ノット指揮東京交響楽団 ヴィオラ:青木篤子、サオ・スレーズ・ラリヴィエール | ベイのコンサート日記

ベイのコンサート日記

音楽評論家、長谷川京介のブログです。クラシックのコンサートやオペラなどの感想をつづっています。

(5月17日・東京オペラシティ)

5月12日の武満徹・ベルク・マーラー(サントリーホール)の批評を毎日クラシックナビ、速リポに書いた際、最後をこう締めくくった。『ノット東響の演奏は荒々しく迫力があり、各奏者のソロも見事だったが、いつもの緻密さが足りないようにも感じられた。2026年3月でノットの音楽監督としての任期満了という発表がもし演奏に影響しているとすれば心配だ。今後も自分たちが打ち建てた輝かしい金字塔の更に上を目指し、進んで行ってほしい。』

 

残念ながらその印象は今日の公演でも変わらなかった。しかも、要因はオーケストラではなくてノット自身にあるように感じた。

それがはっきりとわかったのは、最後に演奏されたイベール:交響組曲「寄港地」

フルートの竹山愛、オーボエの最上峰行の好演はあったものの、最強音は音が汚く、ただ音響が巨大なだけで、アンサンブルが粗く、バラバラ。かつての緻密な指揮のノットはどこへ消えてしまったのだろうか。

 

前半のベルリオーズ:交響曲「イタリアのハロルド」も散漫な印象で、いまひとつ演奏に集中力が感じられなかった。ヴィオラはヴァイオリンに較べ、ソロ楽器としては鳴りが良くないとはいえ、青木篤子のソロが前に出てこない。ソリストの音が大きくないこともあるが、オーケストラをもう少し抑えても良かったように思う。

第4楽章だけは、ベルリオーズの《幻想交響曲》の最後に似て異様な盛り上がりで聴いていて興奮したが、勢いだけで進んでしまったような気もした。

コーダの手前に、バンダのヴァイオリン2人とチェロがオルガン横で静かに弾く部分があり、ステージ上の青木篤子と室内楽のように対話を交わす場面は興味深かった。

 

今日最も良かったのは、酒井健治:ヴィオラ協奏曲「ヒストリア」。ソリストはサオ・スレーズ・ラリヴィエール。この演奏がなければ、今日のコンサートはずいぶんさみしいものになっていたのではないだろうか。

青木篤子のヴィオラに較べ、ラリヴィエールは楽器の鳴りが良くスケールが大きい。曲が異なるとはいえ、オーケストラに全く負けない。

 

作曲家自身の解説によれば、『様々な時代の様式が入り混じる中においても独奏ヴィオラが奏でる歌は超然としており、その様はまるで独奏楽器がタイムマシーンの様に音楽史を巡る旅をする』。

常にヴィオラ主導で音楽が進行し、時折親しみやすい和声が聞こえてくる。間に挟まれる超絶技巧や微分音を含めて、次々と様式が変化していき、14分間弛緩するところがない。ノット東響もここでは引き立て役のようになっていた。この協奏曲は数が多くないヴィオラ協奏曲の定番になるのではないだろうか。

 

ラリヴィエールのアンコールヒンデミット:無伴奏ヴィオラ・ソナタOp。25-1第4楽章

バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタの急速楽章のように、重音と旋律が同時進行する技巧的な作品。ラリヴィエールは楽々と弾いているかのようだった。

 

 

公演データ:

東京交響楽団 東京オペラシティシリーズ 第138回

会場:東京オペラシティコンサートホール

2024年05月17日(金)19:00 開演 

出演

指揮:ジョナサン・ノット

ヴィオラ:青木篤子(東響首席)*

ヴィオラ:サオ・スレーズ・ラリヴィエール**

コンサートマスター

 

曲目

ベルリオーズ:交響曲「イタリアのハロルド」op.16*

酒井健治:ヴィオラ協奏曲「ヒストリア」**

ラリヴィエールのアンコール、ヒンデミット「無伴奏ヴィオラ・ソナタOp。25-1第4楽章」

イベール:交響組曲「寄港地」