2011年もあと一時間ちょっと。
お陰様で、今年は色々と忙しくさせて頂いた一年になりました。

お店も昨日と今日で大掃除ひらめき電球
器具からマットレスから全て移動させて、ワックスかけて綺麗になりましたアップ


ちょっとしたトレーニングみたいなもんです(笑)

今年は父の死という大きな出来事がありましたが、来年はより自分を強く持てる一年に出来るよう精進していきたいと思います!!



11月29日午前3:05、父が亡くなりました。
75歳でした。

ここで書くことは誰かに見てもらいたいわけでも、何かを伝えたいわけでもありません。
ただ、書いておきたいと思うので書いています。
ごく個人的なことで、長いですし文章のまとまりもありませんので、読んでみようと思う方だけ読んで頂ければ幸いです。


今年の9月に入ったころ、父が2週間ほどせきが止まらず少し動いただけでも息切れがするということで、かかりつけのお医者さんで胸部レントゲンをとってきました。

その時点では肺炎ということでしたが、要精密検査ということで、総合病院にて細胞診検査の結果、「悪性」と診断されました。

ステージⅣ・・末期の肺がんということでした。
9月14日のことです。

年齢や病気の進行状況を考えると手術や治療は不可であるとのことでした。
この時点でのドクターによる余命の予想は10カ月。

父にはがんであることは伝えましたが、末期であることや余命については告知はしませんでした。

本人の希望で、すぐに入院はせず、動ける間は今まで通りの生活を送りたいとのことでしたので、しばらくは通院とせき止めの薬のみで過ごしていました。

父は自営で鉄工所をしており、70を超えてはいますが仕事を生き甲斐にしていましたので、明石から職場のある加古川まで電車と自転車で通い続けました。

まともに呼吸もできない状態ですから、本当に力を振り絞って通勤し仕事をしていたと思います。
その姿を見ているのは本当につらく、父のことでこんなにも涙が出るのかと思うぐらい、夜布団に入ると知らず知らずに泣いている日がよくありました。

おそらく母も一緒だったと思います。

でもやはりその状態は長く続けられるものではなく、10月下旬ごろ自転車がしんどいからということで、電動アシスト自転車を買ったのですが、その直後に入院となりました。

結局、父は楽しみにしていたその自転車に乗ることはかなわず、後に母が病院へのお見舞いに通うために使われることになりました。

入院しても治療という治療はすることができないので、肺にたまった水を抜くことや、酸素吸入を行うぐらいです。

僕は今の仕事をする前は医療機器メーカーに勤めていたのですが、この時酸素吸入で父が使っていたものがその会社の製品で、なんとなく不思議な縁を感じたものです。

父の治療に関しては家族で延命治療を行わないと決めており、本人にも状況が悪化した場合には延命は行わずなるべく苦痛の少ない方法をとると話していましたので、2週間ほど最初の病院に入院したのち、家の近所のホスピス的な役割のある病院に転院しました。

入院すると体を動かさなくなるので、この頃には体力も大分落ち、段々と食事も自分でとることが難しくなってきたので点滴による栄養投与になりました。

10か月といわれていた余命もすでに年内持つかどうか・・になっていました。

症状は一進一退を繰り返していたのですが、11月14日18時ごろ、
父が急変した・・お前の到着を待っていると連絡が入ったので、すぐに病院へ向かいました。

病院へ着くなり、ドクターから急変状態を抑えるために沈静化させる薬を投与するので承諾をしてほしいと言われました。

そして沈静化した後、再び目が覚めることはない可能性が大きいとのことでした。
父も苦しいので何とかしてほしいと訴えていて、その意味も本人は理解していると。

以前から延命は行わないと決めていたので、承諾し父のもとへ向かうと、激しい呼吸でのたうちまわるように苦しんでいました。

それを見たとたん、今まで抑えようとしていた感情があふれ出すかのように涙が止まらなくなり、声も出せず、ただ父の横にしゃがんで手を握り締めることしか出来ませんでした。

父の手を握るなんておそらく小学生低学年のころ以来でしょうか。
本当に30年以上ぶりのことだったと思います。

父はもがきながらも、ベッドサイドの柵を握り締め、一生懸命目を開き僕の目を見て「泣くな」と振りしぼるような声で言いました。

自分のことで精一杯のはずなのに。

僕は生れて初めて父に「今までありがとう」と言いました。
まともな声は出せなかったので、父に聞こえたかどうかは分かりません。

しばらくして注射の準備が整って、ドクターが父に最期の確認をとりました。
「もう二度と目が覚めなくなるかもしれないけど、楽になる注射を打つよ」

でも、そこで父の口から出た言葉は、、
「注射はいらん!」
「まだくたばってたまるか!」
でした。


そうとう長い時間苦しみましたが、1~2日もすると急変した時が嘘のように状態がみるみる良くなって行きました。

心拍も呼吸も落ち着き、少しなら会話もできるぐらいになったのです。
調子のよい時には少しですが口から食事も摂れるようになりました。

急変した時のこともちゃんと覚えていて、本当に苦しかったと言いました。
もう二度とあんな思いはしたくないと。

急変したきっかけが、おそらく適切ではない新しい薬の投与によるものだったので、それから父は新しい薬は全て疑い拒むようにもなりました。
(もし、父の病気が治る病気ならすぐに転院させたと思います。)

ベッドサイドの柵を強く握っていたのは苦しいからだけではなくて、何かを握っていないとどこかへ流されてしまうと感じたからだと教えてくれました。
まさしく三途の川にのまれまいと必死でしがみつき、こっちへ戻ってきてくれたのです。

ただ、僕から見るとこれだけいい状態であってもドクターの判断では11月いっぱい持つかどうかとのことでした。
そしてこのことをドクターは本人に話していました。

何回もしつこく聞かれたからやむなく教えたと。

それからは父は毎日のように11月30日までの日数を指折り数えていました。
「11月末まであと●日、これを乗り越えたらもう少し生きられるかな」
とよく言っていました。

「何いっとんねん!年も越せるわい!」
と言って作り笑いをしても涙が溢れ出そうとしてきました。

僕は仕事帰りに毎日父の所に行き、調子がよければ食べられる物を食べさせ、薬を飲ませひと段落したら帰るという日々を送っていました。
父は夜になると不安もあってなかなか寝付けず心もとないらしく、僕が来るのを毎日楽しみにしていてくれました。

僕自身40年間生きてきて、こんなに父と接したのは初めてです。
どこでも男の親子というのは大差ないとは思いますが、思春期の反抗期の流れそのままに、この何十年も父とは会話らしい会話をしたことはありませんし、朝食や夕食の時間も合わないので、まともに顔を合わすこともありませんでした。

こんなに父の顔を見て、一挙手一投足に気を配り世話をすることがあるなんて考えてもいませんでした。
体はしんどかったのかもしれないですが、不思議とその時間がとてもうれしく心地よいものでしたので疲れは感じませんでした。

父は眠りについてしばらくすると、両方の手を上にあげて動かしながらよく寝言を言っていました。
じっと聞くと、溶接をしたり職人さんに仕事の指示を出しているようでした。
この頃でもまだやはり仕事に対する情熱や責任を強く持っていたのだと思います。
もう一度職場に連れて行ってあげられたら・・と何度も考えました。

いつものように仕事帰りに病院へ寄ったある日、父はとても具合が悪そうで、食事はもちろん会話もままならず、大きく体を動かして呼吸するので精一杯でした。
そんな父を置いて病院からは去りがたく、結局催眠導入剤を飲ませ、午前1時ごろ病院を出ました。

その翌日(11月29日)、僕はまたいつものように21時ごろ病院へ行きました。
そうすると、看護師さんが僕に、
「お父さんが、『昨日は息子に遅くまで居させてしまったから、今日は息子が早く帰られるように22時頃には眠れるように睡眠剤を入れてほしい』って言ってきたよ」
と話してくれました。

その日も父はとても呼吸がつらそうで、本当ならもっと早い時間に睡眠剤を入れた方が楽だったはずなんですが、毎日楽しみにしている僕の顔を見てから眠りたかったようです。
そのうえで早い時間に帰らせてあげられるように22時に・・・という父の思いでした。

これは父が亡くなる数時間前のことでした。
自分のことでいっぱいいっぱいのはずなのに、僕のことを考えてくれていたのです。

そして22時頃睡眠剤を入れ始めたのですが、一向に父の様子が落ち着きません。
呼吸はどんどん荒くなり、SPO2(血中の酸素飽和度)の値も徐々に下がって行き始めました。

ドクターの判断は2~3日は大丈夫ということでしたが、しばらく様子を見た看護師さんは今夜がヤマかもしれないと話してくれたので、すぐに母と父の弟夫婦を呼び、その日は病院に泊まることにしました。

それから数時間状態はなかなか安定せず、ついに午前2時過ぎさらに状態が悪化し始めました。
全身を大きく震わせて呼吸をしても体内の酸素飽和度はどんどん下がっていきます。
ベッドのシーツ全体がびしょびしょになるほどの脂汗をかき、目を閉じ口を大きく開き、顔を大きくゆがませて・・・
何もしてあげられず、ただ見ている事しかできないのが本当につらい時間でした。

「むっちゃ苦しい」

もがき苦しみながら父が一言振り絞るように言いました。

僕は父の顔の前にしゃがみ、手を握って
「もうすぐ薬が効いて楽になるからな」
と言いました。

そうしているうちに今度は不整脈が出始め、さらに父は苦しそうにしていたのですが、僕が前にいるのが分かっていたのかいなかったのか・・・
ふと目を開けて僕の目をじっと見たのです。

力のない半開きのうるんだ目でじーっと僕の目を見ました。

焦点が合っていたのかどうか分かりませんが、
何かを訴えるような、
何かを伝えたいような、
そんな気がしました。

僕はもう我慢が出来なくなって、
「もう頑張らなくていいで、もう十分頑張ってくれた!」
と言いました。

母も反対の手を握り、
「お父さん、今までありがとう!」
と号泣しながら声をかけました。

父もまた強く手を握り返していたそうです。

父の弟が
「みんなおるぞ!分かってるか?」
というと、軽くうなずきました。

そしてしばらくすると、父の激しい呼吸は小さく浅くなり、ほぼ呼吸の止まった状態になりました。

僕には父は自ら努力呼吸をやめたのだと感じられました。

呼吸が止まってしばらくすると心拍数が60・・50・・40・・30・・20・・10・・と落ちていき、最後にはまさしくドラマのワンシーンであるのと同じように、心電図モニターのラインが一本線になり、ピーっという平坦な音になっていました。

父は僕と母の手を握ったまま逝きました。
おそらく最後の最期まで意識ははっきりしていたと思います。

父は入院中も腕時計を肌身離さずしていました。
最初は手首で止まっていた腕時計も、その時には肘まで来るぐらい腕は細くなっていました。

持ち主の心臓が止まっているのに、なお秒針を刻み続ける時計を見て、
「もう動かなくていいのに」
と思いました。

その腕時計は今僕の右腕にあります。

父も僕も左利きなので、腕時計は右腕です。
僕には少し大きく、それが逆に父のたくましさを感じさせてくれます。
日にちも時間もずれてはいますが、49日ぐらいまではつけていたいなぁと思っています。

肺がんと診断されてからわずか2ヶ月ちょっとの命でしたが、一生懸命生きてくれたと思います。
自分の命があと数日と分かっていてなお、周りの人や僕のことを最期まで気づかってくれて、自暴自棄にならず、ひたすら生きようと頑張ってくれました。

75年間、めいっぱい生きて、めいっぱい働き、家族を支えてくれました。

父が亡くなって、悲しくさびしい気持ちはいっぱいですが、半分はほっとした気持ちもあります。
父が苦しむ姿や、みるみるやつれていく姿を見るのは本当につらかったのです。

幸いにも、最期を僕たち家族が看取ることができた、一緒にいることができたので、それは本当によかったと思っています。


父の顔や言葉、手のぬくもり・・
最期に僕を見た訴えかけるような眼・・
はっきりと覚えている間にこれを書いておきたかったんです。

40年間生きてきて、父との思い出らしい思い出ははっきりとは浮かんできません。
だからこそ、父と過ごしたこの数週間の中身の濃い時間を忘れたくなくて書きました。

葬儀は家族葬で執り行いましたが、是非顔が見たいと、仕事関係の方が大勢来て下さいました。
父がどれだけ一所懸命働き、多くの人に慕われていたのか見せつけられた思いです。

誇らしくもあり、自分ももっとしっかりせねばと思いました。


おとん、ほんまにほんまに今までありがとうございました!!!




これを見て、前を見て歩いていきます。



http://www.youtube.com/watch?v=SRVFNGVnJWY&sns=em
昨日は神戸マラソンでした歩く

風は強かったみたいですが、前日の雨が嘘のようにいい天気でよかったですね太陽
うちのお客さんや友達など参加していますが、まだ全員に結果を聞いていないので、みんな完走できたか聞くのが楽しみですぴかっ!


ところで、先日セミナーに行ってきました勉強
行先はなんとわが母校!!
とあるトレーナーの試み・・・
大学の時、教員免許の取得をするために教育実習で行って以来、実に約20年ぶりの母校ですあせ
新しくなった部分もありますが、学校の雰囲気や校舎の感じはほぼ当時のままで懐かしかったですやじるし
とあるトレーナーの試み・・・
部活動も頑張っているみたいですが・・・
何より驚いたのは、「ライフル射撃」や「フェンシング」「水球」など、当時はなかったクラブが出来ていたことですええ!!
本当にビックリですびっくり!!
しかも全国大会までいくほど強いとは↑


とあるトレーナーの試み・・・
部活帰りによく寄った、学校の近くの駄菓子屋さんはもう閉めてしまっているようで少し残念でしたがーん

今回のセミナーに参加していただいたのは、選手でもなく、運動関係の指導者でもなく、なんと高校のPTAの役員さん方という今までで初めての経験でとても緊張しましたブルブル...(笑)

でも皆さんとても熱心に話を聞いて下さり、運動の実技の時間もおそらく普段あまり動かされていないであろう体を(失礼ごめんなさい(笑))一生懸命動かされていましたガッツ

本当に久々の母校で、すごく懐かしく自分でも不思議なぐらいうれしい気持ちになりました音符
セミナーを企画して下さった方、参加して下さった方、いい機会を作っていただきありがとうございましたイケてる
試合ですアップ

同じ控室にあのクラウス選手もひらめき電球
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試合直前ですが、いい緊張感で落ち着いています
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さぁ、今日はK-1本番ですひらめき電球

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ただ今リングチェック中グッド!
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さて、ついに今週日曜に大阪でK-1 MAX のトーナメントが行われますボクシング

1日でトーナメントの優勝者を決めてしまう「1Dayトーナメント」という過酷なものです冷


横山剛選手 もリザーバーとして出場する為、当日はセコンド/トレーナーとしてサポートしてきますガッツ

有名選手も多数出場しますし、大阪でK-1があるというのも珍しいので、お時間のある方は是非会場まで来て応援しちゃってくださいねやじるし

とあるトレーナーの試み・・・

「K-1 WORLD MAX 2011~-70kg Japan Tournament FINAL~」
2011年9月25日(日)大阪府立体育会館第一競技場
開場16:00 開始17:00


<全対戦カード>

▼第11試合 -70kg Japan Tournament FINAL 決勝戦 3分3R延長2R
準決勝の勝者
vs
準決勝の勝者

▼第10試合 スーパーファイト 3分3R延長1R 63kg契約
久保優太(D.C.LAB/K-1 WORLD MAX 2011 -63kg Japan Tournament優勝)
vs
アンドレ・ブルール(ドイツ/IKBOヨーロッパ王者&WKNドイツ王者&WKAドイツ王者&WPKC世界王者)

▼第9試合 スーパーファイト 3分3R延長1R 63kg契約
才賀紀左衛門(MAD MAX)
vs
ヴァルドリン・ヴァトニカイ(アルバニア/チーム・スーパープロ/WFCAヨーロッパ王者2009、コンバットリーグ世界王者2010)

▼第8試合 -70kg Japan Tournament 準決勝 3分3R延長1R
アルバート・クラウスvs名城裕司の勝者
vs
中島弘貴vs森田崇文の勝者

▼第7試合 -70kg Japan Tournament 準決勝 3分3R延長1R
山本優弥vs松倉信太郎の勝者
vs
城戸康裕vs健太の勝者

▼第6試合 スーパーファイト 3分3R延長1R 78kg契約
長島☆自演乙☆雄一郎(魁塾/K-1 WORLD MAX 2010 -70kg Japan Tournament王者)
vs
拳月(強者)

▼第5試合 -70kg Japan Tournament 1回戦 3分3R延長1R
城戸康裕(谷山/K-1 WORLD MAX 2008 -70kg Japan Tournament王者)
vs
健太(E.S.G./NJKFスーパーウェルター級王者、初代Krush-70kg王者)

▼第4試合 -70kg Japan Tournament 1回戦 3分3R延長1R
山本優弥(Booch Beat/K-1 WORLD MAX 2009 -70kg Japan Tournament第3位)
vs
松倉信太郎(バンゲリングベイ・スピリット/K-1甲子園2009 70kg級日本一決定トーナメント優勝)

▼第3試合 -70kg Japan Tournament 1回戦 3分3R延長1R
中島弘貴(バンゲリングベイ・スピリット/2010 -70kg Japan Tournament準優勝)
vs
森田崇文(レーング東中野/第3代RISEミドル級王者)

▼第2試合 -70kg Japan Tournament 1回戦 3分3R延長1R
アルバート・クラウス(オランダ/チーム スーパー・プロ/K-1 WORLD MAX 2002王者)
vs
名城裕司(国士会館/WMFJ日本アマチュアムエタイ王者)

▼第1試合 -70kg Japan Tournament リザーブファイト 3分3R延長1R
横山 剛(CRAZY WOLF/CMA KPWキックライト級王者)
vs
YOSHI(MAD MAX)

▼オープニングファイト第3試合 K-1ルール 3分3R 63kg契約
巨輝(TARGET/元NKBフェザー&ライト級王者)
vs
北山高与志(BLA-FREY/元J-NETWORK日本ウェルター級&前WMAF世界同級王者)

▼オープニングファイト第2試合 K-1ルール 3分3R 63kg契約
憂也(魁塾)
vs
木村旭洋(伊原道場)

▼オープニングファイト第1試合 K-1ルール 3分3R 63kg契約
泰斗(GET OVER)
vs
階勇弥(NJKF・健心塾)

横山剛オフィシャルブログ「狂狼のどうでもええブログ」Powered by Ameba-DSCF1001.jpg

縁あって、10月よりカルチャーセンターで講座を持たせて頂く事になりましたぴかっ!

(第2・第4土曜の10:30~11:40)

とあるトレーナーの試み・・・


画像にあります通り、9月24日10:30より無料体験が出来ますヤッタ!

内容はセルフ(自己)整体とマッサージです。


セルフ整体は、自分で体のバランスを整えていく方法で、

ヨガの整体版みたいなものだと思ってくださいヨガ


マッサージは主にオイルマッサージで、

これも自分で自分をマッサージする方法ですマッサージ


整体では関節を正しい位置に戻したり筋肉のバランスを整えます。

マッサージでは固まった筋肉をほぐし、むくみや疲労を取り除きます。


この両方をすることで、体の不調やスタイルの改善などが可能になりますやじるし

まずは是非「無料体験講習会」にお越しくださいねイケてる


詳細はカルチャーセンターにお問い合わせくださいますようお願いします電話

今年は夏の始まりも早かったですが、夏の終わりも早かったですねあせ

一気に涼しくなりましたが、まだまだ湿度も高く水分補給は真夏同様とても大切ですぴかっ!


前回までは、失った水分や塩分を補充し、体調を崩さないようにする為の水分補給を考えてきました。メモ


しかし今回は、体調を崩さない為のものではなく、さらに一歩進んだ水分補給・・・

身体パフォーマンスをUPさせるためのものについて考えていきたいと思いますひらめき☆


とは言っても、今までのお話と全く違うことをするわけではありません。
今までのお話はそのままで、そこにいくつかのものをプラスするということですそうだ!


競技成績を向上させたいアスリートは日々厳しい練習を重ねています。
そういった練習でより質の高いトレーニングをするためにも、試合本番で持っている力を100%出し切るためにも、水分補給というのは『水分』を『補給』する意味以上のものが必要ですぴかっ!


具体的にはアミノ酸と糖質ですやじるし


まず、アミノ酸には20種類あるわけですが、特にBCAA(バリン・ロイシン・イソロイシン)やグルタミンといったものは、筋たんぱくの分解を防ぎ速やかにエネルギー源として使われる為、長時間の運動時には体の受けるダメージを低減させてくれます矢印
持久力の向上が望め、疲労からの回復を早める効果も期待できますヤッタ!


また、中枢神経系の疲労も軽減する可能性がないこともないと(笑)言われてもいますので、精神的な疲労を軽減し、集中力のアップも期待できるかもしれません。(これには反対派の意見も多数ありますが、だからといってマイナスになることはありません)


アミノ酸の摂取は、運動開始前から運動終了後まで常に血中のアミノ酸濃度を高く保っておくべきですから、運動前・中・後と合わせて20g(20000mg)前後をタップリと摂取するのが効果的だと思われます。


最近では甘くておいしいアミノ酸サプリ(アミノ酸飲料ではないですよ)が多く出回っていますし、毎回ペットボトルを買うよりははるかに安くつきますから、そういったものを利用しない手はないでしょうイケてる


次に糖質です。


よくある勘違いですが、糖質というのは糖分という意味ではないですよ。
炭水化物から食物繊維を除いたものが『糖質』ですポイント2


糖質は体内でグリコーゲンというエネルギーとして使われますカルシファー
グリコーゲンは体内に大量に保存しておくことは出来ないので、高強度/長時間の運動時には補給しなければなりません。


トレーニングや試合前に必要量を補給しておくことで体のエネルギーを満たしておけます。
また、エネルギーが減ってきたころにも補給してあげることでスタミナ切れを予防できます。
さらにトレーニング後に補給することで、失ったグリコーゲンを速やかに筋肉や肝臓に貯蔵させることが出来ますガッツ


摂取する糖質の量は、食事との兼ね合いや活動で消費した量にもよりますので一概には言えませんが、4~10g程度/体重1kgあたりを運動前・中・後で摂取するのが望ましいと思います。


また、摂取する飲料の糖濃度は吸収速度(胃の通過速度)に影響を与えますので、運動中に飲むものは2~8%の範囲内程度で調整するのがいいと思いますok


あと、運動前に摂取するものにはGI値への考慮も必要になります目
GI値とはグリセミックインデックスの略で、血糖値のあがりやすさを示します。


運動前にGI値の高いものを摂取すると、場合によってはインスリンショックを引き起こしますので、吸収は早いがインスリンの急激な分泌を引き起こさない類の糖質が望ましいのですグッド!


このように糖質に関して細かく話すととても長くなるので、パフォーマンスアップに興味がある人はBCCのトレーニングテキスト を読んでみてください勉強


今回はアスリートなど競技パフォーマンスやスタミナのアップが求められる状況における理想の水分補給について書きましたが、これはやはり抽象的なことしか書けません悩


なぜなら、具体的な量やタイミングは競技によっても異なりますし、各選手の体格や体質などによっても異なるからです。
万人にピッタリの処方はないのですショック!


自分にピッタリ最適化された処方を知りたい人は、お近くの(マシンインストラクターではなく)パーソナルトレーナーや、(運動生理学に詳しい)管理栄養士さんに聞いてみてくださいね耳


もちろん有料ではあると思いますが、聞いておいて十分価値のあるものだとは思います↑


では、水分補給を科学していくのはこのあたりにしておきたいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございますおじぎ

今回から実際の水分補給の仕方についてお話していきます勉強


前回書いたように、水分補給には大きく分けて4つのシチュエーションがありました。
今回はその中の最初の2つ。
つまり、日常生活における水分補給についてですひらめき☆

スポーツや力仕事などで大量の汗をかいていない場合を考えます。


まず、ほとんど外出もせず1日の大半を屋内で過ごすような時は、全く飲まないといった極端な場合は別として、特に水分補給というものを意識して行う必要はありませんグッド!


いくら夏で気温が高いといっても、何リットルも意識して水分を摂取していてはオシッコばかり出てしまいますオシッコ

スポーツドリンクのように糖分や塩分の含まれるものを意識して飲む必要もありません。
通常通り食事して、のどが渇いたら何かを飲むといった程度で十分ですok


もちろんたくさん水分を摂取しても問題はありませんが、その場合は糖分や塩分の過剰摂取にならないよう、お水やお茶などがいいともいますやじるし


次にスポーツなどをしたわけではないが、日中の大半を屋外で過ごし、ショッピングや散歩などでけっこう汗をかいた場合を考えますじっ


この場合は先ほどと違って、意識しての水分補給が必要です。
この暑い夏の屋外で過ごすということは、体温を下げる為にヒトは汗をかきます。
あまり汗をかかないという人でも、呼吸や不感蒸泄(皮膚による蒸散)で体の水分は奪われていきますあせ


ではこういう場合何を飲むのがいいのか?


TVなどでは水分とともに塩分を・・・
という声がよく聞こえますので、スポーツドリンクなどがいいのでしょうかん?


答えはお水ですぴかっ!


いくら汗をかくといっても、ショッピングや散歩などでは大量のしたたるほどの汗はかかないと思います。
肌が汗で常に湿っているような状態、服が汗ばんで湿っているような状態ではないでしょうか。


それぐらいの汗のかき方であれば、汗にはさほど塩分は含まれていませんので、あえて塩分を補給する必要はないのですok


日本人は世界の中でも比較的塩分摂取が多いといわれていますので、汗をかいてちょっと塩分を出してしまうぐらいでちょうどです。
そうすることで体内の塩分濃度が薄まり、ナトリウムとカリウムのバランスも改善されますヤッタ!


どれぐらい飲めばいいのか?


これはその時にかいた汗の量にもよるので数値で表現は出来ませんが、少量ずつこまめに飲むのが基本です。
がぶ飲みすると水分が胃を通過するのに時間がかかるため、結局体に水分が補給されるのに時間がかかってしまいますがーん


よく冷えた水を一回に付き150~200ml程度飲むのがいいでしょう↑
それでも体に吸収されるまでには15分程度かかりますから、理想はのどの渇きを感じる15分前に水分補給をするということです。
とても難しいですけどねカオ+汗(笑)


次回はいよいよ競技者向けの本格的な水分補給についてです。
この時期大量の汗をかく屋外労働をされている方にも当てはまります。


こういった場合の水分補給の失敗は大きな体調不良を招きますので注意が必要ですブルブル...

ではまた次回につづく