〇「砂漠のキツネ」が眠る地・ウルム

思い起こせば私がドイツに本格的に興味を持つきっかけを与えてくれたのはこの人に他なりません。だからこそ私は誰よりもこの人には多大なる感謝しています。中学生の時に本で知った時には「アフリカで活躍したドイツ軍人がいたのか!」という驚きがあったのが最初。そこから色々調べていくうちにWWⅡ欧州戦にどっぷりはまっていったのが現在の私です(笑)
エルヴィン・ヨハネス・オイゲン・ロンメル陸軍元帥
第1・2次世界大戦で活躍した勇将、「砂漠のキツネ」としてドイツでの国民的英雄、そして敵国からも称賛される騎士道精神の持ち主。アフリカでの華々しい活躍と最期はヒトラー暗殺への関与を疑われ、家族の安全と引き換えに自害に追い込まれた悲劇性(そしてその死は「国葬」として散々利用された)が今でも多くの人間の心をつかんで離さずにいられません。私もこの人の墓所をいつか訪れてみたいというのがドイツへ行きたいという行動の原動力でした。一昔前でしたら、流石に異国の墓所(有名人で大々的に公開されている場合を除き)を探すのは困難でしたが、現在のネット社会では既に訪れた方たちの記録を辿っていくことができました。改めてこの場で御礼を述べさせていただきます。
 
〇ウルムの街にて
前日、日も暮れた中でウルムに到着した私でしたが、地図を用意していたにも関わらず宿がどこか分からず、迷う失態を演じました。幸い近所の住民らしきおばあちゃんにめぐり合い、ここで初日で紹介した「ポケトーク」がようやく効力を発揮(ただし私からの一方通行でおばあちゃんからのご教示は私が生で聞き取ることになりましたが)、それでもこういう時の会話は万国共通。すぐに分かり、深く感謝の言葉を述べてようやくたどり着きました。
「ホテルウルマーシュトゥーベン」この旅行で私が予約した宿で一番高いホテルでしたが、一番くつろげたホテルでもありました。
今回は8時にチェックアウト
ウルム中央駅(改装工事中)
今回の目的地は普通列車だけのローカル線でしたので、前日のような遅延騒動も無く定刻通り出発です。
 

ウルムHbf(中央駅)から3駅ほど進んだ HERRLINGEN(ヘルリンゲン)駅にて下車。静かな町の玄関口です。

ここヘルリンゲンはロンメルとその家族が最後に居を構えた町であります。

さてここまで来た私でしたが、ここで迂闊さを呪いたくなりました。
墓に備える花を用意していなかった(愕然)
流石に故人の墓を詣でるのにこれは失礼。もっともまだ9時前であり、流石にこの早い時間に空いている店はない。急遽駅前の「Netto」というスーパーに行きました。(あとついでにまだ食していなかった朝食も)訪れたこのスーパーは結構なんでも揃っていて花も置いていました。もっとも万事、冠婚葬祭マナーに疎いうえに東洋人である私にはどれが西洋のお墓に相応しい花がてんでさっぱりわからず、「一応それっぽい」花をチョイスして購入。スーパーだと余り会話せずに済むのでありがたい。今度からスーパーでものを買うようにしようと結構利便性に気付きました。しかし本当これ大丈夫だろうか?元帥、もし非礼にあたりましたら本当に謝罪致します。
 
事前に訪問した方の記録を頼りに進みます。駅前のロータリーを渡ってすぐのこの通りを左折
どうみても民家の敷地ですが・・・記録ではこの中を突っ切っていったら公園となっていったので進みます。
公園に入ったらあとは一番高い塔の建物が教会ということであそこ目指して進みます。よく考えたら今はサマータイムで今は丁度朝8時くらいなんだよな。
間違いない、ここがその教会です。さてその敷地には立派な石の墓所が立ち並びますが、元帥の墓は何処?1周していくうちに「そこ」が見えてきました。
墓地の一角に緑豊かなエリアがあり、見間違えようのない鉄十字のマーク。間違いない、ロンメル元帥の墓所です。まず花を供え、英雄の墓に対して黙祷を捧げてから、写真撮影。右側の墓碑はルーツィエ夫人のものです。
元帥閣下に対して敬礼

周囲の墓地が石製野なのに対して、ロンメル元帥の墓碑は以外にも木製であり、逆にそれが質素倹約を旨とする元帥らしいものです。

名前と最終階級(元帥)、そしてダイヤモンド剣付柏葉騎士鉄十字章とプール・ル・メリート章が彫られています。

 

そしてその傍らには栄光と名声を獲得させた地であるアフリカ戦線のレリーフが。
そしてドイツ・アフリカ軍団(DAK)のマークも飾られていました。
周囲は閑静な住宅街であり、故人が眠る地としてはこれ以上ないほど最適のものでしょう。今もこうして花が常に飾られている所に元帥が今も英雄であり続ける証を感じました。これで肩の荷が一つ降ろすことができたという安堵感とともに10数分を墓所の前で見つめ、追悼します。
さてこの後はウルムの中心街まで戻ります。
 
〇ウルム観光日記
ヴァーデン=ヴュルテンベルク州とバイエルン州の境界の間を流れるヨーロッパ有数の河川・ドナウ川に面したウルムの街。かのアルバート・アインシュタインの出身地であり、今も町には彼の記念碑が建てられています。
オーストリア、ハンガリー、ルーマニアと東欧を流れる欧州有数の河川・ドナウ川
川の向こうはバイエルン州となります。
この河川沿いに建っているのがウルムの城壁(Stadtmauer)で欧州や中国では「城」といえば「都市」そのものでした。「都市」そのものを囲うように城壁が築かれ、領主や騎士、住民にとっては頼みの綱でありました。かつてナポレオンはドイツへ侵攻した時に、ここでオーストリア軍を包囲下におき、文字通り「城下の盟」をなさしめ、この時に城壁も低くされたといわれています。
昔ながらの城壁入口
今では城壁は雰囲気を残して散策路となっていました。
城壁の前は水路、「水堀」の趣が強いですな。
突き出た部分が「稜堡」です。
あの先に見えている高い塔が「肉屋の塔(Metzgerturm)」です。
城壁は1キロ以上をドナウ川沿いを添うように築かれていました。それでは上へと登っていきます。
城壁の上は緑豊かな空間、さてここからウルム最大の見所を訪れることにします。もうどこから見てもすぐにその場所が一目で分かるランドマーク
ウルムの大聖堂
この町一の名所であり、その尖塔は地球上でもっとも高いと言われる161.6メートル
1377年に着工され、完成までに500年以上もの歳月を費やしたと言われる代物です。
近くまでくると余りの威容に圧倒されてしまいました。
内部は無料で開放されており、荘厳な空間というものが実在するのだなと実感しました。
 
 
 
最後に正面から見た大聖堂を撮影。
数時間ウルムの街を散策して13時にウルム中央駅まで戻ります。

ここからは元のフランクフルトまで一度戻り、北ドイツまで5時間近くの列車旅になります。

ここで5時間近くの特急旅
実はここだけ流石に長時間だったので指定席を予約しておきました。6人掛けのコンパートメント式の席です。
 
 
 
18時今度は10分程度の遅れ(結局遅れるのね・・・)で大きな混乱も無く、ハノーファー中央駅まで到着。
ホテルで一泊します。これにて3日目の旅は終了。
 
「Ein Schelm in der Ulmer Stadtmauer
(ウルムの城壁に狼煙が一本)・・・・」