ディオティマ弦楽四重奏団(8月27・28日 吉祥寺シアター) | ベイのコンサート日記

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音楽評論家、長谷川京介のブログです。クラシックのコンサートやオペラなどの感想をつづっています。



 ディオティマ弦楽四重奏団は、ブーレーズが作曲者の意図通りの演奏は不可能だと考えていた『弦楽四重奏曲のための書』を、本人とディスカッションを繰り返し、ついに五度目の改訂に踏み込ませた。ブーレーズもこの改訂に満足し、絶賛した。二度の公演では、そのうちIIIa,IIIb,IIIc,Vを初日に、VIを二日目に聴くことができた。


 大変な難曲だが、ディオティマ弦楽四重奏団の演奏がまたすごい。リーダーのユン・ペン・ヂャオはブーレーズが23歳の時に書いたこの曲を「エネルギーに満ち溢れた作品で、若いミュージシャン、将来のミュージシャンのための曲だ」とCDのライナーノーツの中で語っているが、作品の持つエネルギーをそのままダイレクトに、しかも洗練された形で、ディオティマは差し出した。

 ポスト・ウェーベルン的な作品ともディオティマは言っているが、その極度に切り詰めた語法、すなわち短いフレーズ、トリル、フラジオレット、頻繁に起きる休止などを、曲芸のように、サーカスの空中ブランコの受け渡しのように、4人がスリリングに展開するのを目の当たりにすると、興奮を覚える。特にVIは異様な迫力が感じられた。


 シェーンベルクの弦楽四重奏曲とブーレーズ、そしてベートーヴェンの後期の弦楽四重奏曲を組み合わせるプログラムは、シェーンベルクが自作4曲とベートーヴェンの後期4曲を組み合わせて発表したことにヒントを得たという。

 2日間ともシェーンベルク、ブーレーズ、休憩後ベートーヴェンという順で演奏された。

初日のシェーンベルクの弦楽四重奏曲第3番からは、力強さ、美しさ、ユーモアが感じられ、第4楽章は、後半に演奏されたベートーヴェンの第14番作品131と似たものを感じた。彼らがそれを知ってプログラミングしたかどうか確認していないが、おそらく共通項はあると思っているのではないか。


 2日目は、シェーンベルクの弦楽四重奏曲第4番と、ベートーヴェンの第15番作品132の組み合わせだった。シェーンベルクはここでも美しく感じた。12音技法で書かれており、メロディーらしきものはなく、不協和音の塊が続くようではあるが、ディオティマの緻密で清冽、情感ある演奏は、「不協和音の美」「障壁からの美」を感じさせた。


 ベートーヴェンの後期2曲におけるディオティマの演奏は、一言で言って、端正なものだった。緻密なアンサンブルを誇る彼らにとって、正確に弾くことは難しくないだろう。課題はその先にある。どうしたらベートーヴェンの魂に到達することができるのか。あるいは、優れた弦楽四重奏団のレベルを超えられるのか。
 2日目の作品132の方が、その糸口になるかもしれないと思った。第3楽章モルト・アダージョ『病癒えたものの神に対する聖なる感謝の歌 リディア旋法による』とベートーヴェンが書き添えた主題の歌わせ方、ハーモニーの美しさ、音楽の深さは、ディオティマ弦楽四重奏団がその課題を乗り越える可能性を示していた。


写真:(c)Verena Chen