究極のゴルトベルク ヴィキングル・オラフソン+清水靖晃&サキソフォネッツ  | ベイのコンサート日記

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音楽評論家、長谷川京介のブログです。クラシックのコンサートやオペラなどの感想をつづっています。

(12月3日・すみだトリフォニーホール)

2部構成で、14時からヴィキングル・オラフソン「ゴルトベルク変奏曲」、30分の休憩後、清水靖晃&サキソフォネッツが「ゴルトベルク変奏曲」の第15変奏まで演奏して15分の休憩を挟み、第16変奏からアリアの回帰まで演奏した。終演は17時40分。

 

ヴィキングル・オラフソンのインタビューを読むと、「ゴルトベルク変奏曲」の楽譜は全て頭に入っており、今回の88か所にも及ぶ「ゴルトベルク変奏曲」だけを弾く世界ツアーでも譜面を開くことはほとんどないとのこと。その間さまざまな解釈を試みるともいう。

 

すみだトリフォニーホールでは1階20列目中央ブロック上手で聴いた。録音ではマイクセッテイングもあり、近接音で力強く生々しく録られているが、ホールではもっと遠くから聞こえてくる。

 

実際に聴くオラフソンの「ゴルトベルク変奏曲」は、一陣の風が舞うようだった。特に速い変奏はこれまで聴いた中では最速で、それを軽々と正確に弾くテクニックには驚かされる。腕の交差も何の支障もなくこなしていた。ただ、緩徐な変奏ではテンポをぐっと落としてくる。

 

アリアから第4変奏まではなにごともないように軽やかに進む。左手の低音部の対位旋律がやわらかくバランス良く聞こえてくる。対位法的な奏法のうまさ、なめらかさはよくわかる。

第6変奏で最初の猛スピードの驚きを受ける。第7変奏も軽やか。第8変奏の両手の交差も難なく進む。第9変奏はたんたんとしている。第10変奏の4声のフゲッタも爽やか。装飾音もあまり派手ではない。第11、第12変奏もさらり速く進む。左手の動きがスムーズ。

 

オラフソンが「白昼夢の変奏」と呼び、お気に入りだという第13変奏。録音では右手の高音は透き通って聞こえるが、ステージではそこまでの印象はなかった。

第14変奏は一転華やかでダイナミック。

3つあるト短調の変奏の最初、第15変奏のオラフソンのテンポは遅く、思索的で深い。ただ暗く沈み込むような深さではない。高貴な悲しみともいうような品位がオラフソンの演奏に感じられる。

 

フランス風序曲の形式で書かれた第16変奏が後半の開始を告げる。明るい響き。

勢いのあるトッカータの第17変奏も両手の交差が鮮やか。これはスピード感と切れがあった。

オラフソンがアマービレ(愛らしい)という第16変奏は少しおすましした感じ。第19変奏も軽やか。

 

第20変奏のテクニックとスピードは凄い。唖然となり圧倒されるが、テクニックが走りすぎていたように思えた。アンジェラ・ヒューイットが言う『あふれる喜びとユーモアが表現できなければ意味がない』は、オラフソンはわかっていたのだろうか。

 

2つめのト短調の第21変奏。オラフソンの演奏は淡々と進む。

 

暗さを吹き飛ばす第22変奏が元気よく弾かれた。第23変奏はオラフソンにぴったり。テクニックの限り尽くしを楽しそうに演奏する。続く第24変奏も鼻歌を歌うように楽しい。

 

「ゴルトベルク変奏曲」の頂点でもある第25変奏。ワンダ・ランドフスカは「黒い真珠」と呼んだ。オラフソンの演奏は深く沈潜していくが、現代の都会的な孤独感を感じさせた。ランドフスカからグールド、ペライアやシフの「ゴルトベルク変奏曲」まで時代による演奏の変遷をすべて知った上で、自分の解釈を考えるというオラフソンの意図が良く現れていたのではないだろうか。

今の「ゴルトベルク変奏曲」とも言うべき解釈だったように思う。

 

暗さからの脱出を図るような、第26変奏が凄かった。暗さから明るさへの転換は難しいとされるが、オラフソンのそれは鮮やかで、衝撃的だった。

 

その勢いを保ったまま第27変奏に入った。これも鮮やか。さらに第28変奏のトリルのスピードと正確な音の粒がそろうところも凄い。そして、その上を行く超絶テクニックの第29変奏のスピードと勢い。以前聴いたランランのいかにもヴィルトゥオーゾの演奏も印象に残っているが、オラフソンも負けてはいない。

 

あっという間に「クオドリペット」に来た。これは開放的な雰囲気で弾かれた。

 

少し間を置いて、アリアを回帰させた。

録音で聴くよりも、遥かに深みがあるように思えた。オラフソンは最後のアリアの回帰に来ると「人生の終わりにさしかかったように感じる」という。終わりたくないが終わらせなければならない、というオラフソンの逡巡が現れていた。弾き終わって、両手を止めたまましばらく動かず、やがてゆっくりと両手を鍵盤から離していった。

 

オラフソンの「ゴルトベルク変奏曲」を聴き終わっての感想は、超高速スピード、鮮やかなテクニック、都会的で洗練された表情など、これまで聴いたことのない新しい表現がふんだんに感じられたこと。オラフソンが力説する無限の可能性を秘めた「ゴルトベルク変奏曲」の無限に広がる演奏解釈の一端を知ったということだ。

 

ホールはほぼ満席で、いつものクラシックコンサートよりも客層が若い。後半の清水靖晃&サキソフォネッツを目当てに来た人も多かったかもしれない。オラフソンのファンだとしたら、クラシックの聴衆の高年齢化が言われる中、若い聴き手の増加にオラフソンは一役買っているのかもしれない。

 

後半の清水靖晃&サキソフォネッツについては、別の機会に書きます。