春の話3:かわいそうな春
あの地震が起こった日からガラッと生活が変わってしまった。
僕だけでなく、日本中の多くの人の生活が、あの日を境に大きく変わった。
できるだけ冷静に、平静を装って普段と同じ生活をと心がけていても、
やっぱり少なからず誰もが混乱しているし、不安を感じているのはわかる。
それは明日の停電や通勤電車とか身近なことだったり、もっと先の生活のことだったりする。
そして誰もが、これから先、元通りの世界が完全に戻ってくることはないと何となくわかっている。
もちろん自分自身もそうだけど、本当に色んなことを考える。
いい意味でも悪い意味でも、「人間って...」とこの10日ほどで何度思ったかわからない。
今回の震災との物理的な距離と、感じ方とかの気持ち的な距離の両方によって、
同じ東京で昨日、今日、明日を過ごしている人々の気持ちが、それぞれ少しずつ違っていて、
そういうのを見たり聞いたりしていると、正直かなり気が塞いでしまう。
また、これまで色んな情報が錯綜してきたし、色んな人が色んな自分の見解と意見を述べている。
おそらくもう少ししたらさらなる不満や文句があふれ、責任とエゴの押し付け合いが始まる。
その中には真実もあるだろうし、まちがいもそれ以上に多くあるのだと思う。
この1週間ばかりで僕も精神的に相当疲弊してきているし、毎日の現実的な混乱もあるのだが、
少なからず仕事やそれ以外の生活でも相当ストレスが溜まってきている。
でも被災地の方々に比べればまだマシだろと思いながら、あの日以来一応普通に生きています。
それは街をゆく人もみんな一緒。
ただ、「日本、みんなでがんばろう!」という進むべき方向はわかっていながら、
各人の心の中にじわじわと溜まっていく、違和感と「??」(ハテナ)。。。
原発や電力についてのデマと真実?、流通や株価、為替市場の危機?、停電?夏は扇風機?、
ガソリンの高騰と不足?、買いだめされたスーパーの棚について?、どうでもいいつぶやき?、
個人の欲望を満たすしか脳がない恥ずべき人々?、もっと大変な被災地の人々?、
ダイヤの不安定による通勤の混乱?、会社の後手後手の対応?、こんな時に娯楽ですか?、
電気使ってコンサートやお芝居?、芸術文化?、ブランドの洋服買ってる場合じゃない?
こんな時にパチンコ?野球?居酒屋?、でもパチンコ屋の定員もお給料あっての生活よね?
だって外食産業はどうなる?、アートはこんな時こそ人の心を満たすもの?、
僕にできることは全貯金を寄付?、物資を送る?、食料?電池?紙おむつ?、現地で行動?
東京は今のところ、なんだかんだ機能している。みんなの生活もいつも通りに見える。
でも、心の中は全然いつも通りじゃないんだと思う。
初めて見る光景や初めて経験すること。考えることがたくさんありすぎる。
地震や津波も恐ろしいが、同じくらい恐ろしいのは風評被害だという。
ここ数日は、何となく意図的にテレビやネットなどのメディアから離れていました。
それでも絶えず流れ続ける言葉と想いと情報。
このような状況が続いていく中で、自分も貴重な電気やインターネットの回線を使って、
こんな所に文章を書くかどうかも迷った。
でも、自分の気持ちを書いて誰かがそれを読んで、そうだよねとか、その気持ちわかるよと、
ほっとしたり励まされたりということもあるかもしれない。
だから、今は人それぞれの判断で書けばいいと思う。
人の持つ言葉の力は本当に大きい。
僕はここ数日、電車や家や会社の昼休みに小説を読んでいる。
本棚に眠っていた昔買った文庫本で、好きだったものを読み返している。
でもストーリーは全然入ってこなくて、それはたぶんどうでもよくて、
ただきれいな文体や言葉のリズムを目で追うだけで、それは美しい写真や風景を見るのに似ている。
本当に人はさまざまだなあと思う。
世の中に、自分と似た人がいたらいいなと思う。
まわりの人に影響されてすぐ感傷的になってしまう人。
落ち着いているようで、心はどこか不安定な人。
善意の中にどこか偽善を感じてしまう人。
でも不謹慎だなと自虐してしまう人。
言葉とは裏腹な世の中の仕組みのおかしさに目を向けてしまう人。
ひとり夜中に本を眺めている人。
ひとり夜中にぼんやりしている人。
地震や原発事故があるから、もうそれどころじゃないけれど、
今年の春は、あまりかまってもらえなくて可哀想だなと思っている人。
こんなことがなければ、東京にも、もうすぐそこまで春が来ていることに
誰もが気づき、喜んだはずなのに。
僕だけでなく、日本中の多くの人の生活が、あの日を境に大きく変わった。
できるだけ冷静に、平静を装って普段と同じ生活をと心がけていても、
やっぱり少なからず誰もが混乱しているし、不安を感じているのはわかる。
それは明日の停電や通勤電車とか身近なことだったり、もっと先の生活のことだったりする。
そして誰もが、これから先、元通りの世界が完全に戻ってくることはないと何となくわかっている。
もちろん自分自身もそうだけど、本当に色んなことを考える。
いい意味でも悪い意味でも、「人間って...」とこの10日ほどで何度思ったかわからない。
今回の震災との物理的な距離と、感じ方とかの気持ち的な距離の両方によって、
同じ東京で昨日、今日、明日を過ごしている人々の気持ちが、それぞれ少しずつ違っていて、
そういうのを見たり聞いたりしていると、正直かなり気が塞いでしまう。
また、これまで色んな情報が錯綜してきたし、色んな人が色んな自分の見解と意見を述べている。
おそらくもう少ししたらさらなる不満や文句があふれ、責任とエゴの押し付け合いが始まる。
その中には真実もあるだろうし、まちがいもそれ以上に多くあるのだと思う。
この1週間ばかりで僕も精神的に相当疲弊してきているし、毎日の現実的な混乱もあるのだが、
少なからず仕事やそれ以外の生活でも相当ストレスが溜まってきている。
でも被災地の方々に比べればまだマシだろと思いながら、あの日以来一応普通に生きています。
それは街をゆく人もみんな一緒。
ただ、「日本、みんなでがんばろう!」という進むべき方向はわかっていながら、
各人の心の中にじわじわと溜まっていく、違和感と「??」(ハテナ)。。。
原発や電力についてのデマと真実?、流通や株価、為替市場の危機?、停電?夏は扇風機?、
ガソリンの高騰と不足?、買いだめされたスーパーの棚について?、どうでもいいつぶやき?、
個人の欲望を満たすしか脳がない恥ずべき人々?、もっと大変な被災地の人々?、
ダイヤの不安定による通勤の混乱?、会社の後手後手の対応?、こんな時に娯楽ですか?、
電気使ってコンサートやお芝居?、芸術文化?、ブランドの洋服買ってる場合じゃない?
こんな時にパチンコ?野球?居酒屋?、でもパチンコ屋の定員もお給料あっての生活よね?
だって外食産業はどうなる?、アートはこんな時こそ人の心を満たすもの?、
僕にできることは全貯金を寄付?、物資を送る?、食料?電池?紙おむつ?、現地で行動?
東京は今のところ、なんだかんだ機能している。みんなの生活もいつも通りに見える。
でも、心の中は全然いつも通りじゃないんだと思う。
初めて見る光景や初めて経験すること。考えることがたくさんありすぎる。
地震や津波も恐ろしいが、同じくらい恐ろしいのは風評被害だという。
ここ数日は、何となく意図的にテレビやネットなどのメディアから離れていました。
それでも絶えず流れ続ける言葉と想いと情報。
このような状況が続いていく中で、自分も貴重な電気やインターネットの回線を使って、
こんな所に文章を書くかどうかも迷った。
でも、自分の気持ちを書いて誰かがそれを読んで、そうだよねとか、その気持ちわかるよと、
ほっとしたり励まされたりということもあるかもしれない。
だから、今は人それぞれの判断で書けばいいと思う。
人の持つ言葉の力は本当に大きい。
僕はここ数日、電車や家や会社の昼休みに小説を読んでいる。
本棚に眠っていた昔買った文庫本で、好きだったものを読み返している。
でもストーリーは全然入ってこなくて、それはたぶんどうでもよくて、
ただきれいな文体や言葉のリズムを目で追うだけで、それは美しい写真や風景を見るのに似ている。
本当に人はさまざまだなあと思う。
世の中に、自分と似た人がいたらいいなと思う。
まわりの人に影響されてすぐ感傷的になってしまう人。
落ち着いているようで、心はどこか不安定な人。
善意の中にどこか偽善を感じてしまう人。
でも不謹慎だなと自虐してしまう人。
言葉とは裏腹な世の中の仕組みのおかしさに目を向けてしまう人。
ひとり夜中に本を眺めている人。
ひとり夜中にぼんやりしている人。
地震や原発事故があるから、もうそれどころじゃないけれど、
今年の春は、あまりかまってもらえなくて可哀想だなと思っている人。
こんなことがなければ、東京にも、もうすぐそこまで春が来ていることに
誰もが気づき、喜んだはずなのに。