川崎をほっさるく(ぶらぶら散歩する:宮崎弁)
九ちゃんは、川崎生まれなんですね。
ビルボードのシングルチャートで
3週連続1位の快挙。
名曲なのだが、世界的ヒットと言っても、
ビルボードなので世界に展開していた
米軍の範囲内で人気が広まっていった
と言い添えておきたい。
正岡子規の百年忌を記念し、川崎を詠んだ
句「六郷の 橋まで来たり 春の風」が句碑に
刻まれている。
子規は明治時代に川崎を訪れている。
ここは、稲毛神社。
川崎区内で最も古い神社。
以下、神奈川神社庁のHPより。
「ご由緒
ご創建
当神社のご創建の年代は詳らかではあり
ませんが、御神木大銀杏の樹齢が1千年と
推定されるところから、当地の古社であること
がわかります。
社伝によれば、当神社は東国に争乱の
絶えなかった頃、武神・武甕槌神をまつり、
天皇軍の戦勝を祈る社として建てられたと
伝えられています。
第十二代景行天皇が東国御巡遊のおり当神社
に賊難を避けられたといい、第二十九代欽明
天皇の御代、この地方に動乱が絶えなかった
ため、天皇は当神社に幣帛・七串を奉り、新た
に経津主神、菊理媛神、伊弉諾神、伊弉冉神を
配祀せしめられ、戦勝とその後の親和協力を祈
られ、以後長く勅願所であったと伝えられます。
鎌倉時代以降
鎌倉時代には将軍家より社領七百石を賜り、
佐々木四郎高綱公が源頼朝公の命を受けて
御社殿の造営に当たりました。
足利時代には、当時の神主が新田家と関係が
深かったため社領を二十石に削られてしまいま
した。
しかしこの時代の信仰の深さを物語
る史料として、応永十一年(一四〇四)
の大般若経六百巻施入の記録があります。
また新潟県の国上寺に現存する長禄二年
(一四五八)銘の鰐口は河崎山王社すなわ
ち当社に奉献されたものです。
秀吉公および江戸幕府からは二十石を賜りま
した。
とくに家康公江戸入府に際し天海僧正ご巡見
の参拝あり、随神門、神馬等の寄進を受けたと
伝えられます。
江戸時代中期以降は平和な時代風潮の中
で殷賑を極め、社家九家社人十三人を擁し、
川崎宿および河崎七ヶ村の鎮守として広く
近隣一円の崇敬を集め、 例大祭「河崎山王
まつり」は六月十五日に行われ、その盛況な
さまから「東の祇園」と称されて街道名物の
一つとなっていました。
ご社名
当神社は初め御祭神の御名をそのままとって、
「武甕槌宮」と称していましたが、平安時代末期
にこの地を領有した河崎冠者基家(秩父平氏)が
山王権現を勧請して以後「河崎山王社」「堀之内
山王権現」「五社山王」「三社宮」などとよばれて
いました。
山王権現の称号は、天台宗系の神仏習合思想
「山王一実神道」によりますが、慶応四年、下向
された有栖川宮熾仁親王殿下が当神社にご休憩
され、その折りの殿下の御言葉「御社名、新政府
の神仏分離の方針に相応しからず」により、鎮座地
武蔵国稲毛庄の名をとって「川崎大神稲毛神社」と
改称しました。
その後、一時「川崎大神宮」と呼ばれた時期もありま
したが、明治中期には「稲毛神社」が固定しました。
ご社殿
旧御社殿は江戸中期の宝永年間に川崎宿本陣当主・
田中丘隅の世話によって造営された荘厳優雅な建物
でしたが昭和二十年の空襲により灰塵に帰してしまい
ました。
しかしその後、氏子崇敬者の赤誠によって、昭和三十八
年、鉄筋コンクリート神明造り、延べ面積数百一坪の華麗
なる現社殿の新築を見ました。 なお当神社は、昭和四十一
年、神社本庁より「別表に掲げる神社」に指定されました。」
注意深く歩くと、川崎が芸術に
力を入れていることが分かり
ます。
モダンな絵もありますが、
東海道筋にある川崎は、
宿場町の川崎宿として
栄えました。
浮世絵師たちも、川崎に関係する
浮世絵を多く描きました。
今では、川崎市の歴史文化資源として
市の活性化に活用されています。
川崎宿の面影も無い
旧東海道。
ここは、川崎駅前タワー・リバーク3階
にある川崎浮世絵ギャラリー。
川崎ゆかりの浮世絵含め、
所蔵数は約6000点。
ギャラリーに入場はしていません。
このギャラリーと同じフロアーで
先日記事にしたアルアル書道展
が開催されたのでした。
次の機会に、是非鑑賞したいと
思います。
イラン繋がりの友人宅
凄い美人です。
今から20年前、
俺の友人が、イラン女性と
結婚しました。
その友人の旦那さんの手作り。
これも。
これも、自分で漬けたそうです。
これは市販品(笑)。
俺用のメヒコ製灰皿。
正月の3日。
お呼ばれして行って来ました。
イラン人の奥さんが作った
料理はありません。
料理が下手だからでは
ありません。
彼女は、滅茶苦茶イラン料理を
作るのが上手いのです。
都内のイラン料理のシェフ達が、
彼女の料理を食べに来るくらい
彼女の料理は美味しいのです。
しかし、現在彼女は看護学校に
通っています。
実習が始まり、毎日膨大な量の
レポートを彼女には難しい日本語
で作成しています。
学校が休みの日には、介護施設で
働いています。
だから、旦那さんが正月料理を作って、
俺をもてなしてくれたのです。
俺と旦那さんとは、40年近くの
お付き合い。
同じペルシャ語教室に通っていた
学友です。
この日は、3人で楽しい時を過ごしました。
有難うございました!!










































































