前々回前回と2回にわたり、思い出の鑑定のことを書いてきました。

タロットをしていると、人生の思い出や、これまで読んだ本、聴いた歌、見た映画・ドラマ・漫画・アニメなどが走馬灯のように浮かんでくることがあるんですよね。

 

若い頃古本屋巡りでよく買っていた、中谷彰宏さんの著書の中に、こんな文章があります。

勉強と体験は、必ずワンセットです。

先に体験がある場合は、聞いた時にピンと来ます。

先に勉強が入っている場合は、体験した時に「言っていたあれは、これだ」ということがわかります。

他人から入った情報と自分のナマの体験がワンセットになって、「ああ、そういうことか」とわかるのです。

両方ともない場合はスルーします。

片方だけがある時に「どういうことだろう」と思います。

それは、いいところまで来ているのです。あと一歩です。

 

(中谷彰宏 著 『30代にやっておいてよかったこと』 PHP研究所 より)

 

介護問題では、お役所仕事や母の変な親戚や制度や良かれと思って・・など、いろんなことが壁になりました。

 

父母の兄弟姉妹は、介護に関わっていません。

母方の祖父母の23年に及ぶ介護、父方の祖父母の病気と看取り、祖父母を見送った直後からは母とその兄の認知症が始まりました。

特に母方の認知症は、若く発症してしまい体丈夫で歩き回れるし長寿家系という、厳しいものでした。時々聞こえる市の行方不明者防災無線を聞くたび、他人ごとではないと思います。(-.-;) 

祖父が混乱して施設の備品を壊したり、祖母がショートステイから脱走してこういう人は困るから帰ってくれと言われたり、叔父が隣の県の警察に保護されたり、いろんなことがありました。

平成まるごと30年間、要介護者が途切れることなく、父は6人の介護の手綱を握り、最後の母では息切れて私がリードしました。その父も一昨年倒れて要介護になりました。

 

そういうことを知っているので、「なぜもっとご家族が看てやれないんですか?」と言われても、愚問だな、と思います。

正直、

「マリーアントワネットか!」

と突っ込みたくなりました。

歴史はねつ造がありますから、本当にマリーアントワネット王妃がそういったかどうかは怪しいですが。(^_^;)

 

何日も食べてない人たちの前で、「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」。餓えたことのない女のセリフ。

そんな人物として誰かの心に残ってしまったら、どんなに赤っ恥で不名誉なことでしょうか。

 

 

タロット前半の問題では、とっても役に立つアドバイスや方法論。

でも、後半の問題において、簡単に、あーすればいいじゃない、こーすればいいじゃない、なぜできないの?なんて。そんなこと言いたくないな・・・。

でも、自分のよく知らない分野で、うっかりそういうことを言ってしまう可能性は誰にでもある。

 

添削の中で愛月先生に、まだタロット独学時代に介護問題で「12番・吊るされた男」が出まくったことを話しました。

 

自業自得や、原因=結果なら反対カードの8番・正義が出ます。

でも、吊るされた男は理不尽な目に合っている。天秤が釣り合わない、自分のせいではない・または誰のせいでもないとか、原因がはっきりしなかったり。

それなのに苦しい目に合うことが、様々な形でそれぞれの人生にあるのです。

 

「アドバイスの位置で吊るされた男が出た時はどう読めばよかったんですか?」って聞いたことがあります。そこで先生が、

こういう後半のカードを体験しないのは幸せなことなんだけど、それだと

「光ばっか見てる人になっちゃう」

とおっしゃったのが心に残っています。

つまりは、マリーアントワネットみたいな感じになっちゃうんだと思います。

(ーー:)

 

長い人生ファイルの中には、吊るされページもある。

ああ、人生ってそうなんだ、でもそれでもいいんだって。なぜなら、

「みんな一生懸命、自分の光と闇に取り組んでいくのが人生だから。」

ウエイト版はそう伝えているんだそうです。

 

THE HIGH-LOWS の歌で「シッパイマン」というのがあって、若い頃、会社で派手に失敗した帰り道には良く聴いていました(笑)

 

ウエイト版は失敗した人、ダメな経験した人に優しい。

一生懸命生きてるんだけど、うまく行かない人に優しい。

私はタロットの魅力の一番は、そういう所だと思っています。