小林研一郎の伴奏指揮がめっぽううまいので驚いた「三大協奏曲」。 | ベイのコンサート日記

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音楽評論家、長谷川京介のブログです。クラシックのコンサートやオペラなどの感想をつづっています。

2012821日(火)18時半 サントリーホール(座席2LA419番)
サマー・フェスティバル2012「三大協奏曲」
指揮:小林研一郎 管弦楽:読売日本交響楽団
ヴァイオリン:佐藤俊介

チェロ:山崎伸子

ピアノ:辻井伸行
コンサートマスター(ゲスト):藤原浜雄

メンデルスゾーン(1809-1847):ヴァイオリン協奏曲ホ短調 作品64

ドヴォルザーク(1841-1904):チェロ協奏曲ロ短調 作品104

チャイコフスキー(1840-1893):ピアノ協奏曲第1番変ロ長調 作品23

読響の名物、三大交響曲と三大協奏曲プログラム。今年は4月名古屋、5月福岡、6月大阪ときて、8月東京、12月には札幌でも行われる。毎回ほぼ完売の人気ぶり。誰もが親しみやすい名曲コンサートで、この日はいつもの客層と異なるファミリー層から女性を中心とした中高年で満席。評論家の姿は見なかった。

昨年は山田和樹が指揮した三大交響曲で聴き慣れた曲の斬新な解釈を楽しんだ。今年の三大交響曲の東京公演は小林研一郎。浪花節的、こぶしのきいた彼の指揮は苦手。伴奏ならそれほど嫌みにならないだろうし、ソリストを聴きたいと思い協奏曲にした。

その小林研一郎の伴奏指揮がめっぽううまいので驚いた。名古屋、福岡と二度指揮しているので、曲はすっかり手の内に入っているのだろう。それにしても細心の神経を使った繊細で精妙な指揮は見事で、炎のコバケンという激しいイメージとは全く違う。ソリストはさぞかし演奏しやすかったことだろう。

三人の演奏のなかでは、山崎伸子が一番よかった。次に辻井伸行、最後が佐藤俊介の順。

山崎伸子を聴くのは実に25年ぶり。小澤征爾指揮桐朋学園オーケストラとのドヴォルザークを聴いて以来。当時の演奏の記憶はもうない。久しぶりに聴いて、その特長がよくわかった。しなやかで女性らしい美しい音色。低音部は豊かでたっぷりとした響き。なによりも優雅で気品にあふれている。経歴を見たらピエール・フルニエに師事している。そうかフルニエの影響かと納得する。

読響のバックもよかった。第1楽章提示部最後と展開部後半のチェロと弦、木管のやりとりの美しさ。第2楽章後半のホルンの三重奏による第1主題の再現の美しいハーモニー、第3楽章でのオーケストラのトゥッテイの迫力、全楽章にわたるフルート、オーボエの素晴らしいソロなど、聴きどころがいっぱいで、読響のレベルの高さを知らされた。

ピアノの辻井伸行の演奏を聴くのは二度目。今年4月インバル都響とのショパンの1番。そのときの感想をこう書いた。

まっすぐ心に届く美しい音。長く聴いていると、流れるように弾くパターンと美しい音色の繰り返しが単調に思えてくる。早いパッセージは弾き飛ばしているようで、いささか乱暴だ。純粋で無垢、子供が音と戯れているようなメルヘンの世界。

今日もほぼ同じような印象。チャイコフスキーの第1楽章序奏のピアノの荘厳な主題は明るく軽い響き。展開部のソロは乱暴で音が団子になっている。第2楽章のピアノは無邪気で、曲想には合っている。

この日は第3楽章の出来がよかった。第2主題が滑らかに弾かれる。44小節目からのピアノの高音部がとてもきれいで、66小節からの第2主題が美しく乗りがよい。

254小節目ポコ・ピウ・モッソからのピアノの激烈なカデンツァは劇的で興奮を覚える。カデンツァの頭と同時にたたかれるティンパニのfffの最後の一撃も非常に効果的。ティパニスト岡田全弘の技が冴えわたる。カデンツァの高揚した気分のままオーケストラとピアノがコーダになだれ込む。直後この日会場が一番白熱しブラヴォが最も多く叫ばれた。

こうして聴くと読響の実力は先日聴いた東響や東フィル、日フィルとはやはり段違いかなと実感させられる。弦の厚みと緊密なアンサンブル、金管の技量と安定、木管の名手たちというようにバランスがとれている。不満はクラリネット首席Fの能天気なフレーズ連発と、トランペット首席Hの薄く安っぽい音色だ。(失礼とは思いますが、聴くたびに神経に触るので書かせていただきました。)

ヴァイオリンの佐藤俊介は初めて聴いた。ドロシー・ディレイ、ハイメ・ラレードほかに師事、現在ミュンヘン音楽・演劇大学で古楽奏法を学んでいる。

弓を軽くあて絹糸のように繊細に弾く。古楽奏法とまではいかないまでもヴィブラートは少なめ、フレーズはレガートでつなげられていく。昨今はこういう演奏が主流なのかもしれないが、個人的には苦手なタイプのヴァイオリニストだ。一昨日聴いた小林美樹のような古き良き時代の巨匠たちのような骨太でたくましい音色に惹かれる自分の好みは時代から遅れているのだろう。なお、音程が何箇所か不安定なところがあった。

小林研一郎と読響も彼の演奏に合わせるかのように、優しく軽く繊細なバックアップをしていた。

三大協奏曲という切り口はポピュリズムかもしれないが、よき指揮者、ソリストを得れば奏者や解釈の違いによりいずれの曲も新鮮で厭きることがない。来年はどんな旬のアーティストがソリストとして登場するのだろう。