日日是家紋 -13ページ目

子孫繁栄の北条家の三つ鱗紋

美女に化けた蛇が残した鱗
 鎌倉時代に幕府の執権として活躍した北条家の家紋は、三つ鱗という三角形を3つ並べた文様です。この家紋は、北条家に伝わる伝説にもとづいてつくられています。
 その伝説とは、「北条時政が、江ノ島(神奈川県藤沢市)の弁財天に参拝したところ、美女が現れて子孫繁栄を予言した。美女は大蛇に化けて海に消え、その地に3枚の鱗が落ちていた」というものです。

鎌倉幕府で権力を握った北条家
 北条家は桓武平氏の出身でありながら、北条時政の長女・政子は、源氏の源頼朝と結婚。時政は当初政子の結婚に反対したものの、政子の意志に負けて結婚を許し、結果的には、頼朝の男となることで鎌倉幕府の権力を握ることになりました。
 後醍醐天皇や足利尊氏によって鎌倉幕府が倒されたときに、北条家の嫡流は戦死または自害して滅亡しましたが、その残党が全国各地で生き残りました。
 一方、戦国時代に小田原城の城主となって活躍した北条氏は、執権北条家の遠い血縁にあたり、直系とはほとんど関係がないことから後北条氏と呼ばれています。
 桓武平氏流伊勢家の出身の伊勢盛時が関東地方に勢力を拡大したとき、鎌倉の北条の名を利用しようと考えて、北条早雲と名乗ったことが後北条氏のはじまりです。早雲は、北条氏の家紋である三つ鱗の三角形の高さを少し変えた家紋を用いています。

$日日是れ家紋-家紋市場リンク用5,910を超える家紋一覧はコチラでご覧頂けます。



源義経 一の谷合戦の謎


知識ゼロからの「日本の家紋」入門


日本の家紋 デジタル版

源氏物語(三帖「空蝉」光る源氏十七歳夏の物語 第四段)

[第四段 空蝉逃れ、源氏、軒端荻と契る]

 女は、あれきりお忘れなのを嬉しいと努めて思おうとはするが、不思議な夢のような出来事を、心から忘れられないころなので、ぐっすりと眠ることさえできず、昼間は物思いに耽り、夜は寝覚めがちなので、春ではないが、「木の芽」ならぬ「この目」も、休まる時なく物思いがちなのに、碁を打っていた君は、「今夜は、こちらに」と言って、今の子らしくおしゃべりして、寝てしまったのだった。
 若い女は、無心にとてもよく眠っているのであろう。このような感じが、とても香り高く匂って来るので、顔を上げると、単衣の帷子を打ち掛けてある几帳の隙間に、暗いけれども、にじり寄って来る様子が、はっきりとわかる。あきれた気持ちで、何とも分別もつかず、そっと起き出して、生絹の単衣を一枚着て、そっと抜け出したのだった。
 源氏の君はお入りになって、ただ一人で寝ているのを安心にお思いになる。床の下の方に二人ほど寝ている。衣を押しやってお寄り添いになると、先夜の様子よりは、大柄な感じに思われるが、お気づきなさらない。目を覚まさない様子などが、妙に違って、だんだんとおわかりになって、意外なことに癪に思うが、「人違いをしてまごまごしていると見られるのも愚かしく、変だと思うだろう、目当ての女を探し求めるのも、これほど避ける気持ちがあるようなので、甲斐なく、間抜けなと思うだろう」とお思いになる。あの美しかった灯影の女ならば、何ということはないとお思いになるのも、けしからぬご思慮の浅薄さと言えようよ。
 だんだんと目が覚めて、まことに思いもよらぬあまりのことに、あきれた様子で、特にこれといった思慮があり気の毒に思うような心づかいもない。男女の仲をまだ知らないわりには、ませたところがある方で、消え入るばかりに思い乱れるでもない。自分だとは知らせまいとお思いになるが、どうしてこういうことになったのかと、後から考えるだろうことも、自分にとってはどうということはないが、あの薄情な女が、強情に世間体を憚っているのも、やはり気の毒なので、度々の方違えにかこつけてお越しになったことを、うまくとりつくろってお話しになる。よく気のつく女ならば察しがつくであろうが、まだ経験の浅い分別では、あれほどおませに見えたようでも、そこまでは見抜けない。
 憎くはないが、お心惹かれるようなところもない気がして、やはりあのいまいましい女の気持ちを恨めしいとお思いになる。「どこにはい隠れて、愚か者だと思っているのだろう。このように強情な女はめったにいないものを」とお思いになるのも、困ったことに、気持ちを紛らすこともできず思い出さずにはいらっしゃれない。この女の、何も気づかず、初々しい感じもいじらしいので、それでも愛情こまやかに将来をお約束しおかせなさる。
 「世間に認められた仲よりも、このような仲こそ、愛情も勝るものと、昔の人も言っていました。あなたもわたし同様に愛してくださいよ。世間を憚る事情がないわけでもないので、わが身ながらも思うにまかすことができなかったのです。また、あなたのご両親も許されないだろうと、今から胸が痛みます。忘れないで待っていて下さいよ」などと、いかにもありきたりにお話しなさる。
 「人が何と思いますことかと恥ずかしくて、お手紙を差し上げることもできないでしょう」と無邪気に言う。
 「誰彼となく、他人に知られては困りますが、この小さい殿上童に託して差し上げましょう。何げなく振る舞っていて下さい」
 などと言い置いて、あの脱ぎ捨てて行ったと思われる薄衣を手に取ってお出になった。
 小君が近くに寝ていたのをお起こしになると、不安に思いながら寝ていたので、すぐに目を覚ました。妻戸を静かに押し開けると、年老いた女房の声で、
 「そこにいるのは誰ですか」
 と仰々しく尋ねる。厄介に思って、
 「僕です」と答える。
 「夜中に、これはまた、どうして外をお歩きなさいますか」
 と世話焼き顔で、外へ出て来る。とても腹立たしく、
 「何でもありません。ここに出るだけです」
 と言って、源氏の君をお出し申し上げると、暁方に近い月の光が明るく照っているので、ふと人影が見えたので、
 「もう一人いらっしゃるのは、誰ですか」と尋ねる。
 「民部のおもとのようですね。けっこうな背丈ですこと」
 と言う。背丈の高い人でいつも笑われている人のことを言うのであった。老女房は、その人を連れて歩いていたのだと思って、
 「今そのうちに、同じくらいの背丈におなりになるでしょう」
 と言い言い、自分もこの妻戸から出て来る。困ったが、押し返すこともできず、渡殿の戸口に身を寄せて隠れて立っていらっしゃると、この老女房が近寄って、
 「お前様は、今夜は、上に詰めていらっしゃったのですか。一昨日からお腹の具合が悪くて、我慢できませんでしたので、下におりていましたが、人少なであると言ってお召しがあったので、昨夜参上しましたが、やはり我慢ができないようなので」
 と苦しがる。返事も聞かないで、
 「ああ、お腹が、お腹が。また後で」と言って通り過ぎて行ったので、ようやくのことでお出になる。やはりこうした忍び歩きは軽率で良くないものだと、ますますお懲りになられたことであろう。
(「源氏物語の世界(渋谷栄一著)」より)
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


源氏物語の【0の巻】と呼ぶにふさわしい本。きっと参考になりますよ。



$日日是れ家紋-家紋市場リンク用5,900を超える家紋一覧はコチラでご覧頂けます。


原作に忠実。という訳ではないですが、大筋をつかむにはよいかも…

千年の恋 ひかる源氏物語 [DVD]
東映ビデオ (2002-09-21)
売り上げランキング: 33101


$日日是れ家紋-家紋市場リンク用オリジナル家紋グッズの作成はコチラからどうぞ。

徳川家の独占となった葵紋

加茂神社の葵を家紋に

徳川家の家紋は徳川葵とも呼ばれ、ワマノスズクサ科の多年草・フタパアオイの葉を図案化したものです。葵は古くから神聖なものとされ、上賀茂神社と下鴨神社からなる京都の賀茂利時土では、毎年5月15日に行われる祭りを葵祭と呼んでいます。葵祭は牛車や衣冠などをアオイの葉で飾っていたことからその名がつけられました。
賀茂神社の神紋は、二重葵という葵を写実的に表したもので、賀茂葵とも呼ばれています。賀茂神社の氏子である丹波西国家のほか、三河松平家とその家臣である本多家も葵紋を用L、ています。三河松平家出身の徳川家も、賀茂神社と関係があったと推測されています。

徳川・松平家が青いもんの使用を独占

徳川家康は、源氏の子孫であると称していましたが、家紋は源氏ゆかりの文様ではなく、葵を用いていました。家康が将軍になると、将軍家は三つ葵という3枚の葵の葉の文様を家紋とします。
そして、徳川・松平家以外の者がむやみに用いることを厳しく禁止して、葵紋を神聖化しようとしました。しかし、家康家臣の本多忠勝は「自分の先祖は賀茂神社の神職である」と、葵紋を使用し続けましたが、デザインは徳川家と異なる本多立ち葵紋となっています。
尾州徳川、紀州徳川、水戸徳川のいわゆる徳川御三家では、徳川葵紋を変化させた三つ葵紋のほか、紀州六つ葵、水戸六つ葵も使用しています。また、徳川家の本流である松平家も、将軍家とデザイン違いの三つ葵や葵紋のバリエーションを用いています。

$日日是れ家紋-家紋市場リンク用5,900を超える家紋一覧はコチラでご覧頂けます。



源義経 一の谷合戦の謎


知識ゼロからの「日本の家紋」入門


日本の家紋 デジタル版

源氏物語(三帖「空蝉」光る源氏十七歳夏の物語 第三段)

[第三段 空蝉と軒端荻、碁を打つ]
 灯火が近くに灯してある。母屋の中柱に横向きになっている人が自分の思いを寄せている人かと、まっさきに目をお留めになると、濃い紫の綾の単重襲のようである。何であろうか、その上に着て、頭の恰好は小さく小柄な人で、見栄えのしない姿をしているのだ。顔などは、向かい合っている人などにも、特に見えないように気をつけている。手つきも痩せ痩せした感じで、ひどく袖の中に引き込めているようだ。
 もう一人は、東向きなので、すっかり見える。白い羅の単衣に、二藍の小袿のようなものを、しどけなく引っ掛けて、紅の袴の腰紐を結んでいる際まで胸を露わにして、嗜みのない恰好である。とても色白で美しく、まるまると太って、大柄の背の高い人で、頭の恰好や額の具合は、くっきりとしていて、目もと口もとが、とても愛嬌があり、はなやかな容貌である。髪はとてもふさふさとして、長くはないが、垂れ具合や、肩のところがすっきりとして、どこをとっても悪いところなく、美しい女だ、と見えた。
 道理で親がこの上なくかわいがることだろうと、興味をもって御覧になる。心づかいに、もう少し落ち着いた感じを加えたいものだと、ふと思われる。才覚がないわけではないらしい。碁を打ち終えて、だめを押すあたりは、機敏に見えて、陽気に騷ぎ立てると、奥の人は、とても静かに落ち着いて、
 「お待ちなさいよ。そこは、持でありましょう。このあたりの、劫を先に数えましょう」などと言うが、
 「いやはや、今度は負けてしまいましたわ。隅の所は、どれどれ」と指を折って、「十、二十、三十、四十」などと数える様子は、伊予の湯桁もすらすらと数えられそうに見える。少し下品な感じがする。
 極端に口を覆って、はっきりとも見せないが、目を凝らしていらっしゃると、自然と横顔も見える。目が少し腫れぼったい感じがして、鼻筋などもすっきり通ってなく老けた感じで、はなやかなところも見えない。言い立てて行くと、悪いことばかりになる容貌をとてもよく取り繕って、傍らの美しさで勝る人よりは嗜みがあろうと、目が引かれるような態度をしている。
 朗らかで愛嬌があって美しいそうなのを、ますます得意満面に気を許して、笑い声などを上げてはしゃいでいるので、はなやかさが多く見えて、そうした方面ではそれなりにとても美しい人である。軽率であるとはお思いになるが、お堅くないお心には、この女も捨てておけないのであった。
 ご存じの範囲の女性は、くつろいでいる時がなく、取り繕って横顔を向けたよそゆきの態度ばかりを御覧になるだけだが、このように気を許した女の様子ののぞき見などは、まだなさらなかったことなので、気づかずにすっかり見られているのは気の毒だが、しばらく御覧になりたいとは思いながらも、小君が出て来そう気がするので、そっとお出になった。
 渡殿の戸口に寄り掛かっていらっしゃっる。とても恐れ多いと思って、
 「珍しくお客がおりまして、近くにまいれません」
 「それでは、今夜も帰そうとするのか。まったくあきれて、ひどいではないか」とおっしゃると、
 「いいえ決して。あちらに帰りましたら、きっと手立てを致しましょう」と申し上げる。
 「そのように何とかできそうな様子なのであろう。子供であるが、物事の事情や、人の気持ちを読み取れるくらい落ち着いているから」と、お思いになるのであった。
 碁を打ち終えたのであろうか、衣ずれの音のする感じがして、女房たちが各部屋に下がって行く様子などがするようである。
 「若君はどこにいらっしゃるのでしょうか。この御格子は閉めましょう」と言って、物音を立てさせているのが聞こえる。
 「静かになったようだ。入って、それでは、うまく工夫せよ」とおっしゃる。
 この子も、姉のお気持ちは曲がりそうになく堅物でいるので、話をつけるすべもなくて、人少なになった時にお入れ申し上げようと考えるのであった。
 「紀伊守の妹も、ここにいるのか。わたしにのぞき見させよ」とおっしゃるが、
 「どうして、そのようなことができましょうか。格子には几帳が添え立ててあります」と申し上げる。
 もっともだ、しかしそれでも興味深くお思いになるが、「見てしまったとは言うまい、気の毒だ」とお思いになって、夜の更けて行くことの遅いことをおっしゃる。
 今度は、妻戸を叩いて入って行く。女房たちは皆静かに寝静まっていた。
 「この障子の口に、僕は寝ていよう。風よ吹き抜けておくれ」と言って、畳を広げて横になる。女房たちは、東廂に大勢寝ているのだろう。妻戸を開けた女童もそちらに入って寝てしまったので、しばらく空寝をして、灯火の明るい方に屏風を広げて、うす暗くなったところに、静かにお入れ申し上げる。
 「どうなることか、愚かしいことがあってはならない」とご心配になると、とても気後れするが、手引するのに従って、母屋の几帳の帷子を引き上げて、たいそう静かにお入りになろうとするが、皆寝静まっている夜の、お召物の衣ずれの様子は、柔らかであるのが、かえってはっきりとわかるのであった。
(「源氏物語の世界(渋谷栄一著)」より)
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


源氏物語の【0の巻】と呼ぶにふさわしい本。きっと参考になりますよ。



$日日是れ家紋-家紋市場リンク用5,800を超える家紋一覧はコチラでご覧頂けます。


原作に忠実。という訳ではないですが、大筋をつかむにはよいかも…

千年の恋 ひかる源氏物語 [DVD]
東映ビデオ (2002-09-21)
売り上げランキング: 33101


$日日是れ家紋-家紋市場リンク用オリジナル家紋グッズの作成はコチラからどうぞ。

戦場で目立つ足利家の家紋

軍旗から生まれた二つ引両

 室町幕府の初代将軍・足利尊氏(1305~1358)は、清和源氏の流れを汲む武士で、鎌倉時代には幕府の御家人として活躍した一族の出身です。のちに反鎌倉幕府の兵をあげて、六波羅探題という京都におかれた幕府の重要な拠点を滅ぼしました。後醍醐天皇と協力して幕府を倒したあとは、ひるがえって後醍醐天皇を吉野に追放し、室町幕府を開いて将軍職に就きました。
 足利尊氏の家紋は、二つ引両という丸に2本の線を引いたものです。鎌倉時代初期、武家の棟梁である源頼朝が戦場で白旗を用いていたため、同じデザインの旗を使うことを遠慮して、足利家は旗に線を入れて二つ引両にしたとされています。

家紋でも争ったライバル・新田家

 清和源氏(河内源氏)の源義国を先祖に持つ新田家は、大中黒という家紋を用いています。これは、新田一つ引両紋ともいわれ、丸に1本の横線を引いたものです。
 ライバルであった足利家が二つ引両紋だったのに対し、横線が1本しかない新田家は、家紋に引け目を感じていました。そこで、足利家より優れた家紋にしようと、真ん中の横線を太く描くことで、縁起のよい大中黒という紋にしたといわれています。
 足利家が室町幕府を開いたあとは、足利一族の吉良家、細川家、斯波家、今川家などが次々に足利家と同じ家紋を用いるようになりました。足利一族の血をひく最上義光も二つ引両の家紋を用いています。

$日日是れ家紋-家紋市場リンク用5,800を超える家紋一覧はコチラでご覧頂けます。



源義経 一の谷合戦の謎


知識ゼロからの「日本の家紋」入門


日本の家紋 デジタル版