ビービービーのブログ -3ページ目

ビービービーのブログ

気になるニュース

西宮市の廣田神社からおよそ18km、神戸市の生田神社です。
ここは、藤原紀香さんと陣内智則さんが挙式を上げたことで、TV等で盛んに画面に写っていましたので、知っている方も多いと思います。こちらも今回初めて参拝しました。

前回の記事でも書いた通り、この生田神社と廣田神社は非常に似通った創建の伝説をもつ、神功皇后の縁の神社ですが、そのへんの比較などについては、もう一つの長田神社の紹介の後に詳しく書いてみたいと思います。

ビービービーのブログ
廣田神社は街中から少しだけ外れた静かな場所にありましたが、こちら生田神社は三宮や元町などが近く、神戸の市街地のど真ん中にありました。
参拝している方々も買い物や仕事の途中で寄り道して、ちょっとお参りしていくような方が多かったように思います。
とても有名な神社ですが、都会のビルの中にあって、独特の存在感がありました。



ビービービーのブログ
生田神社は写真の楼門を含め、全体が鮮やかな朱塗りで彩られていて、それがすなわち生田神社の境内をイメージさせています。映像などでは、朱塗りのこの楼門や拝殿が良く映っているのを見かけます。


ビービービーのブログ
こちらがその拝殿です。拝殿の両脇から回廊のような構造がつながっていて、その奥に本殿があります。
回廊の内側には普段立ち入れないのですが、結婚式などが行われる際には、拝殿から回廊の内側に入って、本殿の前で執り行われるようでした。

生田神社はもともと、現在地より北東にある布引山の山麓にあったものが、千年以上前に洪水の被害があって以来、現在地に遷宮されたと言われています。
位置関係を確認してみて、あらためて神戸という町が海と山に囲まれた横長の都市なんだなあと実感しました。
この太古の洪水の被害を含め、戦災や震災など多くの困難から建て直っていくことから、復活の神社のイメージをもつ人が多いと聞いています。

その生田神社の主祭神は、稚日女命(わかひるめのみこと)です。
生田神社の縁起を見ますと、
・神功皇后が三韓征討から帰途、神戸港付近で船が進まなくなった。
・そこで神託を祈祷すると、稚日女命が現れて、活田長狭国に居たいと言った。
・神託を受けて、その地に稚日女命を祀った。

ということです。祀られる神様の違い以外は、ほぼ廣田神社と同じ経緯で神社が創建されていることになります。

なお、稚日女命は幼少時の天照大神であるとも言われていて、この地は天照大神の和魂(にきたま)を、廣田神社には天照大神の荒魂を分けて祀ったという説もあるらしいです。(詳しくは別記事で)


ビービービーのブログ
境内にある稲荷社です。そういえば、日本で最も多くのお社を持つのが稲荷社であると聞いたことがありました。
ビルの屋上にまであるものを含めると、数万から数十万の社を持っていると言われています。
五穀豊穣など農業の神様ですね。
稚日女命との直接的な関係性が薄いので、境内末社ということになるのでしょうか。



ビービービーのブログ
ちょっと写真を撮りそこねてますが、同じく境内の末社と思われる三社です。
右から塞神社(道にあって災厄を塞ぐ役割を持つ3つの神を祀る)・雷大臣神社(中臣氏祖神で壱岐にいた神様)・人丸神社(柿本人麻呂(看板には柿本人丸と書いていました))です。
いずれも創建後に勧請された神々だと思います。

さて、このあとは神功皇后にまつわる3つ目の神社、長田神社へと向かいました。
そのあと、それらを比較していろいろと見てみたいと思います。

前回でようやく姫路城を終わらせることが出来ました。今度は西宮です・
姫路にお出かけしたのは2月の初旬のことでしたが、その前日に西宮と神戸に立ち寄って、関西に幾つかある神功皇后に関する神社を回っていました。

その一つが廣田神社です。西宮の名前の由来(いくつかあるうちの一つ)とも言われる神社ですが、創建は神功皇后であったと言われています。



ビービービーのブログ
西宮の中心街からほんの少し北、割とすぐに廣田神社は見つかりました。
写真で伝わるかどうかわかりませんが、参道の石や燈籠、神門などはとても真新しく、まさに作りたてのような感じがしました。大きな改修が行われたところだと思います。


ビービービーのブログ
先ほどの写真とは別の、参道の奥側にある神門です。
とても気になったのが、廣田神社では境内社の伊和志豆神社で見かけた鳥居以外、参道にも境内でも鳥居を見かけなかったことです。後で資料を見てみましたが、境内の位置図などにも鳥居が表記されているのが、 伊和志豆神社だけだったようです。
この神門とよばれる門の形式や役割なども、イマイチよくわかりませんでした。鳥居と同じ役割を果たしているようにも感じました。つまり結界を示しているという感じです。


ビービービーのブログ
廣田神社の拝殿が見えてきました。拝殿の奥には本殿と4つの脇殿があるのですが、拝殿より先へは入ることができません。
おそらく、神事などでは中に入ることもできるのでしょうが、一般の参拝はこちらからになります。


廣田神社の主祭神は天照大神ですが、その荒魂(災厄の神)を祀っています。
神功皇后が三韓征討からの帰途、対立していた忍熊王が待ち伏せしているとの情報を得て、迂回して航海していたところ、途中で船が進まなくなってしまいました。
そこで天照大神の神託があり、広田の地に天照大神の荒魂を祀ったことが、創建の由来として語られています。

それと非常に似通った由来を持つ神社が、神戸の生田神社と長田神社で、これら3つの神託は同じ時になされたと言われています。しかも、不思議なことにそれぞれの神社では、神託をした神様が別々なのです。

これらを合理的に説明できるためには、一体どういったことが必要になるのでしょうか。
ということで、この参拝の後生田神社と長田神社へと参拝しに行きました。



ビービービーのブログ
拝殿は写真の通り、3つの参拝口に別れています。中央は本殿(天照大神荒魂)に向いていて、右側が第三・四脇殿(建御名方命と高皇産霊)、左側が第一・二脇殿(住吉大神と八幡大神)に向いています。


ビービービーのブログ
伊和志豆神社です。写真の通り鳥居が見えています。ここ以外で鳥居らしき姿が見えなかったのは、なにかあるのかなあと思っています。もしかしたら、少し離れた場所に大鳥居があったりしたのかもしれませんが、当日は全く見つけることができませんでした。



ビービービーのブログ
同じく末社の、松尾神社です。この松尾神社は長田神社と生田神社の末社としても祀られていました。
京都の松尾大社からの勧請だとすれば、大山咋神を祀っていると思われます。
大山咋神は、日吉大社の東宮が総本社といわれる、比叡山の神様ですね。

ということで、神功皇后の足あとを追って、このあとは生田神社へと向かいました。
続きます。

ちょっと間があきましたが、姫路城は今回でサクッと終わらせたいと思います。すっかり行った時の感じなどが忘れそうになっています。



ビービービーのブログ
前回の最後に紹介した、2つの小天守ですが、最上部それぞれに火灯窓がデザインされていました。ちょっと小さいのでわかりにくいでしょうか。


ビービービーのブログ
拡大してみました。菱の門にあった火灯窓に比べると、一応は窓としての機能が有りそうに見えます。
やはりこの形はこの時代の流行だったのでしょうか。


ビービービーのブログ  ビービービーのブログ
参考までに、菱の門と銀閣寺にあった火灯窓を再掲してみました。それぞれちょっとずつ作りが違っているんですね。



ビービービーのブログ
大天守から少し西にある「にの門」の櫓です。ここに小さな鬼瓦があるのですが、こちらにもあるデザインが施されています。この写真ではわかりませんね。



ビービービーのブログ
ぐっと寄ってみました。鬼瓦に十字架が描かれているのがわかるでしょうか。一説によると、姫路城の城代だった黒田官兵衛がクリスチャンに帰依していたので、このような鬼瓦が残っているのではということでした。
にの門近くには、その説明板もありましたので、姫路城を訪れる機会がありましたら、こちらもぜひ探してみてください。


ビービービーのブログ
姫路城の最後は、長ーい廊下で有名な西の丸です。そのながーい廊下は百間廊下ともよばれ、姫路城当主の本多家の本多忠刻とその正室千姫が暮らしたとされています。


ビービービーのブログ
内部の百間廊下には、侍女たちの小部屋がたくさん連なっていました。
千姫の伝説がこの西の丸には伝わっているため、その小部屋には千姫にまつわる様々なお話が、掲示板で表示されています。


ビービービーのブログ
それにしても長い。現在の長さにして300mだそうです。


ビービービーのブログ
西の丸にはところどころ階段があり、長いだけでなく櫓状の高さのある建物もあります。もちろん住まいとしてだけでなく、防備も兼ねた作りになっているのでしょう。


ビービービーのブログ
西の丸の一番最後には、化粧櫓とよばれる少し大きめの部屋を持つ建物があります。
内部では千姫の化粧部屋というか休息室であったとされ、千姫をかたどった人形が展示していました。



ビービービーのブログ
ということで、実際には2時間ほどの滞在でしたが、すっかり長くなってしまいました。

今度来るときは、大修理が完成している頃だと思います。その時は、もっとじっくりと姫路城を見て回りたいと思います。