和市場、新商品のお知らせ11
今や携帯電話の必須アイテムとも言える「携帯クリーナー」と、日本伝統の「家紋」が見事に合体しました。世界に誇れる意匠文化「家紋」を日常生活の中でさりげなくお楽しみください。
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5,950を超える家紋一覧はコチラでご覧頂けます。
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和市場、新商品のお知らせ10
落ち着いたマット調ですので家紋の良さがより引き立ちます。
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源氏物語(三帖「空蝉」光る源氏十七歳夏の物語 第五段)
[第五段 源氏、空蝉の脱ぎ捨てた衣を持って帰る]
小君を、お車の後ろに乗せて、二条院にお帰りになった。出来事をおっしゃって、「幼稚であった」と軽蔑なさって、あの女の気持ちを爪弾きをしいしいお恨みなさる。気の毒で、何とも申し上げられない。
「とてもひどく嫌っておいでのようなので、わが身もすっかり嫌になってしまった。どうして、逢って下さらないまでも、親しい返事ぐらいはして下さらないのだろうか。伊予介にも及ばないわが身だ」
などと、気にくわないと思っておっしゃる。先程の小袿を、そうは言うものの、お召物の下に引き入れて、お寝みになった。小君をお側に寝かせて、いろいろと恨み言をいい、かつまた、優しくお話しなさる。
「おまえは、かわいいけれど、つれない女の弟だと思うと、いつまでもかわいがってやれるともわからない」
と真面目におっしゃるので、とても辛いと思っている。
しばらくの間、横になっていられたが、お眠りになれない。御硯を急に用意させて、わざわざのお手紙ではなく、畳紙に手習いのように思うままに書き流しなさる。
「蝉が殻を脱ぐように、衣を脱ぎ捨てて逃げ去っていったあなたですが
やはり人柄が懐かしく思われます」
とお書きになったのを、懐に入れて持っていた。あの女もどう思っているだろうかと、気の毒に思うが、いろいろとお思い返しなさって、お言伝てもない。あの薄衣は、小袿のとても懐かしい人の香が染み込んでいるので、それをいつもお側近くに置いて見ていらっしゃった。
小君が、あちらに行ったところ、姉君が待ち構えていて、厳しくお叱りになる。
「とんでもないことであったのに、何とか人目はごまかしても、他人の思惑はどうすることもできないので、ほんとうに困ったこと。まことにこのように幼く浅はかな考えを、また一方でどうお思いになっていらっしゃろうか」
と言って、お叱りになる。どちらからも叱られて辛く思うが、あの源氏の君の手すさび書きを取り出した。お叱りはしたものの、手に取って御覧になる。あの脱ぎ捨てた小袿を、どのように、「伊勢をの海人」のように汗臭くはなかったろうか、と思うのも気が気でなく、いろいろと思い乱れて。
西の君も、何とはなく恥ずかしい気持ちがしてお帰りになった。他に知っている人もいない事なので、一人物思いに耽っていた。小君が行き来するにつけても、胸ばかりが締めつけられるが、お手紙もない。あまりのことだと気づくすべもなくて、陽気な性格ながら、何となく悲しい思いをしているようである。
薄情な女も、そのように落ち着いてはいるが、通り一遍とも思えないご様子を、結婚する前のわが身であったらと、昔に返れるものではないが、堪えることができないので、この懐紙の片端の方に、
「空蝉の羽に置く露が木に隠れて見えないように
わたしもひそかに、涙で袖を濡らしております」
(「源氏物語の世界(渋谷栄一著)」より)
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
源氏物語の【0の巻】と呼ぶにふさわしい本。きっと参考になりますよ。
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原作に忠実。という訳ではないですが、大筋をつかむにはよいかも…
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小君を、お車の後ろに乗せて、二条院にお帰りになった。出来事をおっしゃって、「幼稚であった」と軽蔑なさって、あの女の気持ちを爪弾きをしいしいお恨みなさる。気の毒で、何とも申し上げられない。
「とてもひどく嫌っておいでのようなので、わが身もすっかり嫌になってしまった。どうして、逢って下さらないまでも、親しい返事ぐらいはして下さらないのだろうか。伊予介にも及ばないわが身だ」
などと、気にくわないと思っておっしゃる。先程の小袿を、そうは言うものの、お召物の下に引き入れて、お寝みになった。小君をお側に寝かせて、いろいろと恨み言をいい、かつまた、優しくお話しなさる。
「おまえは、かわいいけれど、つれない女の弟だと思うと、いつまでもかわいがってやれるともわからない」
と真面目におっしゃるので、とても辛いと思っている。
しばらくの間、横になっていられたが、お眠りになれない。御硯を急に用意させて、わざわざのお手紙ではなく、畳紙に手習いのように思うままに書き流しなさる。
「蝉が殻を脱ぐように、衣を脱ぎ捨てて逃げ去っていったあなたですが
やはり人柄が懐かしく思われます」
とお書きになったのを、懐に入れて持っていた。あの女もどう思っているだろうかと、気の毒に思うが、いろいろとお思い返しなさって、お言伝てもない。あの薄衣は、小袿のとても懐かしい人の香が染み込んでいるので、それをいつもお側近くに置いて見ていらっしゃった。
小君が、あちらに行ったところ、姉君が待ち構えていて、厳しくお叱りになる。
「とんでもないことであったのに、何とか人目はごまかしても、他人の思惑はどうすることもできないので、ほんとうに困ったこと。まことにこのように幼く浅はかな考えを、また一方でどうお思いになっていらっしゃろうか」
と言って、お叱りになる。どちらからも叱られて辛く思うが、あの源氏の君の手すさび書きを取り出した。お叱りはしたものの、手に取って御覧になる。あの脱ぎ捨てた小袿を、どのように、「伊勢をの海人」のように汗臭くはなかったろうか、と思うのも気が気でなく、いろいろと思い乱れて。
西の君も、何とはなく恥ずかしい気持ちがしてお帰りになった。他に知っている人もいない事なので、一人物思いに耽っていた。小君が行き来するにつけても、胸ばかりが締めつけられるが、お手紙もない。あまりのことだと気づくすべもなくて、陽気な性格ながら、何となく悲しい思いをしているようである。
薄情な女も、そのように落ち着いてはいるが、通り一遍とも思えないご様子を、結婚する前のわが身であったらと、昔に返れるものではないが、堪えることができないので、この懐紙の片端の方に、
「空蝉の羽に置く露が木に隠れて見えないように
わたしもひそかに、涙で袖を濡らしております」
(「源氏物語の世界(渋谷栄一著)」より)
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菊紋を賜った武将
菊紋を賜った4人の武将
菊紋は、皇室の紋とされていましたが、鎌倉時代から戦国時代にかけて、天皇から菊紋を与えられた武士もいました。
鎌倉幕府倒幕のため、後醍醐天皇に協力した足利尊氏(1305~1358)は、後醍醐天皇から菊紋ともう一つの天皇の紋である桐紋を与えられました。
足利尊氏は、もともとは「高氏」と名乗っていましたが、後醍醐天皇の名前から「尊」の字を与えられ「尊氏」と名を変えました。
しかし、その後、足利尊氏は後醍醐天皇を裏切り、みずからが将軍となって室町幕府を成立させました。
農民の出身ながら天下人にのぼりつめた豊臣秀吉は、後陽成天皇から菊紋を与えられ、これを大変喜んだといわれています。秀吉は調度品や衣服など、あらゆるものに菊の紋章を用いていたといいます。
菊紋を辞退した2人
一方、天皇から与えられた菊紋を辞退した武将もいました。楠木正成(楠正成)は、後醍醐天皇に尽くした功績から菊紋を与えられました。しかし、おそれ多いとして、菊の紋をそのまま使わず、菊の花の半分を水に流した菊水紋を用いました。
徳川家康は、天皇から菊紋を与えられたものの、ライバルの足利家がすでに菊紋を賜っていることを理由に、これを辞退しました。家康は皇室の権威を嫌って、名実ともに自分が天下一になろうとしていたのです。
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源義経 一の谷合戦の謎
知識ゼロからの「日本の家紋」入門
日本の家紋 デジタル版
菊紋は、皇室の紋とされていましたが、鎌倉時代から戦国時代にかけて、天皇から菊紋を与えられた武士もいました。
鎌倉幕府倒幕のため、後醍醐天皇に協力した足利尊氏(1305~1358)は、後醍醐天皇から菊紋ともう一つの天皇の紋である桐紋を与えられました。
足利尊氏は、もともとは「高氏」と名乗っていましたが、後醍醐天皇の名前から「尊」の字を与えられ「尊氏」と名を変えました。
しかし、その後、足利尊氏は後醍醐天皇を裏切り、みずからが将軍となって室町幕府を成立させました。
農民の出身ながら天下人にのぼりつめた豊臣秀吉は、後陽成天皇から菊紋を与えられ、これを大変喜んだといわれています。秀吉は調度品や衣服など、あらゆるものに菊の紋章を用いていたといいます。
菊紋を辞退した2人
一方、天皇から与えられた菊紋を辞退した武将もいました。楠木正成(楠正成)は、後醍醐天皇に尽くした功績から菊紋を与えられました。しかし、おそれ多いとして、菊の紋をそのまま使わず、菊の花の半分を水に流した菊水紋を用いました。
徳川家康は、天皇から菊紋を与えられたものの、ライバルの足利家がすでに菊紋を賜っていることを理由に、これを辞退しました。家康は皇室の権威を嫌って、名実ともに自分が天下一になろうとしていたのです。
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