍以上の値で愛好家に売り渡していたという。
当時、ブローカーがやって来て1,2頭若い犬を買い付けた猟師の家では、直後にそこの一番いい犬が盗まれて居なくなるという事が相次いだ。そして、トラのご主人の古い親類である「山中よりたね」氏の元でも同じような犬の盗難があったそうだ。
その後、よりたね氏はかの名犬、長春号を目の当たりにした際に「この犬はウチから居なくなった猪犬だ」と感じた。
長春号はよりたね氏の元では違う名で呼ばれていたし、ブローカーは良い犬を独り占めせんとして山出しの出所を隠して明かすようなことはしない。残念ながら、長春号が本当に氏の所有していた犬であったかどうかを確認するすべはなかったといっていいだろう。
当のよりたね氏も確信はあったが何も証拠がないために、どうすることも出来なかったという。そしてこの話はそれからずっと親戚内だけで語られることになった。
今となっては“真実は闇の中”である…。
面白い話が聞けて楽しい本川村訪問でした。ピロもお疲れさま(^ω^)v
GOGO!四国犬!(。・ω・)ノ゙日本ブログ村 日本犬ブログ
よろしくデス。




