一人称の話【強さでいうとオラ>オレ>アタシ>ボク>ワタシ】
ぐみは、通常対外的に自分のことを「わたし」と言います。
ですが、数日前にうpした記事でわずかに触れましたが、
家族の前でのみ、
自分のことを「ぼく」と言います。
ぼくっこ、という単語をご存じでしょうか。
ぐみが「ぼく」の一人称を使い始めた時代にはなかった言葉ですが、
ぼくっことは、自分のことをぼくという女の子のことです。
わたしは女の子って歳じゃないですが、
まあ、いわゆるぼくっこなわけです。
世の一般的なぼくっこがなぜ「ぼく」という一人称を使うようになったのかは
わかりませんが、
ぐみが一人称を「ぼく」にしたのには、理由があります。
みなさん・・・
ドラゴンボールはご存じですね?
孫悟空は、ご存じですね?
そう。我らがヒーロー孫悟空ですよ。
ピッコロさんが一番好きと公言してはばからないぐみですが、
もちろん悟空のことは大好きです。
アニメに興味のない方にはピンとこないかもしれませんが、
ぐみが小学校低学年のころは、
ビックリマンの時代が終わり、
聖闘士聖矢の時代が終わり、
ドラゴンボールの熱い時代だったのです。
あこがれました。
筋斗雲。如意棒。カメハメ波。
影響を受けやすい子どもでした。
「オッス、オラぐみ!」
などと言い出すまでに、それほど時間はかかりませんでした。
本当に残念な子です。少し不思議ちゃんでもあります。
ぐみは悟空に憧れるあまり、
自分の一人称を「オラ」にしようと決め、実践を試みたのです。
「オラ今日学校で図画工作があったんだ」
「それオラにもわけてくれ」
「オラのくつしたどこ?」
「おい、
オラってなんだ!?」
(-""-;)
初日でさっそくとーちゃんにとがめられました。
オラはダメらしかったです。
「じゃあ、・・・オレ?」
せめてオラの次に強そうな一人称を提案してみました。
「やめんか!」
(´・ω・(o(`・△・´;)
だめでした。
とーちゃんにオラとオレを禁じられ、
ぐみは、ああ・・・女子に生まれてきたばっかりに、
「わたし」なんていう弱そうな一人称で生きていかなくてはならないのだな・・・
と己の身が女子であることを呪いかけました。
しかし意外にもとーちゃんは「やめんか」の後にこう続けました。
「せめて僕にしなさい」
はい。
許可でました!
これはむしろ指示と言っても過言ではないッ!
しかたねえ。
しかたねえな!僕にしてやるよ!(°∀°)b
そんなわけで、その日以来自分のことは「ぼく」と呼ぶようになりました。
しれっとあちこちで「オレ」も使ってましたが、
叱られるのでとーちゃんやかーちゃんの前では極力「ぼく」で通しました。
今では「わたし」ですが、
いい子にしたいとき、かわいがられたいとき、ちょっとした甘え心が発生したときには、
無意識に「ぼく」に戻ってしまうようです。
わたしにとって「ぼく」は子ども時代を象徴する一人称ですね。
今でもつい「ぼく」を使ってしまう例として、最も頻度が高いと思われるのは、
「ぼくも行くー!」
です。
自分でもちょっと厄介だとは思っているんですが、
人からは自由でありたいくせに、
時として、なついた相手にべったりいつまでもどこまでもついて行こうとするのです。
さびしんぼう病ですね。
「ぼくは」とか「ぼくが」よりも、断然「ぼくも」という流れで使われることが多いのです。
あと、
お願い事があるときとか。
かわいいと思ってやるわけではないですよ。
ただ、子どもの心に少し戻ることで、
素直に頼ったり甘えたりがしやすくなるということだと思います。
うっとうしいっすね。めんどくさいっすね。
ほんとに、無意識で「ぼく」に戻るんですよ。自分でもどうかと思いますけどね。ええ。
ねいさん、
ぼく、ケーキが食べたいな。
とーちゃんが教えてくれたこと2
ぐみの生まれ育った小山家は5人家族。
とーちゃん
かーちゃん
ねーちゃん(長女)
ぐみ(次女)
ややちゃん(三女)
平凡なサラリーマンの家庭だが、
本当に「普通」なんてことはこの世にない。
5人の家族が巻き起こす、
たいしたことのない事件や問題。
くだらない会話。しょうもない伝説。
普通に普通じゃない日常の思い出の記録です。
お暇な方はどうぞおつきあいくださいませ。
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とーちゃんが教えてくれたこと2
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昨日の記事で、うちのとーちゃんのイメージが悪くなってしまったに違いありません。
なにもそんな怖いばっかりの人じゃあないので、
連続になりますが、今日もとーちゃんのお話を。
とーちゃんは昨日の記事のように、本人が意図せずにして
大切なことを子どもたちに教えてくれたりもしますが、
自らためになるろくでもないことを教えてくれることもあります。
曰く、
「車で、赤に変わりそうな信号に突っ込んでいくとき、最後の一台になってはいけない」
たとえ途中で赤に変わってしまった場合でも、最後の一台にならなければセーフという
非常識な教えです。ろくでもないですね。
警察に捕まるとしてもそれは最後尾の一台だから、その前であれば逃げ切れるから大丈夫という発想です。
なるほど・・・!と思ったのは内緒です。
もちろん基本的に無理に進んではいけませんよ。
ぎりぎりの判断をするときは、こういう理屈があるよ、というちょっと悪い教えです。
黄色は止まれですからね。ええ。
曰く、
「男と二人で焼肉を食べに行ってはいけない」
焼肉を食べてる男女はとーちゃんの中ではデキているのだそうです。
また、人からそういう目で見られるから、それはしちゃいけないよ、という教えでもあります。
こういう無駄に思い込みの強い過保護な教えを守って生きているうちに、姉も私もいい年になりました。
まったくろくでもない教えです。
曰く、
「大丈夫だ。どんな綺麗な家でも、よく探せば●●毛の一本や二本落ちてる」
書くかどうか迷いましたが、とーちゃんの教えの中ではかなりためになったものなので載せます。
これは、友達の家に遊びに行った私が帰ってきて、
「すごくきれいに片付いててかわいいお部屋だった。人の家に行くと自分のだめさを痛感する」
とこぼしたところ、そんな私を勇気づけようとして言ってくれたセリフです。
どんな例えだよ。とは思うものの、たしかにその通りだろうとも思います。
たぶんどんな家にでも、よく探せば●●毛の一本や二本は落ちているだろうと思います。
そこに着眼して生きるのは嫌ですが、完璧なものなど存在しないのだから、そう自分を卑下することはない、
というひとつの真実の教えではあると思います。
もっとも、この場合少し的外れではありましたが。
ちなみに●●に入る言葉については、読者の皆様にお任せいたします。
一番最低なやつです。
あれ、これとーちゃんのイメージ悪くしてる?
そんなことないよね?
当然まともなこともいっぱい教えてくれるんですが、
そういうのは右から左で、記憶に残るのはこういうろくでもないことばかりなんです。
ほら・・・インパクトがね・・・。
ごめんとーちゃん。
