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格式高い村上源氏の竜胆紋

[もっとも格が高い村上源氏]
嵯峨天皇が、源氏を与えて皇族の身分から離れさせた嵯峨源氏をはじめ、平安時代には、皇室から離れて源氏を名乗った家が多くありました。源氏の一族の系統は、先祖である天皇の名前をつけて、◯◯源氏」と呼ばれています。
源氏の中でももっとも格が高く、有力とされたのが、村上天皇を先祖に持つ村上源氏です。
村上源氏の流れを汲む一族は、竜胆の家紋を用いています。秋に可憐な青い花を咲かせる竜胆は、古くから貴族に愛されてきた植物で、竜胆と書くのは、漢方にも使われる根があまりに苦く、「竜の胆のようだ」といわれていたことに由来します。

[ほかの源氏に広まった竜胆の家紋]
村上源氏から分家した久我家、中院家、中院家から分かれた六条家、岩倉家のほか、後商の赤松家なども、竜胆の紋を用いています。幕末から明治時代に活躍した岩倉具視は、村上源氏の支流で、家紋は葉と竜胆を合わせた笹竜胆紋を用いています。また、宇多天皇を先祖に持つ宇多源氏の一部も、竜胆の家紋となっています。
江戸時代には、清和源氏と村上源氏が混同され、清和源氏の流れを汲む伊勢亀山藩(三重県)の石川家(石川数正の叔父・家成の系統)、備前岡山藩(岡山県)の池田家(池田輝政・光政の系統)のほか、幕臣の本堂家、木曽家、馬場家なども竜胆の家紋を用いました。現在は、鎌倉市が、源氏にちなんで竜胆を市章に用いています。

源頼朝が狩りをしていたとき、少女だった北条政子が竜胆の花を差し出したことから、源氏の家紋が笹竜胆紋となったといわれています。
(引用:よくわかる!名字と家紋(PHP研究所))

$日日是家紋-竜胆紋




源氏物語(二帖「帚木」第三章 空蝉の物語 第二段)

 [第二段 紀伊守邸への方違へ]
 「あまりに急なことで」と迷惑がるが、誰も聞き入れない。寝殿の東面をきれいに片づけさせて、急拵えのご座所を設けた。遣水の趣向などは、それなりに趣深く作ってある。田舎家風の柴垣を廻らして、前栽など気を配って植えてある。風が涼しく吹いて、どこからともない微かな虫の声々が聞こえ、蛍がたくさん飛び交って、趣のある有様である。
 供人たちは、渡殿の下から湧き出ている泉に臨んで座って、酒を飲む。主人の紀伊守もご馳走の準備に走り回っている間、源氏の君はゆったりとお眺めになって、あの人たちが、中の品の例に挙げていたのは、きっとこういう程度の家の女性なのだろう、とお思い出しになる。
 高い望みをもっていたようにお耳になさっていた女性なので、どのような女性かと知りたくて耳を澄ましていらっしゃると、この寝殿の西面に人のいる様子がする。衣ずれの音がさらさらとして、若い女性の声々が愛らしい。そうは言っても小声で、笑ったりなどする様子は、わざとらしい。格子を上げてあったが、紀伊守が、「不用意な」と小言を言って下ろしてしまったので、火を灯している明りが、襖障子の上から漏れているので、そっとお近寄りになって、「見えるだろうか」とお思いになるが、隙間もないので、少しの間お聞きになっていると、自分に近い方の母屋に集っているのであろう、ひそひそ話している内容をお聞きになると、ご自分の噂話のようである。
 「とてもたいそう真面目ぶって。まだお若いのに、高貴な北の方が定まっていらっしゃるとは、なんとつまらないのでしょう」
 「でも、人の知らない所では、うまくもまあ、隠れて通っていらっしゃるということですよ」
 などと噂しているのにつけても、胸の内にあることばかりが気にかかっていらっしゃるので、まっさきにどきりとして、「このような噂話の折にも、人が言い漏らすようなことを、人が聞きつけるような事が起こったら」などとご心配なさる。
 別段のこともないので、途中まで聞いてお止めになった。式部卿宮の姫君に、朝顔の花を差し上げなさった時の和歌などを、少し文句を違えて語るのが聞こえる。「ゆったりと和歌を口にすることよ、やはり見劣りすることだろう」とお思いになる。
 紀伊守が出て来て、灯籠を掛け添え、灯火を明るく掻き立てたりして、お菓子ぐらいのものを差し上げた。
 「帷帳の準備も、いかがなっておるか。そうした方面の趣向もなくては、興醒めなもてなしであろう」とおっしゃると、
 「はて、何がお気に召しますやら、わかりませんので」と、恐縮して控えている。端の方のご座所に、うたた寝といったふうに横におなりになると、供人たちも静かになった。
 主人の子供たちが、かわいらしい様子をしている。その子供で、童殿上している間に見慣れていらっしゃっるのもいる。伊予介の子もいる。大勢いる中で、とても感じが上品で、十二、三歳くらいになるのもいる。
 「どの子が誰の子か」などと、お尋ねになると、
 「この子は、故衛門督の末っ子で、大変にかわいがっておりましたが、まだ幼いうちに親に先立たれまして、姉につながる縁で、こうしてここにいるわけでございます。学問などもできそうで、悪くはございませんが、童殿上なども考えておりますが、すらすらとはできませんようで」と申し上げる。
 「気の毒なことだ。この子の姉君が、そなたの継母か」
 「さようでございます」と申し上げると、
 「年に似合わない継母を、持ったことだなあ。主上におかれてもお耳にお忘れにならず、『宮仕えに差し上げたいと、ちらと奏上したことは、その後どうなったのか』と、いつであったか仰せられた。人の世とは無常なものだ」と、とても大人びておっしゃる。
 「思いがけず、こうしているのでございます。男女の仲と言うものは、所詮、そのようなものばかりで、今も昔も、どうなるか分からないものでございます。中でも、女の運命は定めないのが、哀れでございます」などと申し上げて途中で止める。
 「伊予介は、大事にしているか。主君と思っているだろうな」
 「どう致しまして。内々の主君として世話しておりますようですが、好色がましいことだと、わたくしめをはじめとして、納得できないほどでございます」などと申し上げる。
 「そうは言っても、そなたたちのような年に相応しく当世風の人に、譲るであろうか。あの伊予介は、なかなか風流心があって、気取っているからな」などと、お話なさって、
 「で、どこに」
 「皆、下屋に下がらせましたが、まだ下がりきらないで残っているかも知れません」と申し上げる。
 酔いが回って、供人は皆は簀子にそれぞれ横になって、寝静まってしまった。(「源氏物語の世界(渋谷栄一著)」より)
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蘇我氏と並ぶほどの隠れた名家・土師氏

「土師」という名字を見たことがあるでしょうか。今では珍しい名字ですが、「蘇我」や「物部」などと並んで古代からある由緒正しい名字です。
古代、大王が死ぬと、仕えていた奴婢など、多くの人々があの世に行ってからも身の回りの世話をするために、生きたまま埋められました。しかし、やがて生きた人間のかわりに、素焼きの人形や馬・家などを副葬品として古墳に埋めるようになります。これが埴輪で、これらをつくっていた人達を「はにし」と呼び、「土師」という漢字をあてました。やがて、「はにし」は「はじ」となり、あまり栄えることもなく、衰退していきました。
のちに一族は姓を変えることで家運の隆盛をはかろうと、当時住んでいた地名を名字にしました。土師氏から出た一族では、山城国大枝(現在の京都市)の地名をつけた大江氏と、大和国菅原(奈良県)の地名からつけた菅原氏が最も有名です。
菅原氏は学問の家として栄え、菅原道真が出ました。道真は太宰府に流されて、そこで生涯を終えるのですが、子孫は数家に分かれて公家となりました。直系の子孫は、今でも道真公を祭った太宰府天満宮の神宮をつとめています。一方、大江氏は貴族としては栄えることはできませんでしたが、鎌倉初期に大江広元が鎌倉に下って源頼朝に仕え、鎌倉幕府の骨格を固めるのに尽力しました。以後子孫は武士となり、多くの一族が出ています。中でも一番有名なのが戦国大名毛利氏です。
現在、「土師」という姓はあまりありません。しかも、関西では「はせ」あるいは「はぜ」と読ませることが多いようです。中には、「土師」で「はじ」とは読めないという理由で、文字通り「どし」と変えてしまった家もあります。(引用:名字の謎)

原さんと桜井さんで村民の八割を占める村

長野県南部、JR飯田線の飯田駅からバスで50分ほど行ったところに下伊那郡清内路村という小さな村があります。木曽山脈の東側の斜面で、村内の97%が山林という人口900人にも満たない小さな村です。清内路峠で木曽山脈を越えると、中山道の妻籠宿につきます。
この村の村長は原満征といいます。教育委員長が桜井で、教育長は原です。 一方議会の方は、桜井議長と桜井副議長以下、原議員が3名と、桜井議員が3名います。10人の議員のうち、原姓と桜井姓の議員が計8人もいます。また、選管委員長と消防団長が原、老人クラブの会長も原です(いずれも平成9年現在)。
なんと、この村では原と桜井という2つの名字だけで、全人口の約八割を占めているのです。他には野村姓が5%ほどあり、三世帯以上の名字は、他に熊谷しかありません。その他の名字はすべて二世帯以下です。文献で調べてみると、永正17年(1520年)、伊那地方の豪族・下条氏が木曽義宗を攻めたときに清内路村から原伝左衛門が従ったとあり、「原」姓はかなり古くからこの地にいたことがわかります。戦国時代には上清内路に原氏が、下清内路に桜井氏が住んでいました。
また、この村は、名字の数も極端に少ないことで知られています。人口が1000人を切っているような小さな村でも、普通100種類以上の名字があります。ところが、清内路村にはわずか36種類の名字しかありません。
清内路村以外では、鹿児島県鹿島村でも中野・橋野の二つの姓が大変多いのですが、それでも両方あわせて50%に届かず、清内路村の八割というのは、ものすごい数だということがわかります。(引用:名字の謎)


源氏物語(二帖「帚木」第三章 空蝉の物語 第一段)

第三章 空蝉の物語

 [第一段 天気晴れる]
 やっと今日は天気も好くなった。こうしてばかり籠っていらっしゃるのも、左大臣殿のお気持ちが気の毒なので、退出なさった。
 邸内の有様や、姫君の様子も、端麗で気高く、くずれたところがなく、やはり、この女君こそは、あの、人びとが捨て置き難く取り上げた実直な妻としては信頼できるだろう、とお思いになる一方では、度を過ぎて端麗なご様子で、打ち解けにくく気づまりな感じにとり澄ましていらっしゃるのが物足りなくて、中納言の君や中務などといった、人並み優れている若い女房たちに、冗談などをおっしゃりおっしゃりして、暑さにお召し物もくつろげていらっしゃるお姿を、素晴らしく美しい、と思い申し上げている。
 左大臣殿もお渡りになって、くつろいでいらっしゃるので、御几帳を間に立ててお座りになって、お話を申し上げなさるのを、「暑いのに」と苦い顔をなさるので、女房たちは笑う。「お静かに」と制して、脇息に寄り掛かっていらっしゃる。いかにも大君らしい鷹揚なお振る舞いであるよ。
 暗くなるころに、
 「今夜は、天一神が、内裏からこちらの方角へは方塞がりになっております」と申し上げる。
 「そうですわ。普通は、お避けになる方角でありますよ」
 「二条院も同じ方角であるし、どこに方違えをしようか。とても気分が悪いのに」
 と言って寝所で横になっていらっしゃる。「大変に具合悪いことです」と、誰彼となく申し上げる。
 「紀伊守で親しくお仕えしております者の、中川の辺りにある家が、最近川の水を堰き入れて、涼しい木蔭でございます」と申し上げる。
 「とても良い考えである。気分が悪いから、牛車のままで入って行かれる所を」
 とおっしゃる。内密の方違えのお邸は、たくさんあるに違いないが、長いご無沙汰の後にいらっしゃったのに、方角が悪いからといって、期待を裏切って他へ行ったとお思いになるのは、気の毒だと思われたのであろう。紀伊守に御用を言い付けなさると、お引き受けは致したものの、引き下がって、
 「伊予守の朝臣の家に、慎み事がございまして、女房たちが来ている時なので、狭い家でございますので、失礼に当たる事がありはしないか」
 と、陰で嘆息しているのをお聞きになって、
 「そうした人が近くにいるのが、嬉しいのだ。女気のない旅寝は、何となく不気味な心地がするからね。ちょうどその几帳の後ろに」とおっしゃるので、
 「なるほど、適当なご座所で」と言って、使いの者を走らせる。とてもこっそりと、格別に大げさでない所をと、急いでお出になるので、左大臣殿にもご挨拶なさらず、お供にも親しい者ばかり連れておいでになった。(「源氏物語の世界(渋谷栄一著)」より)
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