秋篠寺と古墳群にお参りしたあと、平城駅にもどり電車は大和西大寺駅を経由して、近鉄新大宮駅に到着しました。
平城駅からまたさらに20分ほど歩きます。バイパスなどが通っていて、どうも素直に歩いて行く道が見つかりませんでしたが、携帯ナビを使い(方向音痴で良く道を間違えます)ようやく近くまで到着できました。
ちなみに、法華寺と海龍王寺は、地図で見る限り隣同士の敷地のように見えます。
関連性が高いお寺同士なんでしょうか。
海龍王寺の一歩手前に、春日神社がありました。すぐそばなので、寄り道してもさほど問題ないようなので、ちょっとお参りを。
この春日神社は、隣の海龍王寺の鎮守社だそうで、毎月1日と15日にしか門が開いていないそうです。
参拝した日は、11月1日。
これ当日は気がついていませんでしたが、偶然お参りできたみたいです。さっき知りました。これはなにか運命なのか。
まさかそんなことだとはつゆ知らず、こちらでお参りさせてもらいました。もし海龍王寺にお寄りになられた際、偶然1日か15日ならば、こちらの神社にもお参りできますよ。
そんなこんなで、隣の海龍王寺へと到着です。土壁の素朴な造りの仏門が、他のお寺と雰囲気の違いを感じさせます。
海龍王寺と言えば、イラストレーターで仏像マニアのみうらじゅん氏とここの住職との親交があるらしく、みうらじゅん氏より「イケてる住職」と呼ばれている、大変有名な住職がいらっしゃいます。まだお若い方だったと思います。
また海龍王寺には、建物の中に安置された五重小塔があります。元興寺の五重小塔とならび、奈良時代の貴重な建築様式を知る文化財として知られています。
ただ、通常お寺の建物内にある宝物は、写真の撮影が禁止されている場合がありますので、事前に受付で確認を取る必要があります。
受付で確認すると、「たぶんフラッシュを焚かなければ大丈夫ですが、念のためお堂にいる住職に確認してみてください」だそうです。
えー、例のイケてる住職に直接?大丈夫かなと、おそるおそる本堂へと入場して行きます。
こちらが海龍王寺の本堂です。お堂の右端に座っていらっしゃいました。
一通りお参りを住ませた後、住職におそるおそる訪ねると、「撮影ですが、ええかましませんよ」
さすが、イケてるなー。とは言いませんでしたが、快くお許しをいただくことが出来ました。
ああ良かったということで、さっそく五重小塔が安置されているお堂へと向かいました。
こちらが、五重小塔が安置されている、西金堂です。奈良時代に建立されたあと、鎌倉時代に大きな修繕を行っているそうです。なので、奈良時代当時の部材も残っているものの、別の場所に転用されていたりするそうです。
まあ、鎌倉時代の建物だとしても、相当に古いものであることに間違いはないですかね。
こちらが五重小塔で、高さが約4mあり、工芸品ではなく建築物として国宝にしていされているという、とても貴重な物です。建築の様式が、白鳳時代の建築で知られる薬師寺東塔(三重塔)に似ていると言われているそうです。そういわれてみると、屋根の形が似ているような。
ちゃんと一番下が大きく、徐々に屋根の大きさが小さくなっているように、実際の五重塔の建築と同じ構造になっています。仏像のひな形とおなじく、五重塔を建てる際のひな形として作ったのではとも言われているそうですが、こちらの小塔は内部構造が省略されています。元興寺のそれは内部構造まで実際の建築と同じように作られています。
ただ、元興寺よりも年代が古いこともあり、この時代の五重塔を知る上でとても貴重だと言うことになります。
海龍王寺をあとに、すぐ隣にある法華寺に向かいました。隣とはいっても、入り口のある門へは大きく回り込んで行かなくてはいけないので、そんなにすぐには到着できませんでした。
法華寺はかつて、東大寺が総国分寺として建立されたときに、総国分尼寺として建立されました。であるので、現在も尼僧の方がいらっしゃいます。
奈良時代の多くのお寺と同じように、戦乱などでお堂などの多くを失ったのち、後年になって再建されている建物が多いようです。
写真の本堂についても、江戸初期の再建ということになります。
こちらの建物は、浴室(からぶろ)と言われているものです。
創建に関わった光明皇后が、このからぶろに薬草を煎じた蒸気を使い、多くの難病者をすくったという謂れがあるそうです。光明皇后は、慈善者でもありハーブの使い手でもあったんですね。ちなみに建物は室町時代の再建だそうです。
伽藍の奥には、このような花の庭園が。もしやさきほどの薬草との関わりがあるのでしょうか。
からぶろの奥には、茅葺きの古民家が建っていました。
こちらは奈良県月ヶ瀬村にあった18世紀の古民家を、移設して建築したものだそうです。
さて、法華寺を見終わった後、新大宮駅にもどり電車で終点の近鉄奈良駅に向かいます。
そういえば、近鉄奈良駅より先は線路が無いんですよね。やはり文化財などを避けるすべが無いので、これ以上線路を延ばすことが出来なかったんでしょうか。
元興寺は奈良の観光街「なら町」にあるので、少しそこら辺をブラブラと。
外国からの観光客や若い女性客などで、とても賑やかです。
奈良国立博物館で開催中の、正倉院展が影響している部分もあるのでしょう。
まずは、元興寺の五重塔跡地を見てきました。
元興寺は当時高さ日本一の五重塔が建っていたと言われています。
その高さは、寺伝によればおよそ70m。現在最も高い五重塔が京都の教王護国寺の54.8mなので、相当な高さです。
ただ、これには様々な説もあって、実際は教王護国寺と変わらない大きさだったのではとも言われているそうです。
それにしても、相当な大きさの塔が建っていたことには違いなく、元興寺の寺院としての大きさがわかる逸話ではないかと思います。
さらにあるくこと5分。元興寺に到着しました。
この元興寺は、日本最初のお寺飛鳥寺(法興寺)が平城遷都とともに奈良に移って出来たお寺ということで、6世紀末の建築材をそのままこのお寺に移築したことがわかっています。
なんと現在のお堂には、それらの物がまだ残っているとのことで、6世紀当時の遺物が建物として使われている、ものすごいお寺なんです。
こちらがその飛鳥時代の建築材を有した建物、元興寺極楽坊です。
元興寺は、そういった考古学的な遺物が多くあることから、文化庁とは別の独立した考古学研究所を持つことで有名です。
なお、この元興寺極楽坊の使用された木材のなかから、年輪年代法によって586年に伐採されたヒノキが使われていることがわかっています。また、屋根瓦の一部は、同じく飛鳥時代に作られた瓦が現存しています。
その元興寺極楽坊の裏には、細長い禅室が見えています。
大変有名なアングルの写真ですが、このカラフルな行基葺瓦の中に、飛鳥時代の瓦が混じっています。
宝物殿にあった飛鳥時代の瓦と見比べた感じでは、素焼きの色のような赤っぽい瓦がそのようです。
このあと、宝物殿にある五重小塔などの宝物を見てきました。残念ながら、宝物殿にある五重小塔の撮影は不可でした。
こちらの五重小塔は、高さが5m以上ある大きな物で、さきほど海龍王寺のところでも書きましたが内部構造を省略しないで作られています。
もしや、焼失した五重塔のひな形だったのではないでしょうか。
元興寺を後にして、近鉄奈良駅方面に歩きだしました。まだ若干時間が残っていたのですが、まるで誘うように興福寺の五重塔が見えてきました。
せっかくだし、そちらにも寄り道して行こうということで、続きは興福寺・奈良公園・東大寺で終了です。




















