ジョナサン・ノット 東京交響楽団 モーツァルト:歌劇《フィガロの結婚》(演奏会形式) | ベイのコンサート日記

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音楽評論家、長谷川京介のブログです。クラシックのコンサートやオペラなどの感想をつづっています。


128日、サントリーホール)

 モーツァルトの作曲年を逆にたどるノット&東響によるダ・ポンテ三部作の掉尾を飾るにふさわしい《フィガロの結婚》の理想的な公演だった。三部作を聴いてきて、今回改めて感じたことがある。それはノット&東響、歌手陣、会場が一体となった親密な空気だ。

 

それを創り出す原動力は何といってもフランクフルト歌劇場のコレペティトゥアからのたたき上げであるノットのオペラに対する造詣の深さをあげねばなるまい。第二にノットの豊富な人脈により参加する若く実力のある一流の歌手陣の力量。第三に、ノットと東京交響楽団の一心同体とも言うべき深い信頼関係。第四に東響を長く聴き続けてきた定期会員を中心とする熱心な聴衆、第五にミューザ川崎シンフォニーホールをフランチャイズの場として提供した川崎市の長年にわたる協力(今日はサントリーホールで聴いたが)。こうした全てが文字通りひとつになり、地元に根付いた海外の歌劇場に似た温かく楽しい雰囲気が、ノット&東響のダ・ポンテ三部作公演に常にあった。

 

 今回の《フィガロの結婚》はダ・ポンテ三部作公演の中でもひときわ輝いていた。その最大の功労者のひとりは、伯爵夫人を歌ったミア・パーションだと思う。第3幕のレチタティーヴォとアリア「甘く喜びの美しい時は」“Dove sono i bei momenti”は、パーションの凛とした格調高い美しい声により、夫人の揺れる感情、不安、葛藤、希望が完璧に表現された。《フィガロの結婚》の本当の主人公は伯爵夫人であることをパーションの歌唱により納得させられた。

 

 パーションに負けず劣らず、今回の公演も歌手陣は粒ぞろいだ。スザンナのリディア・トイシャーとフィガロのマルクス・ヴェルバをまず挙げたい。二人の動き、表情、レチタティーヴォ、歌唱すべてがなんと自然なのだろう。聴く方も二人と一緒になりハラハラドキドキしている。それぞれのアリアも良かった。ヴェルバの切れのいい「もう飛ぶまいぞ、この蝶々」には場内大喝采。トイシャーの第4幕の「早くおいで、美しい人よ」の情感も素晴らしい。

 

 しかし、実はそれは他の歌手すべてに当てはまる。事前アナウンスで体調が悪いけれど本人の希望で出演しますと言われた伯爵のアシュリー・リッチズの頑張りは大絶賛したい。確かに力強い歌唱が求められる場面では最高潮ではなかったかもしれないが、むしろそれは伯爵の人間としての不完全さ、弱さと脆さを表すにはプラスに働いたのではないだろうか。少なくとも演技と感情表現は素晴らしかったと言いたい。

 

 バルトロ、アントニオの二役と演出も監修したアラステア・ミルズの存在は公演の大黒柱と言うべきだろう。演出については、歌手の動き、表情が細部まで練り上げられており、そのテンポのよさ、動きの滑らかさ、自然な表情は演奏会形式を忘れさせるものがあった。否、演奏会形式だからこそ、観衆は注意力が逆に高められ、わずかな動き、表情から想像力が刺激され楽しめたとすら言えるのではないか。歌手としてはバルトロ、アントニオを衣裳の転換も含め、見事に歌い分けた。

 

 マルチェリーナのジェニファー・ラーモアも脇をしっかりと固めた。第4幕「牡山羊と牝山羊は」はMe too運動を思わせる皮肉をこめた歌詞を、時に指揮のノットに向け歌って(ノットも迷惑だろうが)、場内の笑いを誘った。

 

 ケルビーノのジュルジータ・アダモナイトは予定されていたエイブリー・アムロウの代役。ミューザの公演の感想では辛口もあったようだが、少し軽いノリの演技と、透明感ある歌唱は素晴らしいケルビーノだったと言っても私はいいと思う。

 

 バジリオとドン・クルツィオの二役を演じたアンジェロ・ポラックの美しいテノールにも拍手を贈りたい。そしてバルバリーナのローラ・インコの可憐な声にも。

 

 ノットの指揮とハンマーフリューゲルは今回も冴えわたった。ノンヴィブラートのピリオド奏法を徹底、コンサートマスターの水谷晃はバロック弓を使用。ナチュラル・トランペットとナチュラル・ホルン、バロック・ティンパニを採用。
明晰極まる響きと歌唱が限りなく滑らかに自然に、文字通り一体化した今回のような《フィガロの結婚》はこの先いつ聴けるのだろうか。


 

公演データ:

モーツァルト 歌劇「フィガロの結婚」全 4

演奏会形式・原語上演(日本語字幕付き)

公演時間:約3時間半

 

<出演>

 

指揮/ハンマーフリューゲル:ジョナサン・ノット

演出監修/バルトロ/アントニオ:アラステア・ミルズ

フィガロ:マルクス・ヴェルバ

スザンナ:リディア・トイシャー

アルマヴィーヴァ伯爵:アシュリー・リッチズ

アルマヴィーヴァ伯爵夫人:ミア・パーション

ケルビーノ:ジュルジータ・アダモナイト(*)

マルチェリーナ:ジェニファー・ラーモア

バルバリーナ:ローラ・インコ

バジリオ/ドン・クルツィオ:アンジェロ・ポラック

合唱:新国立劇場合唱団(合唱指揮:河原哲也)

管弦楽:東京交響楽団