リセット・オロペサ(ソプラノ)、ネゼ=セガンMET オーケストラ(6月26日・サントリーホール) | ベイのコンサート日記

ベイのコンサート日記

音楽評論家、長谷川京介のブログです。クラシックのコンサートやオペラなどの感想をつづっています。

昨日に続き、METオーケストラへ。鐘の音とともに始まる
モンゴメリー:すべての人のための讃歌(日本初演)の主題は
グレゴリオ聖歌を思わせる宗教的な旋律。広がりのあるメロディーは心休まる。オーケストラが分厚くなり、行進曲のように進んでいく部分は何かに向かっていくような勇壮さもある。最後は大太鼓のリズムに打楽器群と金管が加わり、鐘の音とともに終わる。パンデミックの苦しみの時期を乗り越えていくような内容という印象を持った。

 

ソプラノのリセット・オロペサがその重苦しい空気を打ち破るように、華やかなモーツァルトのアリア、「私は行きます、でもどこへ」「ベレニーチェに」を歌った。

オロペサは最初の曲、「私は行きます、でもどこへ」は音程がやや不安定に感じた。低音を出すことが少し苦しそう。

 

「ベレニーチェに」はオロペサの強靭なコロラトゥーラと声量が全開。厳密に聴けばわずかに音程が気になるが、会場を揺るがさんばかりの声の迫力はそうした不安を打ち消し、圧倒された。METオーケストラの弦の音の豪華絢爛なこと。艶々として輝いている。こんな音でモーツァルトのオペラ全曲を聞けたらどんなに素敵だろうと思う。

 

マーラー:交響曲第5番 嬰ハ短調は、ネゼ=セガンの意図がいまひとつ伝わってこないもどかしさを感じた。METオーケストラはシンフォニー・オーケストラではないため、マーラーを演奏する機会は多くないのか、どこかぎくしゃくとしており、昨夜の水際立った演奏とは違った。

 

第1楽章はトランペットが少し不調。ネゼ=セガンは葬送行進曲の主題をゆったりとしたテンポで進めていく。第2トリオのヴィオラは味わいがあった。

 

アタッカで入った第2楽章。チェロの第2主題は深みがあり、コーダの金管のコラールの高揚感が素晴らしかった。

 

作品の中心を成す第3楽章。オブリガートホルンのソロは、ヴィルトゥオーゾ的な演奏ではなく、少し控えめ。ソリストのように堂々としてもっと目立ってほしかった。ホルツグラッパー(木片)は思いきり叩かれ刺激的だった。

 

第4楽章アダージェットはMETオーケストラの弦が繊細な美しさを湛えていた。情感を込めすぎず、清らかな音楽となっていた。ハープは多彩な音色と気品が感じられた。

ただ、このオーケストラならもっと深く心揺さぶる演奏もできるはず、という思いもあった。

 

第5楽章はMETオーケストラにしてはスケールの大きさがなく、頂点に向かって一丸となっていくという力強さと集中力がいまひとつ。

嬰ハ短調の暗い雰囲気で曲が開始され、最終的に長調に変わり、明るい二長調のコラールが高らかに響き渡り、全身が解放感に包まれ、至福の最後を迎える、というドラマにまでは至らなかった。コラールは第2楽章で出た時のほうが、むしろ勢いがあった。

部分的にとても惹きつけられるところはあるが、細部まで完璧に設計され磨き抜かれたマーラーに幾度も接してきた聴き手としては、少し物足りないものがあった。

 

とは言え、パワフルで明るく肯定的な音色、トロンボーンをはじめとする強力な金管、METオーケストラの新たな魅力ともいうべき陰影の深い木管、絢爛豪華なヴァイオリンや味わいのあるヴィオラとチェロ、パワフルなコントラバスなど、METオーケストラならではの演奏は終始刺激的だった。

ヨーロッパや日本のオーケストラとは異なる魅力を存分に味わうことができた充実の2日間だった。

 

MET オーケストラ(管弦楽)

ヤニック・ネゼ=セガン(指揮)

ソリスト

リセット・オロペサ(ソプラノ)

演奏曲目

【プログラムB】

モンゴメリー:すべての人のための讃歌(日本初演)

J. Montgomery: A Hymn for Everyone (Japan premiere)

モーツァルト:アリア「私は行きます、でもどこへ」「ベレニーチェに」

(ソプラノ:リセット・オロペサ)

Mozart: “Vado, ma dove?” K.583 / “A Berenice” K.70

(Lisette Oropesa, soprano)

マーラー:交響曲第5番 嬰ハ短調

Mahler: Symphony No.5 in C-sharp minor

 

写真©Naoko Nagasawa