インバル&都響の完全なる勝利!ショスタコーヴィチの交響曲第4番 | ベイのコンサート日記

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音楽評論家、長谷川京介のブログです。クラシックのコンサートやオペラなどの感想をつづっています。

2012323日(金)19時東京文化会館

指揮:エリアフ・インバル  管弦楽:東京都交響楽団
コンサートマスター:矢部達哉

チェロ:宮田大
チャイコフスキー:ロココ風の主題による変奏曲 イ長調 作品33

ショスタコーヴィチ:交響曲第4番 ハ短調 作品43

インバル&都響の「完全なる勝利」「世界レベルの演奏」「完璧な演奏」。



インバルの揺るぎない自信と確信に満ちた指揮のもと、都響の各奏者はベストを尽くし、フレーズひとつひとつ、一音一音が磨き上げられ、意味を与えられ、深められていく。聴き手は一瞬たりとも聞き逃せないと音楽に引き寄せられていく。これほど充実したコンサートはそうそうあるものではない。

昨年聴いたショスタコーヴィチの5番(1214日、東京オペラシティコンサートホール。CDとなったのは前日の演奏。)では集中とともに奔放ともいえる粗さがあった。

今回は一度限りの録音という状況が影響したのか、インバル&都響の集中ぶり、完璧を目指す姿勢は尋常ではなかった。


どこがどう良かったのか、具体的に書きたい。

1楽章:

エネルギーが凝縮された序奏から別格。ヴァイオリン、トランペット、トロンボーンの第1主題の圧倒的迫力。ヴァイオリン群は絹のような響き。金管は輝かしく、シロフォンの切れ味良い響きが空間を切り裂くように響く。二度の全管弦楽のクライマックスでのすさまじい咆哮では、都響の各楽器群のバランスがとれ、響きに奥行きがあり余裕を残しているのがすごい。

4番の一番の聴きどころは、展開部の練習番号(63)から109小節にもわたって、異常な速さでヴァイオリン、ヴィオラ、チェロがフガートを弾くところだと思う。

都響はすごかった。全く乱れないし、奏者たちが軽々と弾いているようにさえ見えた。

その勢いのまま(75)から(78)まで、ウッド・ブロックと小太鼓、大太鼓の刻むフォルテシモのリズムに乗って金管が吹き叫び、続いて弦と木管、ティンパニも加わって空恐ろしいほどの最強の衝撃音が延々と続く。ここでも都響のアンサンブルは安定を保つ。

こういう音楽を29歳にして作曲したショスタコーヴィチの頭の中はいったいどうなっていたのだろう。想像すらできない。

再現部の(101)からの矢部達哉のヴァイオリン・ソロは艶やかでいい音を出していた。(103)からの長いファゴットのソロのうまさに舌を巻く。

2楽章:

冒頭ヴィオラのレントラー風第1主題の音色が乾き倍音が心地よい。ヴァイオリンが弾くショスタコーヴィチぽい第2主題の音色も、絹のような質感とともに艶っぽさもある。対旋律のフルートもうまい。ソロを披露するティンパニも乾いた響きのよい音。

弦楽による長いフーガも、これだけ都響の弦の響きが充実していると実に気持ち良く聴ける。

この日唯一の不満は、(143)での4本のホルンだろうか。音が裏返ったわけではないが、良いとも思えなかった箇所だ。他の楽器群がいかに素晴らしかったかの証左だろう。

コーダでのカスタネット、ウッドブロック、小太鼓による南米風のリズム感がよく、エンタテンメントとなっていた。

3楽章:

冒頭の葬送行進曲のメロディーは、R.シュトラウスの「ばらの騎士」第2幕でオックス男爵が女中に扮したオクタヴィアンからの偽手紙をもらって有頂天になって歌う“Ist gut! Ist gut! Ein Schlunk von was zum Trinken“に似ているのでは、というのは私個人の意見だが果たしてどうだろう。誰も指摘していないとおもうが、解説をすべてチェックしているわけではないのでわからない。どなたかお教えいただければ幸いだ。

閑話休題。

このメロディーを吹く都響のファゴットは先にも書いたが本当にうまい。ショスタコーヴィチの交響曲で主役を演じることが多いファゴットがうまいとその日のコンサートは盤石だ。

167)から始まる300小節ものスケルツォでのインバル都響の集中度完成度が素晴らしかった。(176)からの弦楽器群のアクセントがついた変則リズムのアンサンブルの良さ。また7つのオムニバス風組曲のような場面での各楽器の味わいに都響の奏者たちの実力が発揮された。第1のコミカルなところでのピッコロ、バス・クラリネット、ホルン(ここでは良かった)。第2のワルツでのチェロとフルート。第34部分のファゴットとクラリネット、トロンボーンなどなど。

そして、最後の盛り上がり、コーダ(238)からの二台のティンパニのファンファーレが壮大に始まるところで、この日のインバル都響は最高の見せ場を作り上げた。金管のふくらみあるコラールの晴れやかな響きは、ホールに輝くような明るさをもたらした。インバルの指揮に力みはまったくなく軽やかにタクトを振る。

しかしそれも徐々に暗い響きに変わっていき、感動的な終結を迎える。

いつの間にか気づかないうちに弱音器がつけられた弦楽器が、薄く透明で長く引き伸ばされた旋律を奏でるなか、やはり弱音器をつけたトランペットがかすかにうめき、チェレスタのオスティナートが続く。最後にチェレスタの上昇する一音と共に弦も消え入っていく。

まるで永遠の別れを告げるように。

インバルのタクトが止まったまま動かない。至福の静寂。皺ぶきひとつ聞こえない。意外に短い時間でインバルが腕を下ろしたとたん、目の前ですさまじいブラヴォが叫ばれる。ちょっと興ざめ。もうすこし余裕がほしい。それでもそのあとから盛大なブラヴォが一斉に巻き起こり、その叫びはインバルのソロ・カーテンコールまで止むことはなかった。

コンサート後のロビーで一緒に行った友人と「感動したね」と話していたら、横から見知らぬ人が話しかけてきて意気投合。感動を分かち合う。こんなことは初めての経験だ。

前半の曲について一言。宮田大のチェロは素晴らしい。とくに低音の男性的な響きがいい。齋藤秀雄先生のチェロを使っていると先日の小澤征爾水戸室内管弦楽団のドキュメンタリーで紹介されていた。鳴らすのが難しい楽器とのことだが、よく鳴っていた。

3変奏のカンタービレ、フルートとの対話が美しい。第6変奏のさびしげなアンダンテの深みのあるチェロの音に落涙。