上岡読響のチャイコフスキー「交響曲第6番《悲愴》」。浪花節にならず、洗練されたヨーロッパ音楽としてきちんと響かせる。日本人指揮者でこういう演奏ができる人が他にいるだろうか?
4日前も読響で上岡を聴いたばかり。背中が丸くなり、病気でもしたのかと気になるが、指揮はしっかりとしている。読響は16型の大編成。
第1楽章冒頭のファゴットの弱音が美しいバランスで鳴らされる。第2主題の洗練された繊細な表情は上岡にしか出せないもの。クラリネットからコントラ・ファゴットの最弱音直後に始まる激烈な展開部では読響のパワ―を全開させるが、バランスがとれているため混濁しない。
第2楽章はチェロの主題を爽やかに歌わせる。中間部は停滞せず、サクサクと進める。
第3楽章のスケルツォと行進曲は整然と進む。最後の盛り上がりは堂々としており、バランスを崩さない。コーダは、「なんてカッコいいんだろう!」と心の中でつぶやいたほど見事。
上岡が2010年初めてヴッパタール交響楽団と来日したときは、第3楽章最後が壮絶に終わったとたんアタッカで第4楽章に入っていき度肝を抜かれたが、今回はさすがに休みを取った。
第1主題ではチェロの対位旋律がくっきりと浮かび上がる。テンポはもたれず推進力がある。ファゴットの下降音形も美しい。アンダンテの中間部の頂点は読響の低弦、金管をたっぷりと鳴らす。休止の長さを充分にとる。
再び主部となり、絶望の頂点が激しく奏される。ここも感情過多にならない。銅鑼が鳴らされ、トロンボーンとテューバが厳かに和音を奏し、コーダに入る。規則正しい三連符、コントラバスのピッツィカートをしっかりと鳴らし、格調高く終わった。余計な思い入れをこめることなく、楽譜通りの強弱を守る。
4年前の新日本フィルで聴いた《悲愴》と基本的に同じ解釈だが、読響のパワフルな演奏により、聴き終わった後の充実感はより大きかったように思う。
2018年3月の新日本フィルとの演奏についてのブログ
上岡敏之 新日本フィル チャイコフスキー交響曲第6番《悲愴》 | ベイのコンサート日記 (ameblo.jp)
同じプログラムの公演が明日14時から東京芸術劇場で、6月1日19時から大阪フェスティバルホールで行われる。
なお、前半はメンデルスゾーン「序曲《ルイ・ブラス》」と、レナ・ノイダウアーをソリストにメンデルスゾーン「ヴァイオリン協奏曲」が演奏された。
《ルイ・ブラス》は冒頭のコラールが少し合わなかったが、抜けの良い演奏。
メンデルスゾーン「ヴァイオリン協奏曲」を弾いたレナ・ノイダウアーは初めて聴いたが、第1楽章冒頭は音程も少し不安定。音はきれいだが、平板なヴァイオリンでインパクトは少ない。上岡読響は丁寧なバック。
アンコールはイザイ「無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番」第1楽章。J.S.バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番第1楽章やグレゴリア聖歌「怒りの日」の引用がある。これもメンデルスゾーンと同じ印象だった。