掃除婦は見た
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介護が終わったからこそのウツ

またまた間隔が空いてしまった。

どうもね、ちょっとウツに入ってる感じ。

父の49日だ、再就職だって、バタバタしてるうちは良かったんだけど、生活が新たなリズムで回りだして、気が抜けてしまったんだと思う。

母の発病から始まって、父の死に至るまでの6年、ずーっと気合入ってたからねー。

 

父も母も、だいたい平均寿命は越えたし、そろって「自宅で身内に看取られる」を達成したので、まあ幸せだったんじゃないかと思うんですよ。

でも、遺された者(私)は、貧乏くじ引いたな、ってこのごろ思う。

専業主婦だった5年、加えて、介護離職でさらに6年。

フルタイム労働者の期間が、それだけ減ったということ。

つまり共済年金も、定年まで切れ目なく働いた場合の3分の2しかないんです。

でも現役バリバリのときって、将来の年金額にはなかなか頭が回らないのよ。

目の前の現実―親が病気で、認知症も出てきて、仕事はいちばん責任が重くなる年齢で休みもとれない―に対処するのでイッパイイッパイになってしまう。

そして無事、両親の看取りを終えたとき、とりあえず棚上げしていたもう一つの現実に追いつかれるわけ。

年金が少ないので、生きていくためには、60代でもまだ週5で7時間くらいは働かないといけない、ということです。

 

実は、今の私の年のとき、両親は2人とも、もう仕事はしていなかった。

母はパート、父は万年平社員だったけれど、退職金と年金で悠々自適の可能な世代だったんです。

かといって、子供に財産を残せるほど裕福でもなかった。

両親の葬儀とかお寺関係とかを済ませてみると、残ったのは父の最後の年金(死後に払い込まれます)くらいでした。

私自身の貯金も、介護生活の間はあまり働けなかったので(父のラスト半年はワンオペだから短時間のバイトすら不可能)、かなり取り崩しちゃってたし。

ほんと、介護離職はするもんじゃないです。

かといって、どうしたら両立できたのか、今考えてみてもわからない。

私が仕事に行ってる間は訪問看護やヘルパーが来るっていっても、帰宅したら私が世話するんでしょ? 

それだと、私の寝る時間とか、なくない?

仕事してない私でも、最後の2週間はろくろく寝られなかったんですけど?

…ということを、「介護離職を食い止める」とか言ってる政治家に聞いてみたいもんだ。

 

日馬富士の弁明、虐待親っぽい

もと教師なもんで、「体罰」を肯定してしまいがち、と自分でも思う。

なんだかんだ言って、「教師が生徒に手を上げられなくなった」ことの弊害は、たしかにあるもの。

深夜にゲームセンターにいた子を、「家にお帰り」と肩押しただけで、親に怒鳴り込まれたこともある身としては、日馬に同情する気持もちょびっとあった。

「先生が説教してるとき、スマホをいじる生徒」なんて、あるある過ぎて…。

 

でも、引退会見のあの発言は無いわー。

「礼儀を教えるのは先輩の義務だと思って」

どこかで聞いたような論法だと思ったら、子供を虐待死させた親が必ずほざく、あのセリフに似てる。

「しつけのつもりだった」

そう言って、殺しちゃうんだから、何をかいわんや。

礼節を教えるために、リモコンで殴ってケガさせちゃ、そもそも礼節はいずこ? って話でしょう。

 

かっとなって手が出る気持はわかる。

ふだんから闘争心を養ってる力士なんだから、沸点が常人より低く設定されてるってこともあるだろうし。

でも、ああいう言い訳をしちゃいけなかった。

コトが起こったときすぐに、すっぱり認めて、貴の岩の態度がどうだこうだ言わずにひたすら詫びていたら、引退まではしないで済んだかもしれない。

 

親方になりたくて帰化の手続きを進めていた、という話を聞くと、さぞ無念だろうなと思う。

一時の激情と、その後の身の処し方の誤りで、人生が変わってしまうのは、日馬富士に限った話でもないけどね。

ゴミ回収問題はあっさり解決、だけど…

面接した人は、現場のことをよく知らなかったんだわ。

指導役の社員のおじさんによれば、祝日は、住人が自分でゴミを出すことになってるんだって。

つまり、完全に土日祝日お休みです。

こういうシフト、久しぶり。

商業施設は普通に365日清掃あるから、大晦日でも正月三が日でも、当たれば出勤しなくちゃならなかった。

大学は土日祝休みなんだけど、そこに「定期清掃」を入れる会社で、しかも日常清掃のおばちゃんたち(私も)を駆り出してたからね。

年末年始もGWも休めるって、素直に嬉しい。

…収入が増えるかも…ってのはぬか喜びだったけどね。

まあ、仕事に慣れてきたら、Wワークしてもいいや。

 

と思っていたら、どうも風向きが怪しいんですよ。

また、採用してからの後出しがあった。

求人票でも面接でも、「通路階段は掃き拭き」となってたけど(実際3日間はそうだった)、金曜の帰り際に、指導役いわく。

「管理組合の理事長が、通路は洗ってくれって言うんだよね」

「女の人だから、大変だから、1日にワンフロアでいいから」

洗うというのは、ホースで水流して、洗剤まいてデッキブラシでこすって、水切りする、ということ。

「掃き拭き」と違いますやん。

まあ、「それは定期清掃じゃないですか?」と抗議するには微妙なレベルなんだよねー。

もうひとつ、「無理だよねー」と言いつつチラチラ様子をうかがってくるのが「壁洗い」。

壁に水を流すとしたら、ドアその他をマスキングする(養生と言います)ところからやらなくちゃいけない。

「あー、そりゃ定期清掃の人を入れないと無理ですねー。ハハハ」

と笑って流しておいたけど、きなくさいわ。

それまでやらせようとするなら、残念だけど、ここも長くはいられないかも。

 

 

 

 

マンションのゴミ回収サービスって

先日は、「次は父のことを書く」といいながら、まず自分のことを。

父は9月に亡くなって、49日も済んだので、また働きに出ようと「やあ!仕事」に行きました。

(これ、川原泉さんの漫画で使われてて、大変気に入った表現です)

今度こそ騙されないぞ! 長続きする仕事を見つけるぞ! という意気ごみです。

 

掃除の仕事ならね、いくらでもあるのよ。

選び放題だから、最低時給のなんか、最初からお断り。

逆に時給よすぎるのは、日常清掃じゃなくて定期清掃に決まってるからこれも避ける。

(某なんとかふようって会社は、日常清掃の時給で定期清掃もさせるけどね)

ほどほどの時給で、家から歩いて15分の新築マンション、これにきーめた。

今日、面接に行ってきました。

そして担当者に会って10分で、ほぼ採用決まってました。

まだ(それほど)バアサンじゃないし、体がっちりしてるし、人前では愛想がいいからね。

経験者だしね。

まあ、採用だろうとは思ってたけど、決断が早すぎないか。

こっちの方が心配になります。

てか、気になる点は質問させてもらった。

 

今ドキのマンションは、「ゴミ回収サービス」が売りみたいね。

130戸ぶんはキツイけど、カートで集めてエレベーターで下ろすんだから、大丈夫と思う。

なんせ、某大学の非常識な学生は、油入ったままの1斗缶とか、バーベルの重りなんかをゴミ箱に放り込んでくれてたもんね。

雑誌の束を何個も、階段で持って下りてたんだもんね。

それに比べたら楽勝です、はい。

ただ気になったのが、「祝日休み」の規定。

祝日といえども回収の曜日に当たっていれば、ゴミは出るはず。

掃除人が休んだらどうなるの?

担当者に訊いてみたら「あっ、そうか!」という態度。

なんかねえ、新規採用者に突っ込まれないと気づかないの?

そ・れ・と・も。

これまでの幾多の嘘つき求人と同じく、働き始めてから「祝日も仕事あるんだったよ、ゴメンゴメン」で通す気だった?

まあ、私としては土日休めればいいんで、祝日出勤はイヤとかないけど。

お給料増えるわけだし。

ただ「あ、わたし、祝日出てもいいですけど」って言ったら…

「そう? ゴミだけ下ろしてくれたらいいから、1時間だけでいいからね」

…いやいやいや。

たった1時間のためだけに、祝日出勤するの?

それはちょっとイヤだな。

まあ、ほんとのとこ現状がどうなってるのかは、担当者にもよくわかってないみたいなので。

明日からとりあえず働いてみます。

そんで、祝日は社員がする、ならそれでもいいし。

出てくれって言われたら「ほかの掃除もざっとするんで、せめて2時間」と交渉するつもり。

それで嫌な顔するようなら、次行こう、次。

もう、父や母の病院通いのために便宜をはかってもらったり、曜日や時間の制約うけたりしないんだから、強気で探すさ!

 

 

 

父が敗血症になりました

亡くなった犬は、病院の方で綺麗にして箱に入れてくれていたので、そのまま仏間に安置しました。

父と、犬の思い出話をしたり、昼食の用意をしたりしていたときです。

父が急に、苦しみだしたのでした。

息が苦しい、という訴えで、私がすぐ考えたのは「精神的なもの」でした。

過呼吸、というのか、犬が死んだことのショックでハアハアしているのでは、と。

そうではありませんでした。

熱が、これまでになく高いんです。

父も多少、パニックになっていました。

すぐ訪問看護師さんに来てもらったところ、「救急車を呼びましょう!」となりました。

車内では酸素マスクをつけさせてもらって、それで呼吸が楽になったので、父も落ち着いたようでした。

診察はすぐついて、腸内の菌が手術した部位に上がってきたことによる敗血症、ということでした。

入院手続きにえらく手間取りましたが、治療そのものは的確だったみたいで、次の日にはもう熱も下がり、食事もできるようになっていました。

 

ホッとしたとき、ふと考えたのです。

父がこの状況で、そのうえ家に病気の犬がいたとしたら。

人と犬を同列に論じることはできませんが、それでも私はかなり大変な思いをしたはずです。

「あの獣医さんは空気読んでくれなかったけど、犬は空気読んで先に逝ったのかも」

そんな思いを抱えて、夜遅く家に戻りました。

紙の棺の中の保冷剤を取り替え、カチカチの体を撫でてやって、私は少し泣きました。

 

次の日の朝、父の病院に行く前に、電話しておいた動物霊園のあるお寺に行き、お経を上げてもらいました。

父のことがあるので、火葬には立ち会えませんでしたが、きちんと葬ってもらえたと思います。

 

明日からは、父のその後を報告します。

 

 

 

 

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