詐欺かと思ったら詐欺じゃなかった
ある日突然、「あなたに相続のお話が」。
洋モノのミステリーでは、よくある展開だけど、まさか自分ちで、そのセリフを聞くとは思わなかったわ。
残念ながら「相続財産がある」じゃなくて「放棄してほしい相続権がある」です。
ものすっごく遠い縁(血縁なんかヒトカケラもない)の人が、住んでる家を改築しようとしたら、相続がさかのぼったり横に転がったり(どういう表現だ)したあげく、我が家に権利が残ってたんだって。
私が印鑑押さないって言ったら、いったいどうなるんだろう、その家は。
まあね、人を困らせるようなことしてたら、ロクなことはないから、さっさと放棄してあげましたよ。
お礼は1万円。
DMを5~600は配らないと貯まらない額だと思えば、ありがたい話。
それにしても、昔は多かったんですね、受け継いだ家の登記を変えないこと。
私の祖母も、祖父が亡くなったとき、登記しなかったんだって。
数年後に祖母が亡くなって、そのときに父が相続、登記したそうな。
短い間のことだったから、ややこしいことにならなくて済んだみたいです。
今は相続関係、すごく厳密に法律で定められてるから、いい加減に考えちゃダメなのね。
みなさんも、どうぞ気をつけて。
「病院でキレる高齢者」を初めて目撃
昨日は、父親の通院に付き添って、ほぼ半日病院にいました。
ふだんは、検査を受けて結果が問題なければ、抗がん剤の点滴を受けて帰る。
だいたい4時間くらいの滞在です。
でも昨日は、ちょっとマズイ数値が出たので、エコーだのレントゲンだのが追加され、さらに泌尿器科まで回されて、終わったときはもう5時でした…。
その泌尿器科待合室で、突然の怒号。
みると、80代くらいの男性が大声でわめいています。
「朝の10時から待ってるんだぞ! もう4時じゃないか!」
看護師さんが飛んできて、なだめようとしますが、収まらない。
別の場所から医師もやってきて、「あちらでお話を」と声をかけると、
さすがに気まずくなったのか、「もういい」と。
でも、やはりそのままにはしておけなかったんでしょう、看護師さんが1人、
横についてずっとお話を聞いてました。
気持はわかりますよ。
具合が悪くて病院に来てるのに、何時間も待たされて。
元気な私も、昨日はゲッソリしたもの。父なんか、今日は起きられないです。
結果もはっきりしないままだし、何のために病院に行ったんだかわからない。
でもね、診察室の中のお医者さんも、朝からずっとなんです。
おそらく、昼食もろくに摂れてはいないはず。辛いのは患者だけじゃないよね。
なんでこんなことになってるかというと、猫も杓子も大病院に行くから。
待合室には、近所の開業医で済むような病人も多いと思います。
それで、政府もいろいろ改革してるらしいですね。効果があるといいんですが。
1つ思ったのは、キレやすいのは、1人で来てるからじゃないかってこと。
私と父と2人でいれば、病院の陰口もグチも言い合える。
1人でずっと座ってたら、気がまぎれることもないでしょう。
傾聴ボランティアみたいな人を、病院の待合室に配置したらどうかなあ、と思います。
「失言」は内容が問題じゃない
復興大臣、2度目の失言で、ついに辞任に追い込まれましたね。
もうこうなると、アベちゃんが気の毒になってくる。
配偶者にも部下にも恵まれないって、不憫だわ。
可哀そう萌え、というジャンルもあるんで、腐女子に人気が出そうではある。
安倍政権で何人目、という記述を見るけど、今に始まったことじゃないでしょ、大臣の失言って。
古いのだと、「貧乏人は麦を食え」が有名ですね。
マリー・アントワネットの「パンがなければケーキを食べればいいのに」を思い出すけど、あっちの方が無邪気ですわな。
数年前だっけ、「女は産む機械」ってのもあったね。
別にいいじゃん、「男は産ませる機械」なんでしょ。
どっちかというと、そっちのが失礼じゃないかな。
アノときの腰振ってる様って、確かに機械的だし、機械にもできそうな作業だし。
まあ、失言の内容は、このさいどうでもいい。
「失言する」ということが問題。
復興大臣の2つの失言、じつはちょっと共感してる。
「避難は自分の責任」じゃなくて「自分で決めたこと」なら、そりゃそうだと思う。
「東北で良かった」も、東北以外の人はそう思うでしょ。
「東京だったら大変だった(国家が揺らぐからね)」
「自分のところでなくて良かった(まあ、当然だよね)}
でも、大臣はホンネを言っちゃダメでしょう。
自分の口から出たとたん、大事件になっちゃう。
そんなこともわからないバカ、その程度の自制心もないアホに
この国を任せられるかっていうこと。
「健全な成長」は命より大切ですか その3
さあ、そろそろ暴論いきますか。
言いたいことは、タイトルの通りです。
「角を矯めて牛を殺す」という言葉もありますね。
子供が健全に成長するのは、そりゃ大事なことでしょう。
でもね。
死んだら、健全も不健全もないのよ。
アマチュアのころ書いたBL小説モドキで、そういうセリフを書いたっけ。
高校生の男の子が、同性の先生を好きになって、親たちは大騒ぎ、猛反対。
(まあ、そうでしょうけど)
ところでその男の子、中学生のころ事故で死に掛けたことがある。
だから、言っちゃうわけ。
「あんとき死んだと思ったら、今生きてるだけで儲けもんじゃん。ホモになったくらいでガタガタ言うな、欲ばり」って。
本当にそう思います。
子供は、どんなふうに育ってもいい。
生きてるだけで、未来がある、可能性がある。
その全てを失わせる危険を冒す価値が、面会交流にあるんですか?
そろそろ炎上してもよさそうなものなにに、読者の少ない哀しさよ。
「健全な成長」は命より大切ですか その2
私も、ずいぶん前に夫と別れている。
浮気でも暴力でも借金でもない。絵に描いたような「性格の不一致」。
で、面会交流、しましたよ。
養育料はもらえなかったけど、会いたいといえば会わせた。そうしないと、それはねちっこく責めてくるので、会わせた方がマシだった。
ただし、私は必ず同行した。
その行動をさして「夫に未練があるんだ」と言う人もいたけど、何とでも言え。
私にとっては、世間がどう思おうと、娘の安全が第一だっただけ。
娘が小さいとき、アメリカ暮らしをしたので、警戒心が強くなったのかもしれない。
なにしろ、向こうでは、「ミッシングチャイルド」のチラシが毎日何枚も入る。
半分くらいは、離婚した親による誘拐だというからね。
私の心癖は、つねに最悪の事態を想定する、ということ。
海やプールで娘が1人泳ぎするようになると、後で頭痛がするほど目で追っていた。
子供なんて、溺れるのに5分もかからない。
「ちょっと目を離した」だけで、悲劇は起こる。
そして、夫が娘の父親だからといって、全面的に信頼する理由にはならない。
このお母さんを鞭打つのは過酷だとわかっている。でも言いたい。
わずか4歳の子供に、大人の殺意から身を守るすべはない。
夫と顔を合わせたくないにせよ、娘についていてやってほしかった。
たとえば夫の家でなく、児童公園や遊園地、人目のあるところで会わせて、
自分は物陰から見ていてもよかった。(私、よくやりました)
もちろん、前記の事件のように、お母さん自身が殺されるという結末もあったかもしれない。
それでも。
ひどいことを言っているとは思うけれど。
私は自分が殺されても、娘には生きていてほしいから。
続きます