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日本十大家紋の一つ「沢瀉紋」

沢瀉は、オモダカ科の多年生水草で、沼、池、沢などに自生します。

沢瀉文様は平安時代から特異な葉形と可憐な花が愛され、文様として広く用いられていました。家紋として採用された理由は明らかではないですが、沢瀉は「勝ち草」ち呼ばれており縁起の良い草という意味で用いられたといわれていわれています。しかし、これは武士が好んでしようしていたため、後代にこじつけられたものといえるでしょう。

沢瀉紋は種類も多く、形状も多種多様ですが、大別すると葉だけの「葉沢瀉紋」、花と葉を組み合わせたものを「花沢瀉紋」と呼びます。また葉の数は1つから9つまであり、また水を添えたものを「水沢瀉」といいます。

県別にみますと、静岡、埼玉、長野、愛知県や京都府に多くみられ、山口、宮崎、山梨、石川、鹿児島、秋田県にはあまり見られない。(引用:日本家紋総鑑など)

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山梨県の村上さんに多く見られる紋柄は…

山梨県の村上さんに多く見られる家紋は、石持ち地抜き剣片喰、丸に剣片喰、丸に上の字、丸に梅鉢、丸に上記ご紹介の家紋の殆どは清和源氏頼清流が出自の紋です。

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源氏物語(一帖「桐壺」第三章 光る源氏の物語 第七段、第八段)

第三章 光る源氏の物語

 [第七段 源氏、左大臣家の娘(葵上)と結婚]
 その夜、大臣のお邸に源氏の君を退出させなさる。婿取りの儀式は世に例がないほど立派におもてなし申し上げなさった。とても若くおいでなのを、不吉なまでにかわいいとお思い申し上げなさった。女君は少し年長でおいでなのに対して、婿君がたいそうお若くいらっしゃるので、似つかわしくなく恥ずかしいとお思いでいらっしゃった。
 この大臣は帝のご信任が厚い上に、姫君の母宮が帝と同じ母后のお生まれでいらっしゃったので、どちらから言っても立派な上に、この君までがこのように婿君としてお加わりになったので、東宮の御祖父で、最後には天下を支配なさるはずの右大臣のご威勢も、敵ともなく圧倒されてしまった。
 ご子息たちが大勢それぞれの夫人方にいらっしゃる。宮がお生みの方は、蔵人少将でたいそう若く美しい方なので、右大臣が、左大臣家とのお間柄はあまりよくないが、他人として放っておくこともおできになれず、大切になさっている四の君に婿取りなさっていた。劣らず大切にお世話なさっているのは、両家とも理想的な婿舅の間柄である。
 源氏の君は、主上がいつもお召しになって放さないので、気楽に私邸で過すこともおできになれない。心中では、ひたすら藤壺のご様子を、またといない方とお慕い申し上げて、「そのような女性こそ妻にしたいものだ、似た方もいらっしゃらないな。大殿の姫君は、たいそう興趣ありそうに大切に育てられている方だと思われるが、少しも心惹かれない」というように感じられて、幼心一つに思いつめて、とても苦しいまでに悩んでいらっしゃるのであった。

 [第八段 源氏、成人の後]
 元服なさってから後は、かつてのように御簾の内側にもお入れにならない。管弦の御遊の時々、琴と笛の音に心通わし合い、かすかに漏れてくるお声を慰めとして、内裏の生活ばかりを好ましく思っていらっしゃる。五、六日は内裏に伺候なさって、大殿邸には二、三日程度、途切れ途切れに退出なさるが、まだ今はお若い年頃であるので、つとめて咎めだてすることなくお許しになって、婿君として大切にお世話申し上げなさる。
 お二方の女房たちは、世間から並々でない人たちをえりすぐってお仕えさせなさる。お気に入りそうなお遊びをし、せいいっぱいにお世話していらっしゃる。
 内裏では、もとの淑景舎をお部屋にあてて、母御息所にお仕えしていた女房を退出して散り散りにさせずに引き続いてお仕えさせなさる。
 実家のお邸は、修理職や内匠寮に宣旨が下って、またとなく立派にご改造させなさる。もとからの木立や、築山の様子、趣きのある所であったが、池をことさら広く造って、大騷ぎして立派に造営する。
「このような所に、理想とするような女性を迎えて一緒に暮らしたい」とばかり、胸を痛めてお思い続けていらっしゃる。
 「光る君という名前は、高麗人がお褒め申してお付けしたものだ」と、言い伝えているとのことである。(「源氏物語の世界(渋谷栄一著)」より)
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源氏物語の【0の巻】と呼ぶにふさわしい本。きっと参考になりますよ。




原作に忠実。という訳ではないですが、大筋をつかむにはよいかも…

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新選組隊士の家紋

新選組隊士の家紋のご紹介です。歴史上でこれほどの人物がひとつのグループ(隊)に属し活躍するのも、めずらしい事かと思いますが、今回は私の独断と偏見で9人の隊士の家紋を掲載させて頂きます。
この他の隊士の家紋をお知りになりたい方は、「家紋市場」までお問い合わせくださいませ。

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珍紋「串団子紋」はコワカワイイ?!

斜めの串に団子が三つ刺さった「因幡団子」や「つなぎ団子」「丸に二つ串団子」などがありますが、そのバリエーションも多くはなく、珍しい家紋のひとつでしょう。
またこの紋は珍しいだけでなく次のようないわくが伝えられています。
「織田信長と今川義元が合戦の折、陣中で酒宴の最中、信長が山内幸政に団子を三つ串刺しにして、敵の首をこのようにして獲ってみよと賜った。幸政はこれを頂き、功名を挙げ以後、串団子を家紋としたという」(日本家紋総鑑)
単なる後付けの伝承だろうとの見解もありますが、ホラー映画に負けず劣らぬの恐ろしい話と思いませんか。
と思えば一方、京都の花街、祗園甲部、祗園東、上七軒、先斗町、宮川町などには今でも提灯などに団子の紋が見られますが、ここには心温まる話も残っております。
祗園甲部では嘉永四年(1851)当時、八つの町があったので町名の頭文字をつないで円形の紋章にしておりました。円を繋ぐことで団結を表したのでしょう。
その後明治になり、その円を団子に置き換えて、現在の「つなぎ団子に甲の字」となりました。
また祗園東でも茶店時代の由緒から、今もなお「つなぎ団子」が用いられています。
祗園以外でも、上七軒では豊臣秀吉が天正十五年(1587)に催した「北野大茶湯」でお茶屋も多いに強力したので、その褒美として御手洗団子を売る特権を与えられました。これにちなんで「五つ団子(抱き五つ団子)」を使うようになりました。
このように京都の花街では、血なまぐさい経緯ではなく褒美や地域の団結の印として「団子紋」が伝えられています。
ちなみに、先斗町は「千鳥紋」、宮川町「三つ輪紋」が使われています。

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