カーチュン・ウォン指揮日本フィル マーラー交響曲第9番 (5月10日・サントリーホール) | ベイのコンサート日記

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音楽評論家、長谷川京介のブログです。クラシックのコンサートやオペラなどの感想をつづっています。

第1楽章は全体としてのまとまりがなく、各セクションや奏者ももうひとつ乗っておらず、この先果たしてどうなっていくのか不安を覚えた。いつものカーチュン・ウォンと日本フィルとは違う。

 

しかし、第2楽章から集中力がでてきて、まとまりが良くなった。

第3楽章「ロンド・ブルレスケ」はさらに結束力が強くなり、速度を上げ切迫する最後の爆発は凄まじいばかり。カーチュン・ウォンと日本フィルが本領を発揮した。

 

第4楽章を始める前にカーチュン・ウォンは指揮台から一度降り、タクトを床に置いたようだった。終楽章は指揮棒なしで、両手で様々な表情をつくりながら指揮した。

 

この終楽章は今夜の白眉。冒頭から別のオーケストラに変身したような密度の詰まった序奏がヴァイオリンとヴィオラにより弾かれる。最も感動したところは、ホルンが吹く主要主題の2度目の再現(49小節目)から。ここでの弦の輝き、厚み、奥行き、重なりは、聴き手を最も高い場所に運んでいった。

 

終楽章最大のクライマックス、120小節目からのペザンテ(重々しく)の頂点の後フォルティシモでのヴァイオリンは、さらなる強靭さも欲しかった。

 

コーダは感傷に陥ることなく透明感を保ったまま、繊細なヴィオラとチェロで死に絶えるように(ersterbent)終えた。

音が消えてからカーチュン・ウォンの腕が下りるまで、30秒以上の静寂が保たれた。

 

日本フィルの各奏者の演奏はコンサートマスター田野倉雅秋、ヴィオラの安達真理(客演首席)のソロをはじめいずれもよかったが、ホルン首席の信末碩才の独奏は、まるで海外の超一流オーケストラの演奏のよう。別格の存在感を示していた。

 

明日5月11日(土)14時からの2度目の公演では、演奏の質は今日よりも更によくなるのではないだろうか。