2018年に本屋大賞を受賞した本作。

辻村深月さんの作品の中でも特に人気が高く、当時僕の周りでも話題になっていたのを覚えています。

 

 

主人公、こころは中学に入りクラスメイトとの関係から学校に通えなくなってしまいます。親の不安も伝わり生きづらさを感じつつも、学校に通えるはずも無くなにをするでもなく過ごしていたある日、部屋の鏡が光り出します。

 

その先にはおとぎ話に出てくるようなお城とおおかみのお面を被った少女。

こころも含めて、それぞれの理由で学校に通っていない7人の中学生が集められていました。

城にはどんなものであれ一つ願いを叶えられる「願いの鍵」が隠されており、城は日中にのみ鏡を通じてくることができます。

 

戸惑う者、楽しむもの。鍵を積極的に探す者、探さない者。それぞれの受け止め方をしつつも、現実で息苦しさを感じる彼女たちは次第に現実とは離れた鏡の世界の中で関係を深めていきます。そんな中で大小さまざまな事件が起こり物語が展開していくのですが、あるきっかけを通じて7人の関係性は大きく変わっていき、クライマックスへと向かいます。

 

 

この作品の素晴らしい点は、何を置いてもストーリーの綺麗さにあると思います。読み終えて本を置いた時、つい「綺麗・・・」と呟いてしまったほど。

ストーリー自体前半から引き込まれるもので、ページを繰る手が止まりませんでしたが、その中でさりげなくひっかかりが散りばめられていきます。そして大きな転回があってからストーリーは一気に加速していき、終盤ではひっかかりが次々と回収され、驚きとともに爽やかさが与えられます。予想のつく展開と、全く予想のつかない部分のバランスも素晴らしいです。

 

また、ファンタジー世界と現実世界の繋がりについて。

自分が触れてきたファンタジー作品はどれも現実との繋がりがないか、あったとしても始まりと終わりくらいというものでした。

対して、本作はそれらと同じく現実とは直接影響する機会は少ないものの、常に現実世界が意識されるような位置にある印象を受けました。

朝から夕方の、"ふつう"の人が家にいない時間だけ行くことができる世界であるというのはもちろんですし、その時間中でも現実に生きる人々との繋がりが切れるわけでは無いというところや、実際にかがみの中へ行くかは本人の意思に委ねられているというところもそう感じさせるのでしょう。

 

 

そして、この作品が人気たり得る(であろう)理由について。

人間誰しも苦しみを抱えて生きている訳ですが、それを抱えきれない多感で未熟な中学生の心情あるいは行動・ことばを生々しく、それでいて物語がより面白くなるように描写することを通じて、われわれ読み手のこころの中へ手を伸ばしてきます。

読み進めていくと知らず知らずのうちに、彼女たちへの同情、あるいは共感とはまた違う形で自分の心が揺り動かされるのを感じます。

 

10代の人たちに人気が高いということを目にしましたが、こころ達に年が近い彼らだからこそ感じるものもあるのではないでしょうか(もちろん、物語として単純に面白いこともあるのでしょうが)。世代はもちろんですが、いま抱いている苦しみの大きさや質によっても受け止め方が変わる本なのかもしれませんね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2月の新刊です。

 

パッと見て惹かれるタイトルのこの本。

犬や猫にぬいぐるみ、皆さんもモフモフしたものが大好きでしょう。

見てよし、触ってよし。吸う人まで珍しくないようですが、なぜ我々はふわふわしたものを可愛いと感じるのでしょうか。

 

ひとことで言ってしまえば、”子孫を残すのに有利” だから。

詳しくは本書の12章をご覧いただきたいですが、我々の多くが可愛いと感じるであろうふわふわしていて、丸っこくて、小さいもの。主なもののひとつに赤ちゃんを挙げられます。

 

赤ちゃんは一人では生きられません。他のおとなの助けがなければ、遅かれ早かれ、死んでしまいます。野生の中では特にそうですね。

では、どうすれば助けてもらいやすくなるか。おとなに「保護したい」と思ってもらうようにするのは一つの答えになります。

そこで、赤ちゃんに対して可愛さを感じ積極的に保護しようとする個体が現れれば、その個体の赤ちゃんは生き残りやすくなります。そうして同じ性質を継ぐ個体が増えていき、現在に至る・・・という訳ですね。

つまり、進化の過程でモフモフを可愛いと思う性質を持つべくして持っている、ということを言いたいのです。

 

本書のテーマとして、”利己的遺伝子”という面白い考えがあります。

簡単に言えば、ヒトをふくめたあらゆる動物は遺伝子の乗り物に過ぎず、自己(に似た遺伝子、つまり家族の)増殖に有利な性質を持つものが繁栄し生き残る、といった考えです。

進化論の考え方を、自己の生存だけでなく遺伝子的に自己に近い存在(=子ども など)まで拡大して考えているようなものです。

7章では、遺伝子のはたらきを宿主を操る寄生虫になぞらえて説明しています。

 

この考え方を軸にして、本書では人間に関するさまざまな素朴な疑問への答えが用意されています。

例えば、なぜ人は怖いものを見たがるのか(2章)、他人の口調や仕草がうつってしまうのはなぜか(10章)など、日常でふと疑問に思いながらも深くは考えなかったもの。それから、なぜいじめを行うのか(11章)なんてのも。

 

テーマからして非常に面白いものですが、語り口も非常に軽妙でド文系の自分にもスッと理解できるようなものになっています。

随所で著者の小林さんのクスッとくるようなユニークな研究や体験が披露されているところもその一助になっています。9章でサルの群れが巣に帰るのについていく話なんかもおすすめです。

 

新書の類に苦手意識がある人が多いということも耳にしますが、そういう不安は無用です。

もともと読む人も読まない人も、是非読んでみてください。

 

(余談)

われわれは他の動物、つまり遺伝子的に関係の薄い動物に対しても可愛いと感じることがとても多い訳ですが、他の動物はどう感じているのでしょうね。

肉食動物なんかは他種の赤ちゃんを弱々しい、狙いやすいものと捉えているのでしょうし。ただ、イヌやネコなんかは他の種の赤ちゃんを自分のこどもと一緒に育ててあげるなんていう話もしばしば聞きます。

食物連鎖の頂点に立つようないきもの以外では、人間が可愛いと感じるものが多く生き残っている、ということもあるのですかね。

 

 

 

「”あの1行"の衝撃」

 

近日書店で見かけた際にこのようなアオリで紹介されていました。

この作品の魅力を表すのにこれ以上の言葉は無いでしょう。私も、読んだ時は電撃が走るような感覚を受けました。

 

近日、huluで実写映画化されるらしくなにかと話題の『十角館の殺人』。いったいこの作品がどう映像の形で表現(実現?)されるのか、ファンの方は楽しみにされていることかと思います。

私自身、長いこと気になっていながらも手に取ったのはつい最近のことでしたが、今まで読んだミステリの中でも5指に入る作品でした。もっと早く出会いたかったと思ってやみません。

 

 

さて、紹介に移ります。

十角形の館が立つ曰く付きの孤島・角島に旅行に来たミステリ研の大学生グループ。彼らが次々に殺害されていく・・・という、舞台設定としては比較的オーソドックスな「孤島モノ」「雪山山荘モノ」に括られます。時間が進むにつれ人が減っていき、疑念を抱き合い・・・

 

独特なのは、登場人物の呼び名。

彼らは研究会の伝統から互いをエラリィ(・クイーン)、アガサ(・クリスティ)など著名な推理作家の名で互いを呼び合っています。大学生らしい微笑ましさもありながら、読み手としては舞台により引き込まれていくような効果も感じられます。

 

そして、展開の仕方も特徴的です。

メインの舞台の角島に加え、本土では元ミス研の2人や十角館を建設し半年前に悲惨な事件を起こした建築家・中村青司の縁者が彼らの元に届いた一通の手紙を介して繋がりあい、半年前の事件の謎に迫っていきます。その中で、青司とミス研のメンバーたちの関わりも明らかになっていきます。

こうして角島と本土の2つの独立した流れが次第に重なっていき・・・そして、"あの一行"に至ります。

 

そして、個人的には締め方が非常に好きです。ここもかなり独特なポイントになるとは思うのですが・・・犯人の心情などに思いを馳せると、非常に良い締めだなあ、と思います。

 

 

綾辻行人さんですが、これがデビュー作ということが何より恐ろしい。その後も30年以上にわたって愛され、いい作品を出し続けていられるのも素晴らしい。

『暗黒館の殺人』を近いうちに読んでみようと思っています。

 

ミステリの紹介というのは他のもの以上に難しいものですね。ここをみて手に取ってくださる方が一人でもいらしたら、これ以上の幸せはありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

久しぶりの投稿です。

 

この間、半月ほど長野県に行っていました。

東京以外の場所に2週間も滞在すること自体初めての経験で、色々と面白いことがあったのですが、その中でも特に気に入ったのが鳥。

 

長くて綺麗な尾をもつ青い鳥であったり、クチバシの長い可愛らしい鳥など、あまり見たことのない鳥がいたことも面白かったのですが、一番驚いたのはハトやスズメといったありふれた鳥たちです。

 

都会のハトたちは人間に慣れきっていて、よっぽど驚かさない限り飛んで逃げはしませんよね。

ですが、あちらのハトたちは普通に歩いて近寄っただけで、まだ距離に余裕があるにも関わらず飛び立つんです。

 

これはなぜなんでしょう?

そもそも、鳥にとって「飛ぶ」ことはかなりのエネルギーを使うようで、できるだけ歩いて移動しようとするらしいです。

そんな鳥が逃げるために飛ぶということは、それに見合うだけの危険を感じているということでしょう。

 

人の往来が比較的少ないため、人間に害されなかった経験が少ないから、というのが最初に思い付きます。

或いは、食料の調達方法や天敵の存在など、より昔の自然に近い環境に身をおいていることで本能がまだ鋭いままである、なんてこともあるのかもしれませんね。

 

東京に戻ってくると、ハトたちがとっても図太く、また肥えていることがよくわかりました。

 

今回僕が滞在したところは比較的栄えている場所だったので、本当の田舎ではハトたちはどうしているのか・・・気になります。

久しぶりの投稿です。

 

この間、半月ほど長野県に行っていました。

東京以外の場所に2週間も滞在すること自体初めての経験で、色々と面白いことがあったのですが、その中でも特に気に入ったのが鳥。

 

長くて綺麗な尾をもつ青い鳥であったり、クチバシの長い可愛らしい鳥など、あまり見たことのない鳥がいたことも面白かったのですが、一番驚いたのはハトやスズメといったありふれた鳥たちです。

 

都会のハトたちは人間に慣れきっていて、よっぽど驚かさない限り飛んで逃げはしませんよね。

ですが、あちらのハトたちは普通に歩いて近寄っただけで、まだ距離に余裕があるにも関わらず飛び立つんです。

 

これはなぜなんでしょう?

そもそも、鳥にとって「飛ぶ」ことはかなりのエネルギーを使うようで、できるだけ歩いて移動しようとするらしいです。

そんな鳥が逃げるために飛ぶということは、それに見合うだけの危険を感じているということでしょう。

 

人の往来が比較的少ないため、人間に害されなかった経験が少ないから、というのが最初に思い付きます。

或いは、食料の調達方法や天敵の存在など、より昔の自然に近い環境に身をおいていることで本能がまだ鋭いままである、なんてこともあるのかもしれませんね。

 

東京に戻ってくると、ハトたちがとっても図太く、また肥えていることがよくわかりました。

 

今回僕が滞在したところは比較的栄えている場所だったので、本当の田舎ではハトたちはどうしているのか・・・気になります。