春はまだ遠かった東北の輪行旅 DAY1 その1 | 毎日輪行日記

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リカンベントトライクGekko fxでの輪行の旅の記録

 三月は暖かくなるという予報とつい長期の休みが取れたのを利用して東北へと足を伸ばしました。

 早朝、最寄りのJRの駅へと向かいます。いつもより早い時間に出てきました。いつも通りのルートで新大阪駅からまずは東京へと向かいます。

 15年ぶりくらいに東京にきました。ただここは乗り換えです。山形新幹線に乗り換えます。新幹線から新幹線への乗り換えははじめてでしたので乗り換え時間を30分取り無事乗り換えることができました。

 山形駅到着。初山形です。大阪から6時間もかかりました。ホームにずっと自分が胸に抱いていたイメージのキャラクターが。

 山形県を地図で見るたびに横顔にしかみえんな、と思っていました。

 山形駅をでて、自転車を展開し、まずは荷物を駅近くの宿に荷物を預けます。すぐに霞城こと山形城に向かいたいところですが、最上義光の墓所を先に目指します。

 自分の中の最上義光のイメージはどうしても昔みた大河ドラマ独眼竜政宗のイメージが強く、どちらかというと(主人公と比較しての)悪者、ライバル、狡猾さを思い浮かべてしますますが、実際は違うようです。父義守との対立、豊臣政権と徳川幕府との関係性、とくに娘の駒姫の一件。そしてその死後最上騒動など。知れば知るほど一筋縄ではいかない苦難に満ちた生涯を送ったことが分かります。

 求められてか、それとも権力者に近づくためか、義光は娘駒姫を豊臣秀次に嫁するために京に送り出します。ところが実子を得て邪魔になった秀次は秀吉より死を賜ります。駒姫はまだ京の屋敷に着いたばかりでしたが、秀次の一族として刑場に送られてしまいます。父義光はあらゆる手立てを講じて助命嘆願に駆けずり回りますが、助命されるとなった命令が届くよりも前に駒姫は処刑されてしまいます。遺骸を引き取ることも叶わなかったといいます。

 刑場となった三条河原にほど近い京都の瑞泉寺、秀次の供養塔の横に、

 駒姫の名が。その後も義光が親豊臣派であろうはずもなく家康に近づいていくことになります。

 さて、義光公にあいさつを済ませて霞城こと山形城へと向かいます。本丸は残念ながら三月下旬まで閉鎖中とのことですので近づけず、それ以外の城内をうろうろするにとどめて勇ましい最上義光公像を撮影します。

 山形に着いてから何も食べずにいたので腹が減ってきました。昼飯を摂るのと長谷堂城跡へと向かうため城を後にします。