Vol.22 Knock Out Books
Knock Out Books 打ちのめされたすごい本
ニューヨークに住んでいると、英語と日本語の狭間で苦しむことがあります。
英語を使って仕事をしていますが、ネイティブのようになれるわけではないし、同時に日本語に飢えてくるのです。
いい文章を書くにはいい文章を読むことが大事と肝に銘じているので、ニューヨークにいても日本語の本を読むようにしています。
そこで今日は、私が最近読んだ“打ちのめされたすごい本”を紹介します。
まずは、米原万里さんの「打ちのめされるようなすごい本」(文春文庫)です。
今日のブログのタイトルはこの本を真似ました。
彼女はロシア語通訳として第一線で活躍しながら、たくさんの本を書きました。
「魔女の1ダース」(新潮文庫)や「不実な美女か貞淑な醜女か」(新潮文庫)にも私は打ちのめされましたが、この「打ちのめされるようなすごい本」にさらに打ちのめされました。
何に打ちのめされたのかというと、この本は彼女が読んだ本の書評集なのですが、本の紹介文もさることながら、米原さんの読書量と読み方に打ちのめされたのです。
彼女は好きな本に出会うと寝食を忘れて必死に読んでしまうのです。
そして筆力がすごいですから、その本を読んでいない私にも本の姿が浮かびあがってきて、読んだ気にさせてしまうのです。
でも以下の本を読んでみたくなりました。
堀武昭「愛と差別と嫉妬で鍛える英語」(日経BP社)は、タイトルだけでも読みたくなりますね。
丸谷才一「輝く日の宮」(講談社文庫)と大塚ひかり「源氏の男はみんなサイテー」(ちくま文庫)
この二つは前に「源氏物語」を読んだ時に、とても腑に落ちないことがあり、それを解決してくれそうなのです。
斎藤美奈子「文学的商品学」(文春文庫)。
私はこの著者の気持ちのいいほどの爽やかで鋭い切り口が大好きなのです。
米原万里さんは、2006年に56歳で癌で亡くなりました。
この本の中でたくさんの癌に関する本も紹介し、積極的に様々な治療を試したことが書かれています。
癌サバイバーである私もとても身につまされ、読んでいてちょっと辛くなりました。
彼女は癌と戦いながらも知的好奇心は衰えることなく、書評を書き続けました。
この文庫本は彼女が亡くなってから出版されました。
彼女が書き続けた足跡を見ることができ、通訳としてだけでなく、
書き手としも“打ちのめされるようなすごい仕事”をした人だなと改めて実感しました。
これは映画になり、ハーパース・バザー日本版が 、試写会 を2010年1月に行いました。
この映画でシャネルを演じたシャネルのミューズ、アンナ・ムグラリスさんにパリで会ったことがあります。
ハーパース・バザー日本版で、表紙とインタビューに登場してもらったのです。(2003年5月号)
とても洗練されていて、知的で素敵な女性でした。
そしてとてもフレンドリーなのです。
取材が終わり記念撮影を彼女としましたが、すこしだけ後悔しました。
ああ、彼女のようにスタイルが抜群にいい女性と並ぶものではありませんね。
ところでこの本ですが、シャネルとストラヴィンスキーと彼の奥さんの関係を描いているのですが、著者のクリス・グリーンハルジュは詩人でもあるので、翻訳とはいえ、彼の詩的センス溢れる会話や情景描写が素晴らしく、
シャネルやストラヴィンスキーの愛の場面や、喧嘩の場面に実際に著者が居合わせたのかと思えるほど、リアルなのです。
「見てきたような嘘」をいかにリアルに描くかも書き手の腕の見せ所ですね。
こんなふうに文を書けたらと打ちのめされたのです。
もう一冊は古い本なのですが、私のベッドサイドにいつもあり、寝る時に目を通して、勇気をもらっています。
寺山修司「両手いっぱいの言葉」(新潮文庫)。
言葉の天才の寺山修司が書いた本や戯曲の中から、“打ちのめされるような”言葉を集めた本です。
例えば“どんな鳥だって想像力より高く飛ぶことはできないだろう”。
この言葉は私の好きな詩人の谷川俊太郎の“私は鳥よりももっと自由になりたい。鳥のたとえで魂を語らずに、魂のたとえで鳥を語りたい”
という詩を思い出させてくれました。
もうひとつ紹介します。
“たった一日でいいから、世界中の人がものを言わない日というのを設けたらどうだろう。
もし、一日が長すぎるならば、申し合わせて決めた数時間でもよい。
そのとき、私たちは政治的ロマンの詭弁からも、身をすりよせるような人生相談からも、そして、儀礼的な挨拶や情事にまつわるゴシップからも解放されて、そのかわりその数倍のことばを聞きわける機会を持つことができる”。
これを寺山が書いた時はまだブログが浸透していなかったはず。
ブログを書いている身として、この沈黙への誘いは貴重です。
一人でいること、沈黙していること、こうした状態は文を書き、言葉を発する前に必要なことだとニューヨークで実感しています。
では、またいつか、“打ちのめされた本”を紹介しますね。




