ここは、藤原紀香さんと陣内智則さんが挙式を上げたことで、TV等で盛んに画面に写っていましたので、知っている方も多いと思います。こちらも今回初めて参拝しました。
前回の記事でも書いた通り、この生田神社と廣田神社は非常に似通った創建の伝説をもつ、神功皇后の縁の神社ですが、そのへんの比較などについては、もう一つの長田神社の紹介の後に詳しく書いてみたいと思います。
廣田神社は街中から少しだけ外れた静かな場所にありましたが、こちら生田神社は三宮や元町などが近く、神戸の市街地のど真ん中にありました。
参拝している方々も買い物や仕事の途中で寄り道して、ちょっとお参りしていくような方が多かったように思います。
とても有名な神社ですが、都会のビルの中にあって、独特の存在感がありました。
生田神社は写真の楼門を含め、全体が鮮やかな朱塗りで彩られていて、それがすなわち生田神社の境内をイメージさせています。映像などでは、朱塗りのこの楼門や拝殿が良く映っているのを見かけます。
こちらがその拝殿です。拝殿の両脇から回廊のような構造がつながっていて、その奥に本殿があります。
回廊の内側には普段立ち入れないのですが、結婚式などが行われる際には、拝殿から回廊の内側に入って、本殿の前で執り行われるようでした。
生田神社はもともと、現在地より北東にある布引山の山麓にあったものが、千年以上前に洪水の被害があって以来、現在地に遷宮されたと言われています。
位置関係を確認してみて、あらためて神戸という町が海と山に囲まれた横長の都市なんだなあと実感しました。
この太古の洪水の被害を含め、戦災や震災など多くの困難から建て直っていくことから、復活の神社のイメージをもつ人が多いと聞いています。
その生田神社の主祭神は、稚日女命(わかひるめのみこと)です。
生田神社の縁起を見ますと、
・神功皇后が三韓征討から帰途、神戸港付近で船が進まなくなった。
・そこで神託を祈祷すると、稚日女命が現れて、活田長狭国に居たいと言った。
・神託を受けて、その地に稚日女命を祀った。
ということです。祀られる神様の違い以外は、ほぼ廣田神社と同じ経緯で神社が創建されていることになります。
なお、稚日女命は幼少時の天照大神であるとも言われていて、この地は天照大神の和魂(にきたま)を、廣田神社には天照大神の荒魂を分けて祀ったという説もあるらしいです。(詳しくは別記事で)
境内にある稲荷社です。そういえば、日本で最も多くのお社を持つのが稲荷社であると聞いたことがありました。
ビルの屋上にまであるものを含めると、数万から数十万の社を持っていると言われています。
五穀豊穣など農業の神様ですね。
稚日女命との直接的な関係性が薄いので、境内末社ということになるのでしょうか。
ちょっと写真を撮りそこねてますが、同じく境内の末社と思われる三社です。
右から塞神社(道にあって災厄を塞ぐ役割を持つ3つの神を祀る)・雷大臣神社(中臣氏祖神で壱岐にいた神様)・人丸神社(柿本人麻呂(看板には柿本人丸と書いていました))です。
いずれも創建後に勧請された神々だと思います。
さて、このあとは神功皇后にまつわる3つ目の神社、長田神社へと向かいました。
そのあと、それらを比較していろいろと見てみたいと思います。

















